「初めまして。下の階に事務所を構えることになりました、みょうじなまえと申します」 そう言って、頭を下げたなまえは、甘い香りと其れからほんの少し、孤独の混じった好い匂いのする女の子だった。 齢は21歳と太宰らと近く、しかし其の割に随分と大人びてしっかりした彼女は探偵社の真下、長いこと空きが出ていた貸事務所で一人デザイン事務所を構えている。うら若い乙女である彼女が何故女性一人で其の様な仕事を営んでいるのか探偵社の面々には謎であったが、乱歩は専ら其のことについては超推理など以ての外、詮索する気は無かった。なまえの隣はどうにも居心地が良かったからである。 「なまえちゃん、何してるのこんなところで」 「乱歩さんこそ」 お一人ですか?と微笑むなまえの手には恐らく来客用であろう、和菓子店の紙袋が抱えられていた。 「僕は名探偵の仕事の帰りだよ。敦君が一緒だったんだけど」 「……もしや逸れたんですか?」 「敦君の方がね」 これだから彼には困ったものだよ、と云う乱歩の言葉になまえは可笑しそうに肩を揺らして笑った。女性らしいしなやかな指が唇に添えられる、其の仕草を堪能しながら、乱歩は自身のポケットで震える携帯を無視する。 「なまえちゃん、これから茶葉を買いに行くでしょう、僕もついて行ってあげるよ」 乱歩の申し出になまえはぱちぱちと瞬く。 そんな仕草はまだまだ幼さが残るなと思った。 「いいんですか?敦君、きっと探していますよ」 「いいのいいの」 「でも…」 「その代わりに僕の買い物と、帰り道に付き合ってよ」 言うと、なまえは少しだけ考えてから「駄菓子ですか?いいですよ」と笑う。そうと決まればと乱歩が歩き出すと、困った様に笑いながらも彼女はゆったりとその隣へ並んだ。 なまえの事務所は日曜日と水曜日を定休日としているらしく、今日は彼女は非番の筈だ。そのために幅広のデニムパンツにTシャツという出で立ちのなまえは、いつも事務所で出くわす時よりも随分と化粧も薄い。年相応に見えると思ったのはこの所為かもしれない、などと思いながら乱歩はなまえが茶葉を選ぶのを眺める。 またポケットで携帯が震えていた。 電源を切ってやってもいいけれどもそうなると国木田や太宰が出てくるのでどうにも面倒だ。画面を見ずともその電話の相手が誰かは分かっていたので、ため息をつきながら通話ボタンを押すと、やはり敦の慌てた声が聞こえてきたので乱歩は耳につけた電話を少し離した。 「やぁ敦君」 『乱歩さん!!!あぁ良かったやっと繋がった!今どこですか?すぐ迎えに行きますから、そのまま…』 「僕は今なまえちゃんとデート中。君は先に探偵社に戻っててくれていいよ」 え?何でなまえさん?等と此方の状況を理解できていないらしい敦は無視して、通話を切る。「乱歩さん?」漸く茶葉を買い終えたらしいなまえが大丈夫ですかと尋ねてきたので乱歩は問題ないと答えた。 「…そういえば、」 目を丸くするなまえを余所に散々駄菓子を買い込みそれを抱えながら探偵社への帰路を歩いていると、ふと隣でなまえが何か思い出したように声を上げる。 のんびり過ごした所為でもう陽は傾きかけており、夕陽がなまえの横顔を橙色に照らしていた。 「乱歩さん、どうして私が茶葉を買いに行くって分かったんですか?」 私言ってませんでしたよね、と至極不思議そうな顔をするので、早々に開けたラムネを飲んでいた乱歩は思わず笑ってしまった。 「君は他人を前にするときっちりしているけれど、案外大雑把みたいだからね。その茶菓子はしょっちゅう買い直しに行かなくても良い、かなり日持ちのするものを選んでる。となれば面倒臭がりの君はよほど沢山余ってる状態でなければついでと云って必ず茶葉も買いに行く」 「お、大雑把…面倒臭がり…」 「事務所にも帰りが面倒だからといってしょっちゅう泊まり込んでるでしょ」 言い当てられて恥ずかしそうに顔を伏せた所に追い打ちをかけるとさらに顔を赤くさせて、なまえはサラリと垂れた髪を耳にかける。これは彼女が照れた時に無意識にやる癖らしい。 離れた所に探偵社と彼女の事務所が入ったビルが見えてきたので、意外にも早く着いてしまいそうで、乱歩は少し名残惜しく思った。 「ら、乱歩さんて本当に名探偵なんですね…」 「まぁね。僕にかかれば分からないことなんて何一つないよ」 カラン、と傾けたラムネの瓶の中でビー玉が音を立てる。なまえは「何一つ、ですか」と呟き乱歩を、否、乱歩の持つ瓶の中のビー玉を見つめた。 ふわりと風が妙に優しく吹いて、柔らかそうな髪を揺らす。なまえからあの、孤独の混じった甘くて好い匂いがしたので、乱歩はそれをじっと見つめた。髪に触れて弄んでやりたいなと思ったけれども片手には駄菓子の山、もう片方の手にはラムネの瓶が握られていたので、散々買い込んだ駄菓子たちに少しだけ後悔した。 「乱歩さんは本当にすごいですねぇ」 暫くそうしているとなまえが困ったように笑って歩き出したので、乱歩は黙ってその小さい背中の後をついていく。同時に伏せられた彼女の目は、短い残りの帰路の間、二度と乱歩の方を見なかった。 160907 戻る |