15
――三大魔法学校対抗試合
ボーバトンとダームストラングの代表団が十月三十日、金曜日、午後六時に到着する。授業は三十分早く終了し、全校生徒はカバンと教科書を寮に置き、「歓迎会」の前に城の前に集合し、お客様を出迎えること。
玄関ホールに掲示板が出現してから、ソフィアがどこへ行ってもたった一つの話題「参考対抗試合」の話で持ち切りだった。誰がホグワーツの代表選手に立候補するか、試合はどんな内容か、ボーバトンとダームストラングの生徒は自分たちとどう違うのか等。ソフィアも、クィディッチ・ワールドカップで出会ったボーバトン生のフラー・デラクールがホグワーツに来校するのかどうか知らなかったので、彼女にまた会いたいと思っている。
一週間が過ぎ、十月三十日になると、来校者たちを迎える準備と整え、ことさら念入りに大掃除されていた城がピカピカになったし、煤けた肖像画の何枚かが汚れ落としされた。描かれた本人たちはこれが気に入らず、額縁の中で背中を丸めて座り込み、ブツブツ文句を言っては、赤むけになった顔を触ってはギクリといていた。甲冑たちも突然、城内に差し込む陽光や松明の灯りを弾いて輝きだし、動くときも耳に痛いギシギシと軋まなくなっている。
壁には各寮を示す巨大な絹の垂れ幕がかけられている――スリザリンは緑地にシルバーの蛇、グリフィンドールは赤に金のライオン、レイブンクローは青にブロンズの鷲、ハッフルパフは黄色に黒いアナグマ。教職員テーブルの背後には、一番大きな垂れ幕があり、ホグワーツ校の紋章が描かれていた。大きなHの文字の周りに、ライオン、鷲、アナグマ、蛇が団結している。
その日一日は、心地よい期待感が辺りを満たしていた。夕方にボーバトンとダームストラングからお客が到着することに気を取られ、誰も授業に身が入らない。いつもは眠気で首がぐらつく「魔法史」が、今日だけは誰も眠らなかった。みんな、頭の中は午後六時のことでいっぱいだからだ。金曜日最後の授業「魔法薬学」で、いつもより三十分早く終業ベルが鳴ると、グリフィンドール生が一目散に教室を飛び出した。
誰もが興奮して、暗闇の迫る校庭を矯めつ眇めつ眺めたが、何の気配も無い。汽車か箒か、移動キーか、どうやってホグワーツまで来るのか生徒たちはざわついていたけれど、いつまでも全てがいつもどおり、静かに、ひっそりと動かなかった。
一体、いつ来るんだろう? 星の瞬きはじめた空を見上げながら、宙に吐いた息が淡く白く色付く。すると、森の上空で、濃紺の空を飛ぶ何かが見えた。目を凝らしてそれを見ていると、ダンブルドアが先生方の並んだ最後列から声を上げた。
「ほっほー! わしの目に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近付いて来るぞ!」
ざわめきが一際大きくなる。生徒たちがてんでばらばらな方向を見ながら熱い声をあげる中、「あそこだ!」と六年生が指差した先を、全員が見上げた。何か大きなもの……箒よりもずっと大きい――箒何百本分より大きい何かが、城に向かってぐんぐん疾走してくる。ドラゴンだ! 空飛ぶ家だ! と憶測が飛び交う間にも、ボーバトン代表団の影は更に近付き、巨大になっていく。黒い大きな影が禁じられた森の梢をかすめたとき、城の窓明かりがその影を捉えた。
巨大なパステル・ブルーの馬車が姿を現した。大きな館ほどの馬車が、十二頭の天馬に引かれ、悠然とこちらに飛んでくる。天馬は金銀に輝くパロミノで、それぞれが象ほども大きい。
馬車が高度を下げ、猛烈なスピードで着陸態勢に入ったので、前三列の生徒が後ろに下がった――ドーン! という衝撃音とともに、ディナー用の大皿よりも大きい天馬の蹄が、地を蹴った。その瞬間、ネビルが衝撃を受けて後ろへ吹き飛び、足を踏まれたスリザリンの五年生が「何するんだよ、ノロマ!」と罵るのが宵に紛れる。直後、馬車も着陸し、巨大な車輪がバウンドした。金色の天馬は、太い首をグイッともたげ、火のように赤く燃える大きな目をぐりぐりさせている。
馬車の戸には金色の杖が交差し、それぞれの杖から三個の星が飛んでいる紋章が描かれており、その戸が開くと中から淡い水色のローブを着た少年がまず馬車から飛び降りた。金色の踏み台を馬車の戸口に用意して恭しく退くと、ピカピカの黒いハイヒールの片方が金色の踏み台をカツン、と踏んだ。
子どものソリほどもある靴に、ホグワーツ生はみんな目を瞠った――けれど、続いて現れたヒールを履いた女性の姿に、今度は呆気に取られて口をだらしなく開いた。みんな首を後ろに曲げて、空を見上げるように女性を見仰ぐ。「あんなので踏まれたんじゃなくてよかったよ」と馬車が着陸した衝撃で、吹っ飛んだネビルに足を踏まれたスリザリンの五年生が、戦々恐々と呟いた。
「すごい……」
近くでハーマイオニーが唖然として呟くのを聞いて、ソフィアも同意する。この女性よりも大きな人を、ソフィアはハグリッドしか知らない。ヒールを脱いだとしても、とても大きいだろう。
玄関ホールから溢れる光の中に、その女性が足を踏み入れたとき、小麦色の滑らかな肌に瓜実顔が照らされた。潤んだ黒い瞳、つんと尖った鼻。髪は引っ詰め、低い位置に艶やかな髷を結い、頭の天辺からつま先まで黒繻子を纏い、いくつもの見事なオパールが襟元と太い指で光を放っている。ダンブルドアが歓迎の拍手をすると、それにつられて生徒も一斉に拍手した。
女性は表情をやわらげ、優雅に微笑む。そしてダンブルドアに近付き、煌めく片手を差し出す。ダンブルドアも背は高かったけれど、女性の手に接吻するのにほとんど体を曲げる必要が無かった。
「これはこれは、マダム・マクシーム。ようこそホグワーツへ」
「ダンブリー・ドール。おかわりーありませーんか?」
「お陰さまで、上々じゃ」
ダンブルドアの挨拶に、マダム・マクシームが深いアルトで答えた。マダム・マクシームを見上げたダンブルドアが、二回ほどおっとりと頷き、嗄れた声で言うと、マダム・マクシームはきゃだいな手の片方を無造作に後ろに回して、ヒラヒラと振る。
それが合図のように、十数人の女学生が馬車から降りてマダム・マクシームの背後に立った。代表団と言うこともあり、立候補者たちが集められているのか、みんな大人びた顔つきをしている。大体、十七、八歳くらいだろうか。彼らは薄物の絹のようなローブしか着ていなかったため、寒がって震えていた。フラーはこの集団の中にいるのかしら? とソフィアは生徒たちの一人ひとりをよく観察したけれど、何人かはスカーフを被ったりショールを巻いたりしていて、顔はほんの僅かしか見えなかったので、分からなかった。ただ、みんな不安そうな表情でホグワーツを見つめていることだけは理解した。
ダンブルドアの計らいで、ボーバトンの代表団はダームストラングの到着を待たずに城中で暖を取ることになり、一行はマダム・マクシームに連れられて樫の木扉を潜って、ホグワーツ城へ入っていってしまった。校庭に残された天馬は、ハグリッドが世話を受け持つことになっているらしい。
ダームストラング一行を待ち続けて数分間、静寂を破るのは天馬の鼻息と地を蹴る蹄の音だけだった。しかし、突如グリフィンドールの列から「なにか聞こえないか?」とロンが叫んだ。耳を澄ませば、確かに闇の中からこちらに向かって、大きな、言いようのない不気味な音が伝わって来る。まるで巨大な掃除機が川底を浚うような、くぐもったゴロゴロという音、吸い込む音……。
「湖だ! 湖を見ろ!」
そこは芝生の一番上で、校庭を見下ろす位置だったので、湖の黒く滑らかな水面がはっきりと見渡せる。凪もせず、ただそこにあるだけの湖の水面が突然割れると、中心の深いところで何かがざわめき、徐々に波立ちはじめ、大きな泡が表面に湧き出した。波が岸の泥を洗った時、湖の真ん中が渦巻き始め、更にその中心部から帆柱がゆっくり迫り上がってきた。
月明かりを受けながら堂々と水面下から姿を現したその全貌は、まるで引き上げられた難波線のような、骸骨のような感じがする船である。岸に向かって滑り出す丸い船窓から見えるほの暗い明かりが、いくつも闇の中に浮かんでいた。浅瀬に錨を投げ、タラップが岸に下されると乗員が下船して来て、船窓の灯りを過ぎるシルエットが見えた。
芝生を登りきり、玄関ホールから流れ出る明かりの中に入って来た一行は、分厚い毛皮のマントを着ており、その先頭に立って全員を率いている男だけ、男の髪と同じく、なめらかな銀色の毛皮を纏っている。
「ダンブルドア! やあやあ。しばらく。元気かね?」
「元気いっぱいじゃよ。カルカロフ校長」
挨拶を交わすカルカロフの声は、耳に心地よく、上っ滑りに愛想が良い。ダンブルドアと同じく痩せた、背の高い男で、短い銀髪に先の縮れた山羊髭を蓄えている。
「懐かしのホグワーツ城。ここに来れたのは実に嬉しい……ビクトール、こちらへ」
城の正面扉から溢れ出る明かりで身を照らし、そして一人の生徒を差し招いた。
――ロンが飛び上がった。
同じく一部の生徒がざわついた。視線はダームストラング生に注がれ、しかし本人は無関心に通り過ぎている。曲がった目立つ鼻、濃い眉、無愛想な表情は、今は帽子と襟に隠れていた。ロンに囁かれる必要もない。ソフィアもハリーもハーマイオニーも、他の生徒もほとんどが知っている顔だ。
「クラムだ!」
誰かが叫んだ。