真選組屯所の朝は早い。
女中の人数もそこそこに多いわけであるけれども隊士の方はといったらそれはもう大変な数であるわけで、それに伴い仕事の量も半端ではなかった。
それぞれに掃除や炊事など担当を振り分けられるのだけれど、中でも事務仕事を大量に抱える幹部隊士たちの身の回りの世話をする側役は女中達の中でも人気のある役職らしかった。まず、時給とは別に手当がつくし、将来有望な隊士と接する機会が増えるためあわよくば玉の輿なんて考える同僚も少なくない。
けれどもそのかわりに彼らの仕事は連日連夜残業も多かったし、何より身の回りについて常に気を張り相手が求めていることを先回りしてやらなければいけない難しい仕事でもあったので、大抵はベテランの先輩女中が勤めることが多かった。はずなのだけれど。

「………わ、わたし、ですか?」

早朝出勤をして隊士達の大量の洗濯物と格闘しているところで先輩女中のトヨから声をかけられて、話を聞けばなんとなまえをある人の側役にとのことだった。

「そうなのよ。なまえちゃんはまだここへ来て間もないし、どうかと思ったんだけれど」

たっての希望らしくてね、と言われてなまえは首をかしげる。トヨは何故だかとても心配そうな顔でこちらを見つめていた。

「もし、なまえちゃんが嫌ならなんとか理由つけて、他の子をあてるから。なんせ難しい方だしねぇ」

やれやれといった感じでトヨがため息をついたので、それを見たなまえの方までなんだか不安になってしまった。
なまえを側役に指名してきたのは、一番隊隊長の沖田総悟だった。
たしか、沖田とはたまの挨拶や業務で声をかけられるくらいのものであったので、なまえはなぜ彼が自分を側役にと指名したのか全く心当たりがない。「人違いでは?」と尋ねてみてもトヨは「私もそう聞いてみたんだけれど」と首を傾げるばかりだった。

「どうする?お給金はもちろん今よりも少し上がるけれど、そのう…」

トヨが語尾を濁した理由は、ここへ勤めてまだ日が浅いなまえでもすぐにわかった。
沖田という人物は、かなりのサディストであり破天荒な性格の持ち主で、とにかく副長である土方を消す事だけに心血を注いでいるらしかった。なまえも何度か襲撃を受ける土方を目撃したことがあるのだけれど、それはもう、冗談抜きのすさまじいものであったので記憶にしっかりと刻まれている。
そんな沖田が女中に優しく接するなんてことはまぁまずないわけで、側役につけた女中をいびり片っぱしからクビにするか辞めさせてしまうらしい。

「とても有り難いお話なんですが、わたしなんかで務まるでしょうか…?」

一番に思っていたことを口にすると、トヨは意外そうな顔で瞬いた。それからなまえをじっと見つめて、優しく笑う。

「なまえちゃんはとっても気が効くし頑張り屋さんだからねぇ。ちょっとどんくさいところもあるけど、人に気を配るっていう側役はピッタリだと思うよ」
「ど、どんくさいって…」
「そこがまた可愛いんだよ」
「もう、トヨさんたら」

なまえは思わずくすくすと笑った。トヨもつられたようにして笑う。この真選組の女中になってから、トヨはずっとなまえを妹か娘のように可愛がってくれていた。そのトヨが、自分が側役に向いていると言ってくれたことが、なまえは嬉しかった。

「トヨさん、わたし、やってみます」

なまえの答えを聞いて、トヨはにっこりと笑った。







「き、緊張する…」

とは言ったもののはたして自分に真選組一番隊隊長の側役が本当に務まるのかどうか、なまえにとっては未だ謎でしかないし不安ばかりが募っていた。トヨの期待に応えたい一心でこのお役目を請けたけれど、きちんとお役目が果たせるだろうかとただそれだけでなまえの頭はいっぱいいっぱいだ。
目の前の部屋には一番隊隊長である沖田がいるはずだった。とにかく、相手がどのような人間であろうとしっかりお勤めしなければと
気を引き締める。最悪のケースとして、お役御免で故郷へ帰されるのだけは避けたかった。

「何してやがるんでィ」
「え?」

最初のご挨拶は何と言おうか、まずは好みの茶葉や食べ物を聞いたほうがいいのだろうか、そんなことを考えて部屋の前でいつまでも中へ声をかける決心をつけられずにいるなまえの後ろから唐突に、聞き覚えのある声が降ってきた。
振り返るよりも先に身体が浮いて、気がついた時にはなまえはあれほど開けることを躊躇っていた障子を突き破り部屋の中へと侵入していた。
目の前には、馬乗りになってこちらを見下ろす沖田が、刀を引き抜きなまえの首へとそれを突きつけている。
その、綺麗な顔に見惚れながら、なまえはただぼんやりと沖田を見上げた。背中が痛い。痛みというのは状況を理解出来ない時こそ遅れてやってくるものなのかと、場違いにもそう思う。

「あんたがみょうじか?」

さらりと沖田の柔らかそうな髪が揺れる。
前髪の間から覗いた瞳は確かにギラリと、見定めるかのような眼差しでなまえを見つめていた。





160906


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