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金の皿が、宴が始まる前のようにピカピカの状態に戻ると、ダンブルドアが再び立ち上がった。心地よい緊張感が、いましも大広間を満たす。宴を楽しむお喋りが真夜中のように静まり返り、息遣いだけが大広間を包む。

 「時は来た」

 ダンブルドアが、自分を見上げている顔、顔、顔に笑いかけた。ソフィアはその壮言に、興奮がゾクゾクと背中を駆けあがって来るのを感じた。

 「三大魔法学校対抗試合は、まさに始まろうとしておる――説明に入る前に、こちらのお二人を諸君にご紹介しよう。国際魔法協力部、バーテミウス・クラウチ氏」

 クラウチ氏は、にこりともせず、手を振りもしなかった。儀礼的な拍手がパラパラと起こったが、ソフィアにとってはクィディッチ・ワールドカップの切符を手配してくれた人だとキングズリーから聞いていたので、またお目にかかることが出来て嬉しく思い、ソフィアは彼にたくさん拍手を送った。

 ちょび髭を指で撫でる仕草をしたクラウチ氏は、大勢の生徒達の中からソフィアを見つけ出したようで、数秒間視線を合わせ、僅かに会釈をしてきた。ソフィアもそれに応じると、ダンブルドアが「そして、魔法ゲーム・スポーツ部部長、ルード・バグマン氏じゃ」と紹介する。

 すると、バグマンは、ビーターとして有名だったからなのか、ずっと大きい拍手で出迎えられた。もしかしたら、お堅い印象のクラウチ氏とは異なる人好きのする容貌が原因なのかもしれないが。バグマンは、陽気に手を振って拍手に応えている。

 「お二方は、カルカロフ校長、マダム・マクシーム、それにこのわしとともに、代表選手の健闘ぶりを評価する審査委員会に加わってくださる」

 「代表選手」の言葉が出た途端、熱心に聞いていた生徒たちの耳が一段と研ぎ澄まされた。ソフィアは、生徒達に籠っていた熱気が溢れ、大広間の温度が上がったような感覚を覚えていた。更にしんと静まり返り、張り詰めたような雰囲気が漂っていることに気付いたのか、ダンブルドアがにっこりしながら続ける。

 「それでは、フィルチさん、箱をこれへ」

 大広間の隅に、誰にも気付かれず身を潜めていたフィルチが、宝石をちりばめた大きな木箱を捧げ、ダンブルドアの方へ進んだ。見たところ、かなり年季の入った古い箱である。

 「代表選手たちが今年取り組むべき課題の内容は、すでにクラウチ氏とバグマン氏が検討し終えている」

 ダンブルドアが言い、フィルチが木箱を恭しくダンブルドアの前のテーブルに置いた。

 「さらに、お二方は、それぞれの課題に必要な手配もしてくださった。課題は三つあり、今学年一年間にわたって、間をおいて行われ、代表選手はあらゆる角度から試される――魔力の卓越性――果敢な勇気――論理・推理力――そして、言うまでもなく、危険に対処する能力などじゃ」

 この最後の言葉で、大広間が完璧に沈黙した。
 息をする者さえいないかのように。

 「皆も知っての通り、試合を競うのは三人の代表選手じゃ。参加三校から各一人ずつ。選手は課題の一つひとつをどのように巧みにこなすかで採点され、三つの課題の総合点が最も高い者が、優勝杯を獲得する。代表選手を選ぶのは、公正なる選者……」

 言葉を綴りながら、ダンブルドアは杖を取り出し、木箱の蓋を三度叩く。蓋は、軋みながら独りでにゆっくりと開いた。ダンブルドアは、箱に手を差し入れ、中から大きな荒削りの木のゴブレットを取り出す。それは、今このテーブルに並んでいる金の皿やゴブレットにも見劣りするような、見栄えのしない、ただの杯のように見えたが、その縁から溢れんばかりに青白い炎が躍っている。生徒全員がゴブレットを目視しているのを、大広間全体に目を滑らせることで確認したダンブルドアは、公明正大に陳ずる。

 「――『炎のゴブレット』じゃ」

 誰かが息を呑んだ。それすらも聞こえるほど、ソフィアも息を潜めてダンブルドアの話に耳を傾け、葡萄色の双眼を真っ直ぐ彼に向けていた。

 いよいよ、始まる。長い一年が、盛大な行事が。癒療員として、ソフィアはどこまで携わることが出来るのだろう。一年をかけて、一年が終わるころ、どれほど大きく成長出来ているのだろうか。ゴブレットの縁で静かに燃え踊る炎のように、ソフィアの胸も期待で打ち震えた。

 「代表選手に名乗りを上げたい者は、羊皮紙に名前と所属校名を明確に書き、このゴブレットの中に入れなければならぬ。立候補の志ある者は、これから二十四時間の内に、その名を提出するよう。明日、ハロウィーンの夜に、ゴブレットは、各校を代表するに最もふさわしいと算段した三人の名前を、返してよこすであろう。このゴブレットは、今夜玄関ホールに置かれる。我と思わん者は、自由に近付くがよい」

 閉められた木箱の蓋の上にそっと乗せられたゴブレットから、今や誰も目を離せなかった。十七歳以上も、十七歳以下も、魅せられたかのように『炎のゴブレット』へ視線を注ぐ。

 「年齢に満たない生徒が誘惑に駆られることのないよう。『炎のゴブレット』が玄関ホールに置かれたなら、その周囲にわしが『年齢線』を引くことにする。十七歳に満たない者は、何人もその線を越えることは出来ぬ」

 最後に、ダンブルドアは立候補しようと考えている者に告げた。軽々しく代表選手に名乗りを上げてはいけない、と。

 「『炎のゴブレット』に選ばれた者は、最後まで試合を戦い抜くという魔法契約によって拘束されることじゃ。代表選手になったからには、途中で気が変わるということは許されぬ。じゃから、心底競技する用意があるのかどうか確信を持った上で、ゴブレットに名前を入れるのじゃぞ。さて、もう寝る時間じゃ。皆、おやすみ」

***
 
翌日は土曜日で、普段なら遅い朝食をとる生徒が多いはずだった。しかし、今日は皆が皆、この週末はいつもよりずっと早起きをして、玄関ホールの『炎のゴブレット』を見に行っている。ゴブレットに名前を入れる生徒や、誰が代表選手に立候補するのか見に行く生徒。「ソフィア、ボーバトンの人たちが来たみたい」とハーマイオニーに声をかけられ、正面玄関へ向き直る。

 正に、校庭からボーバトン生たちが樫の木扉を通ってホールに入って来るところだった。その中に、フラーがいた。「炎のゴブレット」を取り巻いていた生徒たちが、一行を食い入るように見つめながら、道を開ける。

 マダム・マクシームが生徒の後からホールに入り、みんなを一列に並ばせた。フラーが列の最後尾に並んだ。ボーバトン生は一人ずつ「年齢線」を跨ぎ、青白い炎の中に羊皮紙のメモを投じていく。名前が入るごとに、炎は一瞬赤くなり、道を開けた。

 最後にフラーが「炎のゴブレット」に名前を投じたとき、彼女がふと視線を上げ、大きなブルーの瞳に階段の上から見下ろしているソフィアを映し出した。はっきりと姿を捉えた時、フラーは深い海色の目を大きく見開いて、パッと輝くような笑顔になった。

 マダム・マクシームが一行をホールから連れ出そうとする中、フラーがマダム・マクシームに何やら話しかけている。黒々としたマダム・マクシームの双眼がソフィアを見て、再びフラーに戻ると、彼女はゆっくり首を縦に振った。

 ボーバトン生は、マダム・マクシームに連れられて校庭へと再び出て行ったが、フラーだけはあの溢れんばかりの美貌に笑顔を貼りつけ、真っ直ぐソフィアの方へ走って来た。ゴージャスなシルバーブロンドを、たおやかに靡かせながら。そして両腕を伸ばして叫んだ。

 「ソフィア!」
 「フラー」

 向かってくる彼女に、ソフィアの心も踊った。晴れやかな笑みを浮かべたソフィアも、片手を伸ばしてフラーを迎える。首裏にフラーの両腕が巻き付けられ、ソフィアもフラーの背中に腕を回し、二人は再会を喜び合った。ハロウィーンの朝のことである。

 「あなーたを探していまーした!」

 ぎゅうぎゅうと体を締め上げてくる両腕から解放されると、次は再会を喜ぶフラーからのキスの嵐だった。白銀の髪をかき分けられ、顔がはっきり彼女に見えるようにされ、額に、瞼に、鼻に、頬に、顎に。熱烈な抱擁の後に、熱烈なキス。ソフィアは、彼女にどう反応して良いのか分からず、戸惑ってされるがままになっている。

 「やっと会えまーした。あなーたがオグワーツだと知っていまーしたから、探していまーした!」

 恍惚の表情で見つめられ、頬を滑る掌は何度も首筋と頬を繰り返し撫でた。

 「私もボーバトンがホグワーツに来るって聞いて、あなたも来るんじゃないかってずっと待っていたのよ。会いたかったわ」

 「あぁ……」と目尻を下げて、フラーはもう一度ソフィアを抱きしめた。ソフィアの隣でパチパチと茶色の目を瞬かせているハーマイオニーのことは、視界にも入っていないようだ。ハーマイオニーは、不思議そうにひたすらソフィアとフラーを交互に見つめている。

 「ガブリエルに会いませーんか?」
 「ガブリエルも来てるの?」
 「イエース! ガブリエルもソフィアを恋しがっていまーした。馬車にいまーす」

 「行きまーしょう」と半ば強引に腕を取られ、大理石の階段を一段降りると、ハーマイオニーと繋いだままでいる手が、それ以上進むのを遮った。

 「待って、フラー」

 既に校庭へと歩き出そうとしていたフラーは、ソフィアに呼び止められて振り返ると、ようやくハーマイオニーの存在に気が付いたみたいだった。フラーは彼女を視界に入れると彼女の頭の先から爪先までをじろりと一瞥し、あからさまに嫌そうに顔を歪めた。

 「いいよ、行ってきたら?国際交流も大切よ」

 フラーのあからさまな態度に呆れつつも、ハーマイオニーはソフィアの手を離し、階段を降りて大広間に戻って行った。

 「行きまーしょう!」

 フラーが歩くと、玄関ホールに集まっていた生徒たちが行く道を次々と開け、その道を背筋を伸ばしたフラーが堂々と歩く。ソフィアもフラーに連れられ、「炎のゴブレット」の真横を通る。扉を潜り抜ける時、その付近にいたハリーとロンは、呆然と立ち尽くして口を半開きにし、フラーとソフィアが去って行くのを言葉も無く見つめていた。

 「ガブリエルを連れーてきても? あの子は、外で遊びたがっていまーす」
 「曇っているけど、いいの?」
 「もちろんでーす! 雨が降ったら、馬車に行きまーしょう」

 禁じられた森の近くまで行くと、端にあるハグリッドの小屋から二百メートルほど離れたところにパステル・ブルーの馬車が止められていた。馬車を引いて来た像ほどもある天馬は、馬車の脇に設えた急ごしらえのパドックで草を食んでいる。

 「こちーらです」

 フラーは金色の踏み台を上がり、ソフィアをパステル・ブルーの扉の奥へ誘う。外観はただの馬車なのに、内装はとても素晴らしく、ソフィアはボーバトン生の美しい住まいに言葉を失っていた。

 扉を開けてまず視界に入ったのは、ホグワーツの玄関ホールにあたる場所の中央にある豪華な三段噴水。穏やかに吹き上がる水飛沫が、宝石のように眩しく煌めいている。落ちて来る水を受け止める台座には、「癒しと美しさの象徴」と書かれていた。けれど美しいのは、噴水だけではない。壁には、交差した杖から噴出された満天の星々が散って輝いている。そして、各部屋の扉にはバラのアーチ。

 「すごく素敵……」
 「当たりまーえです。ガブリエルを連れてきまーすから、待っていーてくださーい」

 フラーは、三段噴水の奥にある黄金の階段を上って行った。ガブリエルが連れられてくるのを待つ間、ソフィアは丸く繰り抜かれた窓の外を眺めた。

 「ソフィア、お待たせしまーした」

 空を眺めていると、フラーの声がして振り返る。フラーが左手にピクニックバスケット、右手はガブリエルと手を繋いで階段を下りてきた。

 「ガブリエル、久しぶりね」

 ブルーのリボンで首元を飾る毛足の長いテディベアを抱っこしているガブリエルは、ソフィアに可愛らしい笑顔を見せてくれた。

 「ソフィア!」

 階段を下りたガブリエルは、先ほど再会した時のフラーのようにこちらに向かって走って来た。ソフィアは、膝を曲げてしゃがみ込み、駆け寄って来た幼いガブリエルを抱きしめた。

 「ボンジュール、ソフィア」
 「ボンジュール、ガブリエル」

 ガブリエルとの再会もひとしきり楽しんだ後、彼女たちはホグワーツの湖へ向かった。

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