「……何かあったのか?」
屯所へ戻ってすぐに鉢合わせた土方はなまえの顔を見るなりそう言った。
顔に何かついているだろうか、それともちょっと泣きそうになった目が腫れてでもいるのだろうかと思ったけれど、煙草をくわえながらこちらへ近づいてきた彼の視線はなまえの足元へ注がれている。視線をたどるとさっき払いきれていなかったらしい泥が足袋と裾に残っていた。そういえば帯も少し乱れている、ような気がする。
「あ、いえ、あのう、」
正直に話すべきかそれとも誤魔化すべきなのか、一瞬迷ったけれども目の前のこの人に嘘をつこうものならたちどころにバレてしまうだろうなと思ったので、なまえは諦めて前者を選ぶことにした。
「実は、悪漢に絡まれまして…」
「悪漢だと?」
「あ、でも親切な方が助けてくださったんですよ。その後スーパーまで送ってくださって、とても良い方でした」
あのあと銀時はわざわざなまえを大江戸スーパーまで送り届けてくれた上に、彼女が買い物を終えるまで店の前で待っていた。そうして今度は家にも送り届けてやると言われたのだけれど、流石にそれは悪いと思ったので辞退させてもらったのだ。
彼はよろず屋という何でも屋さんをしているらしく、また何かあれば連絡するようにと名刺までくれた。
「で?」
「え?」
「いや、だから、何にもされなかったんだな?」
「…あ、はい。大丈夫です」
答えると土方は、ならいーんだよそれを早く言えよ、となまえの頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。田舎出の頼りなさげな女中が危なっかしいからなのか、土方はいつも何かとなまえを気にかけてくれる。
「それ。」
「え?」
「よこせ。持つから」
指差されたのは大半がマヨネーズで占められた買い物かごだった。10本となるとそこそこに重量感があるしこれはおそらく土方のお遣いなわけで、けれども真選組の副長様に一介の女中である自分が荷物を持たせるなど申し訳ない上におこがましい。
どうやって断ろうかと悩む間もなく、土方は返事を待たずに買い物かごを奪い取った。
「ひ、土方さん、大丈夫です。自分で持てます」
「いい。半分は俺のだ」
「でも…」
さっさと歩き出す土方のあとを追いかける。こんなところを先輩女中に見られてしまえばきっと大目玉だろう。鬼の副長なんて言われていながらも、その端正な顔立ちは女中達の中にファンを作るには十分だ。
なんだか今日は人の背中を追いかけてばかりだなと、土方の後ろ姿を見ながらなまえはそう思った。
「わっ、」
かと思えば急に彼が立ち止まったので、足を止めるのも間に合わずにその背中へ思いっきりぶつかってしまった。
「す、すみません…」
「お前は、」
まともにぶつけた鼻が痛い。
顔を上げるといつの間にかこちらを振り向いていた土方と目が合う。思いの外近いその距離に、心臓がやけにうるさく跳ね上がった。
「トロいんだから、あんま一人でチョロチョロ出歩くんじゃねぇよ」
言って、首の後ろへ手をやった副長様はなぜだかそっぽを向いて顔を伏せた。ゆらゆらと彼のくわえた煙草から煙が揺れて消えていく。心配してくれたのだろうか、そう思うとなまえは妙にこそばゆくて恥ずかしい気持ちになった。
「…ありがとうございます」
何がだ、とぶっきらぼうに言った土方があんまり不器用で優しいのでなまえはまた泣きそうになったけれどすんでのところでこらえる。今日はいつもよりいろいろあってなんだか疲れているらしい、こんなに簡単に泣きそうになるなんて、よろしくない。
けれどなまえの顔を見てまた呆れたような顔をした土方がぐりぐりと頭を撫でてくれたので、後で先輩女中にどやされたってまぁいいかな、と思った自分がおかしくて笑ってしまった。
「なに笑ってんだ」
「いえ、何でも。ふふふ、」
「何にもねぇなら笑うなよ気持ち悪りぃ」
「ふふ、すみません」
再び前を向いて歩き出した彼の背中を追いかける。さっき出てきそうになった涙はいつの間にか引っ込んでどこかへいってしまっていた。
160902
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