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誘拐事件の取り調べは、もう時間が遅いからという事で翌日に持ち越しになった。朝から警察へ出向いて詳しい事件の概要を根掘り葉掘り聞かれ、犯人が探偵社に私怨のある者だったこと、異能力者であること、探偵社の社員達が迅速に対応してくれたおかげで軽い怪我のみで助け出されたことを話すと昼過ぎには解放され、付き添いと報告で一緒に来ていた国木田さんの運転する車で家まで送ってもらうことになっていた。

「やぁ、なまえちゃん!その後身体の調子は如何かな?」
「貴様、何時の間に!!」

後部座席のドアを国木田さんが開けたところで、そこには先客が寝転んでいたので、私は驚いて数回瞬きをした後「太宰さん、」と彼の名前を呼んだ。悠々と座席を占領する彼は相変わらず何時もの本を携えて、しかし妙に鋭い目でこちらを見つめている。居心地が悪い。

「………助手席にするか?」

僅かにたじろいだ私の心中を察してか、国木田さんが前の扉を開けてくれたので、有り難くそちらへ身体を滑り込ませる。それでも私の後頭部を舐める様に絡みつく視線はそのままだった。

「みょうじ、疲れているところで申し訳ないんだが、出来ればこのまま探偵社に来てもらえないか?社長が話をしたいらしいのだ」
「…あ、はい。少しなら大丈夫です」

無理矢理に笑顔を作ると、どうもそれが下手くそだったらしい、国木田さんは少し困った様な顔で眉間に皺を寄せた。

「あまり無理をするなよ」
「大丈夫ですよ」
「あれだけの事があったんだ、こうして警察の取り調べにしっかり応じているだけで立派だ」

あれだけの事。
国木田さんの言葉を反復しながら窓の外を見る。恐らく国木田さんは知らないのだろう、あの時、何が起こったのか。見ていたのは太宰さんと敦くんだけの様だったから。
後部座席の太宰さんは珍しく静かで、ひょっとすると寝ているのだろうかとも思ったけれどもそんな筈はない。車が発車してからずっと、彼の視線というか、気配は私へ絡みついて離れず、蛇に睨まれた蛙の様な気分だった。

「着いたぞ」

車が見慣れた建物の前へと寄せられる。自分は車を停めてくるから先に事務所へ、と言われて、私は太宰さんと二人でそこへ取り残されてしまった。

「…太宰さん、」
「何だい?なまえちゃん」

隣へ立った太宰さんはそれでも飄々としていて、何を考えているのかよく分からない。さっきまでの車内での視線が嘘の様に、いつも通りの顔で私を見つめてくる。

「………いえ、何もありません」
「なぜ何も聞かないのか?と言いたげだねぇ」

踏み出しかけた足を止める。
太宰さんはきっと今、あの暗くて鋭い目をしているはずだ。

「失礼かとは思ったのだけれど、君のことを少し調べさせてもらったよ」

ゾワリ、背筋が泡立つ感覚がする。
握りしめた手に汗が滲んだ。

「けれどねぇ、何も出てこなかった。文字通り"何も"だ」

前に回り込んできた太宰さんの顔が如何しても見られない。飄々とした笑みを浮かべているだろうに、それでも目の前の男が酷く恐ろしかった。

「君は一体何処の誰なのかな?なまえちゃん」








「初めまして、みょうじなまえです」

彼女と初めて会った時の事を太宰はやはりよく覚えていた。
非番の日に挨拶へやって来たという、階下へ新しく事務所を構えるなまえのところへ気まぐれに挨拶へと出向けば、扉を開けたのは自分と年端の変わらないうら若い乙女であったので、それこそその瞬間には太宰の心は踊った。何せ彼女の纏う雰囲気は、もしかすると頼めば心中を共に出来そうなほどに、柔らかな星屑を散らしたそれの奥から淡く悲愴の匂いを漂わせていたからだ。

「嗚呼!美しい人よ、私はきっと貴女に出逢う為に今日までの日を生きてきたのでしょう。漸く巡り逢えたこの暁に、この私と心中してくれないか」
「………えっ?心中、ですか?」

そうして目をぱちくりと瞬かせた乙女はその瞬間に悲愴を奥へとしまいこんだかの様に影を潜め、代わりに少しの警戒心を持って太宰を見上げる。不安げな表情が可愛らしくて思わず笑いながら、「探偵社の者です」と告げれば漸くほっと息を吐いたなまえによって事務所の中へと招き入れられた。

「お一人で経営を?」
「ええ、まだ駆け出しなもので、従業員を雇うまではちょっと」

お茶を出しながらそう言ったなまえはふんわりと笑った。
その割には事務所は思いの外広く、探偵社ほどまでとは言わないものの、座らされたソファのある応接室兼事務室と思われる部屋の奥にもう一つ扉が見える。20歳そこそこに見える彼女が一人でこの様な物件を借りるとは、なかなかのやり手かそれとも何かの後ろ盾あってのことなのか。そんな事を考えながら湯のみへ口を付けると、向かいへ腰を下ろしたなまえが「あの、」と控えめに声を発した。

「ところで、お名前をまだ伺っていませんでした」
「これは失礼、私は太宰治といいます」
「太宰さんですね、よろしくお願いします」

それからなまえはまだヨコハマへ越してきて間もない事、他に知り合いがおらず年の近い探偵社の面々に安堵した事、以前は事務所を構えずに電話や電子メールだけで仕事を請けていた事などを太宰に話した。
慣れた手つきで差し出された名刺を受け取る。みょうじなまえ。耳障りの良い名前だと太宰は思った。

「触らないで」

あの時、倉庫で発見したなまえの声は恐ろしく冷えて暗く重かった。隣で敦が身体を硬直させているのを感じながら、太宰は倒れ伏した誘拐犯と彼女の元へ近寄る。振り返ったなまえからは初対面の時に感じた悲愴の匂いが一層濃く放たれている様に思えた。

「……だ、ざい、さん」

掠れた声で名前を呼ぶなまえに笑いかける。
目を見開いたままピクリとも動かずひっくり返った男の脇へ屈むが全く反応がない。死んでいるのだろうか。そう思い首筋へ手を伸ばして触れた瞬間、まるで止まった時間が再び動き出したかの様に男が飛び上がった。

「なっ!!?」

太宰が側へ立っていることに酷く狼狽えた様子の男は、それでも素早く蹴りを繰り出してくる。軽々とそれを避けたところで、彼の背後へ現れた影に太宰はにやりと笑った。

「頼んだよ、国木田君」

男が振り返るよりも先に、国木田が腕を捻り上げ身体を宙へと浮かせる。どしゃり、と呆気なく地面へ沈んだ哀れな誘拐犯は、しかしにやりと笑って拘束されていない方の手をなまえの方へ向けた。

「っ!」
「みょうじ!!」

ガラス片がまた浮き上がりなまえ目掛けて飛ぶ。
彼女を守ろうと飛び出した国木田と入れ替わる様にして、太宰は男の両腕を引っ掴んだ。

「く、国木田さん!!」
「怪我は、」
「ありま、せん…」

間一髪と言うべきか、ガラス片は国木田の肩を掠めただけで、途中で力を失いカランと乾いた音を立てて地面へ落ちた。なまえがもう一度、震える声で国木田を呼ぶ。

「太宰さん、その人、多分指先を向けなければ物が操れません」
「…その様だね」
「此奴は触れた相手の異能力を無効化する反異能力者だ。太宰が其奴へ触れている間は心配いらん」

国木田の言葉になまえは目を見開き、そうなんですか、と小さく呟いた。
パトカーのサイレンが近付いてくる。敦が警察の応援を呼んだらしい。

「すまない、我々の所為でこの様な目に合わせた」
「いえ、私は」

漸く縄を解かれ解放されたなまえはちらりと太宰の方を見た後やはり悲愴を湛えた目を伏せ、駆け寄ってくる敦に酷く優しげに大丈夫だよと笑って見せた。





161007

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