13

 「他の呪文を知ってる者はいるか?」

 ハーマイオニーの手が再び高く挙がった。なんと、ネビルの手も挙がっていた。驚いてソフィアはそちらを見る。ネビルの授業態度は消極的だ。唯一、薬草学だけが彼の本領を発揮させていた。

 「何かね?」

 ムーディは魔法の目をぐるりと回して、ネビルを見据えた。ネビルは自分が手を挙げた勇気に驚いているようだった。

 「一つだけ――『磔の呪文』」

 ネビルは小さな、しかしはっきり聞こえる声で答えた。ムーディはネビルをじっと見つめ、彼のファミリーネームを確認した。「ロングボトム」の名に頷くネビルに、ムーディは小さく頷いて、そしてそれ以上の追及を止めた。
 ガラス瓶から二匹目の蜘蛛を取り出し、机の上に置いた。蜘蛛は恐ろしさに身が竦んでいるようで、じっと動かない。ムーディは蜘蛛を肥大させ、みんなに見やすいようにした。そして、

 「クルーシオ!《苦しめ》」

 蜘蛛の様子は酷さを通り越して痛みや哀れみすら生まれそうだった。脚が胴体に引き寄せるように内側に曲げられ、ひっくり返り、七転八倒し、わなわなと痙攣しだした。音は一切聞こえないが、蜘蛛はきっと悲鳴をあげているだろう。ムーディは杖を離さない。蜘蛛はますます激しく身を捩りはじめた。

「やめて!」

 沈黙を破る悲鳴は、ソフィアのすぐ横――ハーマイオニーのものだった。弾かれたようにそちらを見ると、彼女の目は蜘蛛ではなく、ネビルを見ていた。視線を追って彼を見る。ネビルは大人しかった。机の上で指の関節が白く見えるほどギュッと拳を握り締め、恐怖に満ちた目を大きく見開いていることを除けば。ムーディは杖を離す。蜘蛛の脚がはらりと緩み、余韻にひくついている。

 「レデュシオ!《縮め》」

 ムーディは萎縮呪文を唱えた。蜘蛛は元の大きさまで縮み、ガラス瓶に戻された。教室中がしんと静まり返っていた。ソフィアは正面に向き直るも、意識はネビルの方に向いていた。彼があんなに苦しむのは初めてだ。心配にならない筈がない。

 「苦痛」

 ムーディが静かに言った。

 「この呪文が使えれば、拷問に『親指締め』もナイフも必要ない」

 これも、かつては盛んに使われた。その言葉にヒヤリとしたものを感じる。蜘蛛でさえ、あんなにも惨たらしく感じたのに、昔は人に掛けられていたのだ。つい何年か前まで、そうだった。ソフィアは自分がとても平和な時期に生まれたのだと感じた。リーマスやシリウスはこの恐怖と闘っていたのである。

 「よろしい……他の呪文を何か知っている者はいるか?」

 ハーマイオニーはまた手を挙げた。しかし、どこか様子がおかしい――震えていた。

 「何かね?」

 ムーディがハーマイオニーを見ながら聞いた。

 「……『アバダ ケダブラ』」

 少しだけ躊躇して、ハーマイオニーは囁いた。何人かが不安げにハーマイオニーの方を見た。ロンもその一人だった。ソフィアは、その呪文が他の呪文とあきらかに何かが違うと感じた。何か、言いようのない、根本とか、存在が。

 「あぁ……」

 ひん曲がった口をさらに曲げて、ムーディが微笑んだ。

 「そうだ。最後にして最悪の呪文、死の呪いだ」

 ピク、とソフィアの肩が僅かに動いた。魔法の目が何ともなしにそれを見据えた。ムーディはガラス瓶に手を突っ込んだ。三番目の蜘蛛はなかなか出てこない。
 まるで未来がわかっているように、瓶の底を動き回っている。とうとう捕まり、蜘蛛は彼の手の中で脚をバラバラに動かした。机の上に置かれると、逃げるように端の方へと走っていく。ムーディが杖を振り上げた。

 「アバダ ケダブラ!」

 ムーディの声が轟いた。目も眩むような緑の閃光が走り、まるで目に見えない大きなものが宙に舞い上がるような、グォーという音がした。クモは仰向けにひっくり返り、足を胴体へ折り曲げて固く閉ざしている。外傷はないのに、紛れもなく――死んでいた。教室のあちこちから、女の子たちの声にならない悲鳴が響く。

――アバダ ケダブラ、死の呪い

 「よくない」

 ムーディは死んだ蜘蛛を机から床に払い落とし、静かに言った。

 「気持のよいものではない。しかも、反対呪文は存在しない。防ぎようがない」

 つまり、掛けられれば絶対的な死が訪れる――

 「これを受けて生き残った者はただ一人。その者は、儂の目の前に座っている」

 ムーディは両目でハリーを見据えた。皆もハリーを見た。幼く、魔法の基本すら理解できない時にハリーは「死の呪い」に出会い、抵抗し、破った。更に掛けようとした人物までも消滅させた。だから今、こうして有名人となっている。ソフィアは俯いて視線をハリーから外した。彼女は彼から両親の死の片鱗を聞いている。
 そう、彼は去年、その恐怖を繰り返し見ていたのだ。それがどんなに苦しくて辛かったかも、知っている。そして、ソフィア自身もそれを知っている。両親が自分を守るため、命を投げ打ってでも闇の帝王を欺いてくれた。未だ世間には知られていないソフィアの一つの秘密。

 「『アバダ ケダブラ』には強力な魔力が必要だ――お前たちがこぞって杖を取り出し儂に向けてこの呪文を唱えたところで、儂に鼻血さえ出させることができるものか」

 ムーディは厳かに言った。しかし、魔法の目は何故かソフィアを探るような動きを見せている。

 「何故見せたりしたのか、それはお前たちが知っておかなければならないからだ」

 やり方を教えに来たわけではない。反対呪文の存在しない呪い――つまり最悪の事態を、その存在を知らせるために。

 「せいぜいそんなモノと向き合わぬようにするんだな。油断大敵!」

 声が轟き、またみんな飛び上がった。ムーディは「アバダ ケダブラ」、「服従の呪文」、「磔の呪文」が世間でどのように見られているかを解説した。この三つの呪文は『許されざる呪文』と呼ばれ、同類であるヒトに対してこの内どれか一つの呪いをかけるだけで、アズカバンで終身刑を受けるに値すると言う。そして生徒たちに、どのように立ち向かうか、戦うかを述べた。

 「何よりもまず、常に、絶えず、警戒することの訓練が必要だ」

 それからの授業は三つの呪文それぞれについて、ノートを取ることに終始した。ベルが鳴るまで誰も一言も喋らない――が、ムーディが授業の終わりを告げ、みんなが教室を出るとすぐ、ワッとお喋りが噴出した。まるで素晴らしいショーを見たかのように、授業の内容を反芻している。

 ソフィアは無言で、さらに無表情でその様子を尻目に歩いていた。彼女はさっきの授業に楽しさなど見つけられなかった。むしろ、抱いたのは緊張と恐怖、疑問。面白いかもしれないが、生半可に囃すこともできない。どうやら、その気持ちはハリーとハーマイオニーも同じようだ。

 「早く」
 
 緊張した様子で、ハーマイオニーは三人を急かす。

 「また図書室か?」
 「違うわ」

 ロンの問いに彼女はぶっきらぼうに答え、脇道の廊下を指差した。

 「ネビルよ」

 その言葉でハッとする。授業中はひどく大人しかった彼の様子が脳裏に蘇った。ネビルは廊下の中ほどにポツンと立っていた。ムーディが「磔の呪文」をやって見せた時のように、恐怖に満ちた目を見開いて、目の前の石壁を見つめている。

 「ネビル?」

 ハーマイオニーが優しく話し掛けた。ネビルが振り返る。

 「やぁ」
 「大丈夫…?」

 ソフィアが訪ねる。彼の顔は青冷め、白かった。

 「大丈夫だ、よ?面白い授業だったよね…夕食の『出し物』、いや『食い物』は何だろう?」

 ネビルは不自然に甲高い声でベラベラ喋った。いつもと違うその饒舌振りに、ロンがギョッとする。

 「ネビル、いったい――」

 その時、背後で奇妙なコツッ、コツッという音がして、振り返るとムーディが足を引きずりながらやってきた。五人は黙り込み不安げに彼を見る。ムーディの声は、いつもよりずっと低く、優しい唸り声だった。

 「大丈夫だぞ、坊主」

 ネビルに向かってそう声を掛けた。

 「儂の部屋に来るか?おいで……茶でも飲もう……。お前が興味を持ちそうな本が何冊かある」

 ネビルは拝むような目で他の四人を見たが、誰も何も言わなかった。ムーディの節くれだった手を片方の肩に乗せられ、ネビルは仕方なく、促されるままについていった。

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