沖田が初めてなまえを見たのは町中だった。
大きな荷物を抱えていかにも御上りさんです、といった感じの女が一人おろおろと道端で紙切れを見つめて頼りなく立っていたので、見廻りをサボるつもりで宛てなくうろついていた沖田は、ほんの気まぐれで、何を困っているのか聞いてやろうかと思ったのだ。

「どうした?」

しかし女に声をかけるすんでのところで見知った顔が彼女に声をかけたので知らないふりを決め込んでその様子を伺う。女が指差す紙切れを覗き込む私服姿の土方を、今日は非番のはずであるのに随分と親切なこって、と心の中で罵った。
女から行き先を聞いたらしい土方はそのままついてこいとでもいった感じで、彼女を連れて歩いていく。先ほどまでの、今にも泣き出しそうだった表情が一変して、ほっとしたように柔らかい笑みを浮かべたのを見て、沖田は再び土方を心の中で罵った。

二度目になまえを見たのは屯所の廊下だった。
洗濯済みの真っ白いシーツを抱えたなまえは、土方と親しげに話していて、やはりあの柔らかい笑みを浮かべていた。隣を歩いていた山崎が「あぁほらあの子ですよ、この間副長が屯所まで案内してきたっていう新しい女中の子」などと言うので気の無い返事を返しておく。土方の方も随分と優しい顔をしていたものだから、沖田はなぜかイライラする自分を宥めながら、じぃっと二人を観察した。
しばらく談笑したなまえはペコリと土方に頭を下げて、シーツを抱えなおしてこちらへ向かってくる。そうして沖田と山崎に気づくと慌てた様に廊下の端へ寄って頭を下げたので、沖田は知らんぷりでその脇を通り過ぎた。

「みょうじなまえちゃんっていうらしいですよ。可愛らしい子ですよね」

ぱたぱたと足音が遠ざかっていく。隣で山崎がそう言ったので、沖田は肘打ちでそれを黙らせた。





「沖田さん」

いつものごとくアイマスクを装着してサボりを決め込んでいると、横からなまえの声が降ってきたので聞こえない振りをする。

「…みょうじ、なまえと申します」

あの時、そう言って沖田を見上げたなまえは、どこからどう見ても田舎から出てきた芋くさい普通の女で、何だこのくらいのもんかあのマヨラー趣味悪ぃななどと思った。
しかし刀を突きつけたというのに状況を理解できていないのか、それともこちらが斬る気がないことが分かっているのか、声も足も震えているくせに視線だけは沖田からそらさずに、じぃっと、見つめてくるその目だけは悪くないと思う。

「沖田さん」

もう一度、なまえが少しそばへ寄ってきて沖田の名前を呼ぶ。
そう、それにこの、怯えている割に妙にやわらかく自分を呼ぶその声も。悪くない。

「沖田さん。副長が、始末書の提出はまだかと仰ってます」
「…」
「沖田さん、起きてくださいお願いします」
「…」

なまえを側役においてから一週間、沖田が彼女について分かった事といえば、鈍臭そうに見えて仕事となるときちんとしていること、そこそこに気が効くということ、それから、

「お願いですからとっとと起きて仕事してください」

時折こちらが驚くくらいはっきりとした物言いをするということ。

「…生意気でさァ」
「いたたたた!すみません!」
「ごめんなさいって言いなせぇ」
「ご、ごめんなさい…」

パッと身を起こして頬を軽くつねってやると、なまえはちょっと涙目になりながら急いで沖田に謝った。

「起きてるならそう言ってください」
「誰も寝てるなんて言ってやせんぜ」
「早く始末書、仕上げてください。お願いですから」
「あんたがやりなせェ」
「わたしじゃあ出来ません」
「使えねぇヤツ」
「…すみません、お願いします」

なまえがこの一週間で沖田について分かった事といえば、最初の対面が彼の中ではなかった事のようになっているらしいこと、若くして一番隊隊長を務める彼はサボりと土方への奇襲に心血を注いでいるということ、それから、話に聞く通りのサディストではあるけれどもそれ以上に天邪鬼なところがあるということ。

「お茶淹れますね」

渋々という雰囲気丸出しで漸く机へ向かった沖田に、なまえはほっと息を吐いた。
最初の対面があまりにも衝撃的だったので、一体毎日どんな苦行を強いられるのだろうかと心配していたけれども、意外にもその後顔を合わせた沖田は普通で(言動のドS性は否めないけれども)、会話もきちんとできるし刀を突きつけられるようなこともない。
唯一なまえが骨を折ることといえば、ただただ仕事をサボりたがる沖田を宥めお願いして机へ向かわせることだった。

「沖田さん、お茶が……」

一週間経ってやっと勝手がわかってきたかなと思いながらお茶を運んで障子を開けたなまえははたとその動きを止めた。つい先ほど机に向かっていたはずの沖田の姿が、そこにはない。もぬけの殻である。

「……またやられた…」

がっくりと項垂れて呟く。まだまだ一番隊隊長の側役には慣れそうにもなかった。





160914
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