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十二時を回り、ハリーが小さく主張し始めた腹をさりげなくさすっていると、タイミング良くトロリーを押した女性がコンパートメントの扉をノックした。
「車内販売よ。坊ちゃんたち、何かいかが?」
そう言えば、ハリーは列車に乗ったらすぐに飲み物を買おうと思っていたのをすっかり忘れていた。
ロンと夢中で喋り続けていたせいか、また喉がからからに乾いている。
何を買おうかとハリーはいそいそと立ちあがり、窺うようにロンを見たが、彼は頬を染めて「僕はサンドイッチを持って来たから」と俯いてしまった。
ソフィアの方は最近分かったのだが、彼女はとても小食なのだ。
恐らく今はお腹が空いていないのか特にお菓子を見る様子もない。
ハリーは通路に出て見た事もないお菓子が並んでいるのを一通り見終えると、色々な種類を少しずつ手に取って女性に支払いを済ませ、すぐに席へと戻った。
ハリーが両腕いっぱいに抱えた軽食やお菓子を空いている席に置くのを、ロンは目を皿のようにして見ていた。
「君、それ全部食べるつもり?そんなにお腹空いてたの?」
「朝ご飯食べてなかったから、それにたくさんあるから絞れなくて」
ハリーは少しだけ恥ずかしくなって頬を染めた。
これまでこうして好きに買い物出来た事なんてなかったし、何よりどのお菓子も魅力的で目移りしてしまったのだ。
迷うくらいならいっそ、と色々買い込んでしまったが、流石に買い過ぎだっただろうか。
けれどこれだけあればきっとロンも気が咎める事も無いだろう。
ハリーはジュースで喉を潤しながら、サンドイッチの包みを開いて何やら呻いているロンに言った。
「ロンも好きなの食べて」
「でも僕、これがあるし」
ロンはそう言って取り出したサンドイッチを掲げて見せた。
「じゃあ交換しようよ。ほら、パイも買ったんだ」
「え、でもこれ、パサパサしてておいしくないよ。
あー母さんは時間が無いんだ。ほら、家にまだ五人も子供がいるから」
慌てたようにフォローするロンに、ハリーは微笑んだ。
「じゃあそれ食べ終わってからでもいいから、これを減らすの協力してくれない?」
「うーん…そういうことなら。オーケー、任せてよ」
結局サンドイッチには手をつけないまま、ハリーとロンはお菓子に夢中になった。
お菓子の包みを開けながらその都度ロンがどういうものかを説明してくれたので、ハリーはマグルのお菓子との違いを楽しみながら、色とりどりの不思議なお菓子に舌鼓を打ったのだった。
その間、ソフィアは興味がないのか昨日自分で買っていた文庫本を読んで時間を過ごしていた。
微かに見覚えのあった蛙チョコのパッケージを開け、入っていたカードを何とはなしに見たハリーは丁度こちらを振り向いたダンブルドアと目が合い、思わずぎょっとしてカードを落としてしまった。
蛙が飛び出して来た時には驚かなかったのに、何とも良く分からない反応である。
「この人がダンブルドア…」
ひげが長いおじいちゃんという漠然としたイメージのみで顔を覚えていなかったハリーは、まじまじとカードを眺めた。
高い鍵鼻に半月型の眼鏡をかけ、髪は流れるような銀髪で同じ色をした口ひげと顎ひげを蓄えている。
ロンは口いっぱいにパイを頬張りながら、目を丸くした。
「まさかダンブルドアも知らなかったなんて言わないよな?あ、僕にも蛙ちょうだい」
ハリーがロンにチョコを差し出しながらカードを裏返すと、そこにはダンブルドアについての簡単な略歴や功績が書かれていた。
“ニコラス・フラメル”、そして“錬金術”などなど…今のハリーにはよく分からないものだらけだ。
ハリーはこのカードは失くさないように取っておこうと、大事にポケットの中へと収め、自分もチョコを口にした。
いつの間にか、車窓には見なれない荒涼とした大地が広がっていた。
整然とした畑は既に見当たらず、鬱蒼とした森や曲がりくねった川、暗緑色の丘が次々と窓の外を過ぎて行った。
再びお菓子をつまみながら会話に花を咲かせていると、ふいにコンパートメントの扉を控えめに叩く音が聞こえ、二人は振り向いた。
戸口には丸顔の男の子が泣きそうな顔をして立っていた。
どこかで見たような顔だなと思っていると、不意に思い出した。
確か、九と四分の三番線でもすれ違った子だ。
「あの、ごめんなさい、僕のヒキガエルを見なかった?」
二人が首を振ると少年は泣きだした。
「いなくなっちゃったんだ……あいつ、僕から逃げてばっかり!」
「きっと見つかるよ」
ハリーが慰めるようにそう言うと、彼はしょげかえって頷いた。
少年があまりにも落胆しているようなのでそのまま帰すのも気が引けて、ハリーはおずおずと申し出た。
「一緒に探そうか?」
「う……ううん。もう少し、探して見る。
ありがとう。でももしどこかで見かけたら……」
最後まで言う事無く、肩を落としてコンパートメントを後にした少年を見て、ロンは大げさに肩を竦めた。
「なんでそこまで気にするかなぁ。僕がヒキガエルなんて持ってたらとっととなくしちゃいたいけど。
まあ、僕もスキャバーズを持って来てるから人の事言えないんだけどさ」
二人はロンの膝の上で眠りこけているねずみを見た。
「死んでたって見分けがつかないと思うよ」
ロンはため息をついた。
ハリーが何かを忘れている気がしてじっとスキャバーズを見つめている間に、
ロンはトランクを引っかき回し、くたびれたような杖を取り出していた。
「昨日さ、こいつをもっと面白くしてやろうと思って黄色に変えようとしたんだ。
でもうまくいかなくて……見てて、やって見せるから」
生で見る魔法。ハリーがワクワクした様子でロンの手に握られたままの杖に視線を移す。
ソフィアもそれを聞いて興味が湧いたらしく、いつの間にか本から視線を外している。
「よーし、見ててよ」
ロンが改まったように咳払いし、姿勢を正して杖を構えたところで突然コンパートメントの扉が開いた。
戸口にはふわふわの栗毛の少女が立っている。
既に新調のホグワーツのローブに着替えているようだ。
一歩下がるようにして、先程蛙を探しに来た少年も困惑したように立っていた。
「誰かヒキガエルを見なかった?ネビルの蛙が逃げたのよ」
どことなく威張ったような口調で少女は言った。
「見てないって、さっきそう言ったけど」
ロンが答えたが、少女は聞いていなかった。
彼女の視線はロンの持つ杖へと注がれている。
「ふうん、魔法をかけるの?それじゃあ私も見せてもらうわ」
少女がそう言って座席に座りこんだので、ロンはたじろいだようだったが、再び気を取り直す様に咳払いすると杖を振り上げた。
「太陽、雛菊、溶ろけたバター、デブで間抜けなねずみを黄色に変えよ」
結果何も起こらなかった。
スキャバーズは相変わらず灰色で、すやすやと心地良さそうに熟睡している。
「その呪文、間違ってない?」
少女の言葉にハリーもソフィアも頷いた。
彼らが予想していた魔法とは大分趣の違う呪文だったように思う。
「まあ、あまりうまくいかなかったみたいね。
私も練習のつもりでいくつか簡単な呪文を試してみたけど、全部うまくいったわ。
私の家族に魔法族は誰もいないの。
だから手紙が届いた時はすごく驚いたわ。もちろん、同じくらい嬉しかった。
だって、ホグワーツは最高の魔法学校だって聞いたもの。
もちろん教科書は全部暗記してきたわ、それだけで足りればいいんだけど。
ああ、私はハーマイオニー・グレンジャーよ。あなた達は?」
それだけをほぼ一息で言ってみせたハーマイオニーに、ハリーは目を丸くした。
ちらりとロンを窺うと、呆気にとられたように彼女を見て微かに眉を顰めている。
「僕、ロン・ウィーズリー」
「…ソフィア・エムリス」
「ハリー・ポッター」
呟くように答えたロンにつられて、気付けばソフィアもハリーも何の抵抗も無く名乗っていた。
「本当に?私、もちろんあなたの事も全部知ってるわ」
ハーマイオニーは無意識なのか、ハリーの額辺りに視線を彷徨わせながら驚いたように言った。
「念のために参考書も何冊か読んだの。
あなたの事は『近代魔法史』と『闇魔術の栄枯盛衰』、『ニ十世紀の魔法大事件』に載ってたわ」
「ああ…うん」
実はハリーもダイアゴン横丁で教科書とは別にいくつか参考になりそうな本を買っていた。
彼女が挙げた中に自分が持っている本の名もあったので、実際にどういう書かれ方をしているのか知っていたハリーは、どこか気まずい思いで曖昧に頷いた。
ハーマイオニーはそんなハリーをどう思ったのか、したり顔で頷いてみせた。
「そうよね、私があなたでも出来る限り全部調べるもの」
何やら誤解されたようだったが、ハリーが口を挟む間もなく再びハーマイオニーがはきはきと話し始めた。
「3人は自分がどの寮に入ると思う?
私、色々な人に聞いて回ってみたけどグリフィンドールに入りたいわ。一番良い寮みたいだもの。
ダンブルドアもそこ出身だったって聞いたし。でもレイブンクローも悪くないかも……とにかく、もう行くわね。
ネビルの蛙を探さなきゃ。3人とも、そろそろ着くはずだから着替えておいた方がいいわよ」
ハーマイオニーはそう言い置くと、ネビルを連れて出て行ってしまった。
…まるで嵐が去っていったようだ…とロンは思ったのである。
「あの子がいないとこならどこでもいいや」
トランクに杖を投げ入れながら、ロンが言った。