12

 ある日のこと、図書館で時間を潰して、ソフィアはほどよい時間になったので夕食を取りに大広間へ下ることにした。廊下には授業を終えた生徒たちがにぎやかに溢れ始めている。二階から玄関ホールに繋がる石の階段を降りていると、玄関ホールに奇妙な人たがりが出来ている。上から様子を見て、ソフィアは唖然とした。

 防衛術の新任教師が杖を振ってなにかを叫んでいる。その杖先が狙っているのは、なにかしらの小動物に見える。考えるより先に足が動いた。階段を駆け下り、人垣を縫うように進み、ソフィアは人だかりの中央、ムーディの前に躍り出る。

 「二度と――こんなことは――するな!」

 ムーディが攻撃していたのは純白のケナガイタチだった。

 「やめて!」

 あまりのことにソフィアは叫ぶと、集まっている群衆全員がソフィアを見た。ムーディもそうだ。黒い普通の目とブルーの奇妙な目の両眼でソフィアを凝視している。ムーディの杖がぴたりと止まったので、ケナガイタチは空中から地面に落下した。

 「おいで…っ」

 ソフィアがひざまずいて両手を広げると、ケナガイタチはさっとソフィアの胸に飛び込んできた。

 「ソフィア!」「それ!」

 群衆の最前列から聞き慣れた声を聞いて、ソフィアはそちらをちらりと見た。ハーマイオニー、ハリー、ロンが揃い踏みで、ソフィアの抱えるケナガイタチを指差してよくわからないジェスチャーをしている。だがソフィアはすぐに視線をムーディに戻した。

 「ひ、ひどいです…!」

 完璧に動物虐待の現場に遭遇してしまった。胸で震えるケナガイタチをぎゅっと抱きしめて、ソフィアはムーディを睨んだ。ただ、ムーディの風貌が恐ろしげなのと杖を向けられているのとで、ソフィアの方が威嚇されたように身をすくませてしまう。

 このケナガイタチは森から紛れこんだのだろうか。餌を漁ったのかもしれない。害獣であっても、あんな風に扱うことは許してはいけない。もしも処分する必要があるなら、楽な道を選んでやるべきだ。

 「ひ、人の言葉もわからない生き物に攻撃するなんて…」
 「人間の言葉がわからぬ生き物ではない」
 「え?」

 ムーディの低い声にソフィアの目が点になった。人語を解するケナガイタチのように見える魔法生物がいたかどうか、脳内で図鑑をめくる。そのとき、ムーディとソフィアの間に息を切らしたマクゴナガルが飛び込んできた。マクゴナガルはソフィアを後ろ手にかばいながら叫ぶ。

 「ムーディ先生!?彼女がなにを!?」
 「この女子生徒ではない」
 「は?」

 マクゴナガルが口を開けてソフィアに振り返る。そして、今その存在に気づいたらしいケナガイタチを凝視した。

 「…この、イタチがなにか?」
 「指導中だ」
 「生徒なのですか!?」
 「……え…!?」

 ソフィアが驚きの声を上げると、マクゴナガルがソフィアの腕からケナガイタチをつまみ上げる。マクゴナガルが杖を振った瞬間に、純白のケナガイタチがあろうことか、ドラコ・マルフォイになるのを見て、ソフィアは叫んで逃げたしたくなった。

 普段は青白い顔が燃えるように紅潮し、引きつった顔をしている。マルフォイは決してソフィアの方を見ようとしなかった。ただ、ソフィアの方を見ていたとしても、気まずすぎて顔をそらしていたソフィアとは視線が絡むことはなかっただろう。

 「ムーディ、本校では懲罰に変身術を使うことは絶対にありません!校長がお話ししたはずです!」
 「そんなことを言っていた気もするな。ただ、わしの考えでは――」
 「減点か、居残り罰を与えるだけ!それかその生徒が属する寮の寮監に話をするだけです!」
 「それではそうしようではないか。懐かしのスネイプと話す機会を待っていたところだ」

 ムーディはマルフォイを連れ地下に消えた。マクゴナガルは心配そうにその後ろ姿を見送ったが、やがて彼女自身もどこぞに去っていく。

 ハーマイオニーたちに伴われ着席したグリフィンドール寮席で、誰もが今し方起こった出来事を興奮気味に語り合っているのを聞いて、ソフィアは小さくなった。ちらちらからかい顔でソフィアを見ている生徒もいる。こんなことで目立ちたくない。

 「まったく、ソフィアは!僕の人生最良のときを台無しにするんだから!」
 「逆に考えようよ、ロン。ソフィアに一目散に飛び付いたマルフォイ…」

 ハリーはくすくす笑いが堪え切れなかったようだ。

 「動物に変身させられたときって、アニメーガスみたいに自分の意思を持っていられるわけじゃなくて動物そのものの思考になると言うもの。今ごろ、マルフォイは羞恥にのたうち回っているはずだわ」

 ハーマイオニーもくすくす笑った。

 (私もなんだけど…)

 ソフィアは頭を抱えてうずくまりたくなった。大抵の場合、ソフィアを馬鹿にして笑うマルフォイをしっかり抱きしめてムーディにたてついたのはソフィアだ。まさかあの白いケナガイタチがマルフォイだとは思わなかった。知っていたとしてもムーディのあのやり方を、ソフィアは受け入れられないので止めに入っただろうが――。

 (私ってば、私ってば…!)

 ハーマイオニーたちは身振り手振りで、ケナガイタチがマルフォイだと伝えようとしていたのだろう。ハーマイオニーの図書館通いに付き合うといういい口実で、ソフィアは早々にグリフィンドール寮席から離れることに成功した。


「ハウスエルフが家事が好きな生き物であることだけは間違いないね」

 ここ数日、ソフィアは毎回ハーマイオニーの図書館通いに付き合っている。ソフィアが書物から顔を上げてハーマイオニーに言うと、ハーマイオニーの方も顔を上げ、顔をしかめた。

 「でも、生まれたその家に忠誠を立て続けなければいけないのは、やっぱり腑に落ちないわよ。ヒトと同じだけの知能を持っているのに、魔法省の『魔法生物規制管理部』に代表が参加してない。ゴブリンのような魔法生物と同等の権利が彼らにも保障されるべきだわ」
 「そうだね…」

 そのとき、ハーマイオニーが図書館の壁にかかっている時計を見て目を見開く。

 「まずいわよ!」
 「なにが?」
 「防衛術の授業よ!あと五分!」
 「忘れてた…っ」

 二人は大慌てで図書館から飛び出した。あのマッドアイ・ムーディの初授業に遅刻するわけにはいかない。ドラコ・マルフォイはハリーを後ろから攻撃しようとしたことでケナガイタチに変身させられたというから、そのマルフォイをかばったソフィアがムーディによく思われていない可能性は非常に高い。

 ソフィアはハーマイオニーを引っ張って走り続けた。運動が得意でない彼女は足が遅い。始業ぎりぎりで滑り込んだ防衛術の教室にムーディの姿がないのを確認して、ソフィアはとりあえずほっとした。ハリーとロンが最前列の席についていて、ソフィアたちを手招きしている。

 「私たち、今まで――」
 「図書館にいた」

 全力疾走に息も絶え絶えのハーマイオニーの言葉をハリーが引き取った。

 「座れよ、ムーディ来ちゃうぜ」

 ソフィアとハーマイオニーはハリーとロンを挟んで席に着き、教科書を机の上に出して、ただ静かにムーディを待った。教室中に緊張した空気が満ちている。防衛術を先駆けて受けた双子たちによると、彼の授業は『超クール』という感想を与えるものだったらしい。まもなく鈍い足音が響いてきて、ムーディが教室に姿をあらわした。

 「そんなものはしまえ」

 教卓に辿りついたムーディは生徒の教科書を一瞥して低い声で唸った。指定の教科書をそういう風に言う教師に、皆は今まで一度たりともお目にかかったことがない。
 生徒たちがいっせいに教科書を鞄にしまうと、ムーディは出席簿を取り出して生徒の名前を読み上げ始めた。ソフィアの隣でロンが、ムーディに尊敬のまなざしを向けている。普通の目の方は出席簿を順に追い、ブルーの目の方は生徒が返事するたびその生徒を凝視する。

 「ソフィア・エムリス」
 「はい」

 ブルーの目がソフィアを上から下まで見るようにぐるぐる動いた。怖々返事したソフィアに、ムーディは特段感想がないようだった。『生徒指導』を邪魔したことで二言三言苦言を呈されるかもしれないと身構えていたソフィアは、ムーディが次の生徒の名を読み上げたことでブルーの目から解放されたことに胸をなでおろす。

 「さて」

 ムーディは出席確認を終え、普通の目の方でも生徒たちを見た。

 「お前たちが学んだものについては前任から報告を受けておる。わしの感想として、お前たちは非常に遅れている。呪いの扱い方、魔法使い同士が互いをどこまで呪いあえるか――。わしの役目は、持ち時間の一年をかけ、お前たちの認識を最低線まで引き上げることにある」
 「えっ、ずっといるんじゃないんですか?」

 ロンが思わず口を挟んだ。ムーディに見つめられ、ロン自身しまったという顔をしている。

 「ロン・ウィーズリー。アーサー・ウィーズリーの息子だな?」

 ムーディの確認にロンは無言で頷いた。

 「父君には随分世話になった。さよう、わしの持ち時間は一年のみだ。終われば隠遁生活に戻る。ダンブルドアのために特別に引き受けた」

 ムーディは意外にも、ロンに親しげに語りかける。隣に座るロンが緊張を解き、背中をへにょっと曲げるのをソフィアは感じた。

 「すぐに取り掛かることとしよう。魔法使い最大の脅威である、違法とされる闇の魔術がいかなるものか。魔法省は六学年に満たぬ生徒にはこれを見せるべきではないと語る。だが、ダンブルドアはお前たちを高く評価しておる。
自身が戦うべきものがどのようなものなのか、知るのは早ければ早いほどよい。いいか、ブラウン。わしが話しているときはそんなものはしまっておかねばならんのだ」

 生徒全員が素早くラベンダーを見た。ムーディに名指しされ、ラベンダーは跳び上がって真っ赤になっている。机の下で隣の席のパーバティに見せていたらしいなにかを、ラベンダーはいそいそと鞄にしまった。

 ソフィアは呆気にとられてムーディを見た。あのブルーの目は奇妙なだけではない。どうやら、物を透かして対象を見ることが出来る、魔法具だったらしい。

 「さて。魔法法律により、その使用を最も厳しく罰せられる呪文がある。知っている者は?」

 気を取り直したムーディの言葉に、何人かの生徒が中途半端に手を挙げた。

 「ウィーズリー」
 「えーっと…」

 ロンは指されておずおず立ち上がる。

 「父が話してくれたことがあります…。確か、『インペリオ』…」
 「その通り。アーサー・ウィーズリーなら、確かに知っているはずだ。一時期、魔法省を散々手こずらせた。インペリオ、『服従の呪文』はな」

 ムーディは机の引き出しから瓶を取り出した。クモが入っている。生きたクモを苦手とするロンが隣で身じろぎするのをソフィアは感じた。ムーディはクモを一匹取り出して、手のひらに乗せると杖先をクモに向けた。

 「インペリオ《服従せよ》」

 クモは通常なら考えられない、様々な動きをした。愛嬌のある道化のようなクモの仕草に、クラスに笑いが広がる。それでもソフィアは、どうしてもこれが楽しいことだとは思えなかった。

 「面白いと思うか?もしわしがお前たちに同じことをしても?」

 ムーディの低い声に、クラスの笑いが一瞬で消えた。

 「完全なる支配。わしはこいつを思いのまま、窓から飛び降りさせることも、水に溺れさせることも、誰かの喉に飛びこませることすら可能だ。数年前、この呪文が魔法界において横行した。誰かに無理強いさせられているか、自らの意思で行動しているのか、見分けることは難しい。
 魔法省は一苦労だった――『インペリオ』に抗うことは出来るには出来る。やり方を教えよう。無論、並大抵ではない。出来れば呪文をかけられぬようにする方がよい。油断大敵!」

 ムーディが最後に語気を荒げたので、クラス全員がびくっと飛び上がった。

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