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ヒヤリ、嫌な汗が頬を伝って流れた。
目の前の男は私の表情を見て上機嫌に鼻歌なんて歌いはじめる始末だ。

私にガラスの破片を突きつけながら、男が話した筋書きはこうだ。
探偵社の隣人の女がストーカーに困り彼らへ依頼をするが犯人に拐かされた挙句殺害、その後彼女の陵辱写真が流されて探偵社の責任が問われる。「陵辱、ですか」と呟けば「誰も話せなんて言ってないよ」とガラスが私の眼球ギリギリまで迫った。ストーカーごときで探偵社が動くものかと思ったけれど、其れは私が社員の誰かの恋人であろうと思ったから実行に移したらしい。
計画が稚拙な割には、ストーカーのふりがえらく上手くて感心するなと心の中で毒付いた。

「タイムリミットは24時間。それまでに奴等が君を助けに来られなければ、」

ガラス片がツウと下に降りて、私のシャツのボタンを一つ、切り落とす。はだけた胸元をなぞられてそこから血が流れた。

「君を好きに甚振るとしよう」

どくどくと心臓が煩い。耳鳴りがする。
大丈夫、と自分に言い聞かせた。きっと今頃探偵社の人達が探してくれている筈だ。彼等なら私を見付けてくれる。大丈夫。
しかし頭の中でそれを反復するほど不安が募るし、男がニヤニヤと笑えば笑うほど、身体の芯が冷えていくような感覚に陥った。
どくん。心臓が嫌な音を立てる。

「怖くて何も言えなくなったかな?」

どくん。
男がゆっくりと此方へ近づいてくる。

「…やめ、て、」

どくん。
手が伸びて、私の髪を撫でる。

「触らないで」

どくん。
お願いだから、私に触らないで。









「着いたぞ。二手に分かれよう。俺は正面、太宰と小僧は裏手から回れ」
「了解」

少しの建物の屋根が写った写真、殆どそれだけの手がかりであったが、小さく写りこんだ煙突や看板、日の指す方向などから埠頭の倉庫であることが判明した為、なまえの救出には太宰、国木田、敦の三人が向かうことになった。
到着したそこは当たり前ではあるが周りに人の気配はなく静まり返っている。犯人に気取られぬ様慎重に、と国木田に念を押されてから、敦はそろりそろりと太宰に続いて倉庫の中へ滑り込んだ。

「…………かな?」

木箱やコンテナが乱雑に積まれたそこを進んでいくと、男と思われる声が聞こえてきたので太宰と敦は足を止めた。
木箱の影から声のする方を伺うと、手足を拘束され縛り上げられたなまえと、声の主らしき男が立っていた。

「太宰さん、相手は丸腰です。早くなまえさんを、」

男の手には何も握られておらず、慌てて屈んでいた腰を持ち上げた敦だったが、太宰の包帯まみれの手がそれを制する。

「よく見たまえ敦君。なまえちゃんはしっかり凶器を突き付けられているよ」
「えっ?」

そう言われてもう一度目を凝らして見ると、なまえの目の前に鋭利なガラス片が浮いていて、彼女に突き付けられている様だった。誰も触っていないというのに。太宰へ視線を戻すと、敦の考えを肯定する様に頷く。

「奴は異能力者らしい。恐らく遠距離から物体を操れるものだろう。なまえちゃんの身の回りで起きていた現象も、あれなら説明がつく」
「ど、どうすれば…!」
「下手に動くと彼女が危ない。少し様子を見て…」

太宰がそこまで言ったところで、男がなまえの方へと近づいていったので、二人は彼女に危害を加えるのではなかろうかと、固唾を飲んでそれを見つめた。男はにたりと気味の悪い笑みを顔に貼り付けて、なまえの髪を撫でる。
俯いたなまえの表情は、太宰と敦のいる場所からは見えない。

「……、」

なまえが小さく何かを呟くのが聞こえる。何を言ったのかは分からなかったが、男が尚の事嬉しそうな顔をして、身を屈めて彼女の首筋へと指を滑らせた。その瞬間だった。

「触らないで」

恐らく声の大きさは先程とさして変わらないはずなのに、その言葉は酷く冷たく、重くその空間に響いた。まるで耳元で囁かれた様なそれに、敦は自分の背筋がゾッと冷えるのを感じて、しかし小さく項垂れたままのなまえの背中から、そして彼女に触れた男から、目が離せなかった。

「な、」

ゆらり、身を屈めていたはずの男が身体を起こしたかと思うと、まるで見えない手に押されたかの様に後ろへすうと倒れて行く。どさりと地面へ倒れ伏した音が響いて、ピクリとも動かない男が意識を失っているのだと気付いた時には、なぜかなまえはゆっくりと太宰と敦の方を振り返った。

「なまえ、さん、」

すぐにでも彼女の身柄を保護するべきであるのに、敦の身体は全くと言っていい程に言う事を聞かなかった。
今、一体、何が起こった?
敦が動けないでいる間に、太宰がひょいと木箱を飛び越えてなまえの方へと歩いていく。
自分へ近づいてきた太宰を見上げた彼女の目は、確かに微かな絶望の色を湛えていた。





161007

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