21
日曜日の朝。いつもより遅くに目が覚めた。昨日の就寝前に考え事をしてたせいかもしれないし、
未だ冷めやらぬ『四人目の代表選手』の噂のせいかもしれない。そう思いつつ支度を始めた。ハーマイオニーは既に居なかったと言うことは、自分で起きたらしい。すると彼女はもう朝食を食べているかもしれない。ハリーとロンにも会っているかも――
カーディガンに腕を通し、支度が整ったことを鏡で確認してから、ソフィアは部屋を後にした。既に朝食を済ませた生徒が談話室でお喋りをしている。その横を通り抜け、肖像画の扉を押し開き、軽い足取りで大広間に向かう。
ふと、視界を掠めたものに足を止めた。ハリーとハーマイオニーである。2人は大広間には目もくれず、玄関ホールから外に出ようとしていた。ハーマイオニーの手にナプキンに包んだトーストがある。外で食べるつもりなのだろうか。
数瞬の停止、同時進行で脳内議論。ハーマイオニーはハリーとロンの現状を悟って、既に行動していた。おそらく、大広間に入った折に1人で下りてきたロンを見つけたか会ったしたのだろう。彼の様子から、今すぐにハリーと接触するのは控えた方が賢明だと判断したのかもしれない。このような考えがすぐに浮かんだのは、やはりソフィアも同じ事を思案していたからだろう。ハーマイオニーの気持ちは、今の彼女に同調している。
ならば、自分が今やることは――
「おはよう、ロン」
食堂に入ると、グリフィンドールのテーブルの一番端っこに背の高い赤毛を見つける。何か考え事をしているのか、それともふてくされているだけか、ソフィアが見ている限りではスープの皿をスプーンでかき回し続けている。心ここにあらず、という様子だ。
「……ソフィア?」
声を掛けると、ロンの目がゆっくりとこちらに向けられた。ソフィアは優しく笑みを作る。
「うん。…おはよ」
「よく眠れた?」
「いや……」
歯切れの悪い返事だ。ソフィアは肩を竦め彼の隣に座る。目の前には柑橘類の粒が入ったヨーグルトとベーコンエッグ。アプリコットのジャムをたっぷりスコーンに塗りたくり口に運ぶ。甘酸っぱいジャムとスコーンをじっくり咀嚼し、手前のグラスにミルクをついだ。
「……よく食べるね」
「そう?」
「うん、珍しいくらいだよ」
ソフィアはきょとんと首を傾げる。それでも口は動くのを忘れない。彼女はどちらかと言えば少食である。朝は薄いトースト一枚にサラダが常だ。しかし今日はプレートに更なる副菜も乗せている。
「いいじゃない、こういう時があったって」
「気を使わせてるかい?」
「……まぁね」
答えると、ロンは肩を竦め苦笑した。つられてソフィアも笑う。食事の手を止めて、ソフィアは身体をロンに向けた。真っ直ぐに彼を見据え、厳かに問い始める。
「ハリーと話した?」
「話したって、なんのことだよ」
ロンは、トーストを包んだ紙ナプキンを無造作に千切っては、指先でくるくる丸めては石畳が敷き詰められた地面へそれを放る。そんなロンを、シルヴィアが黙って見つめ返すと、ロンは「あーもう、分かったよ」と赤毛をぐしゃぐしゃ掻き撫ぜてため息を吐く。
「ハリー、ハリー、ハリー。一年生の頃から、いつも注目を浴びるのはアイツばっかり。僕なんかハリーを引き立てるためだけのお飾りさ。今回だってそうだ……誰も越えられなかった『年齢線』を超えて、しかも代表選手にまで選ばれた。期末テストは受けなくて済むし、おまけに優勝すれば賞金一千ガリオン。僕にだけは、どうやってゴブレットに名前をいれたのかくらい教えてくれたっていいのに」
吐き捨てるように言うなり、ロンは歯形のついた残りのトーストを口の中に無理やり押し込んだ。昂る感情のままに口いっぱいに頬を膨らませて激しく咀嚼して一気に飲み込み、再びのたまう。
「日刊預言者新聞に、ニッコリ笑顔で載るんだろうな。規則を破ったくせに、まるで英雄みたいな記事で褒めそやされてさ。ああ、そうだった実際アイツは英雄じゃないか。生き残った男の子、額の稲妻型の傷跡は、名誉の勲章だよ。それどころか――! 僕は――!」
僕は、ただのロナルド・ウィーズリーでしかない。ハリーのように、クィディッチの選手でもなければ、蛇語も話せない。生き残った男の子でもなければ、稲妻型の傷跡も無い。あるのはそばかすだけ。
ロンは膝に肘をつき、頬杖をついてそばかすの散らばる顔に爪を立てた。
前屈姿勢になって丸くなったロンの背中に、ソフィアはおずおずと腫れ物に触るように手を伸ばした。これが同情や慰めに捉われないか、少しだけ不安だったのだ。今のロンにとって、同情や慰めほど惨めに感じてしまうだろうから、手を払い除けられるのでは無いかと思った。しかし、そっと触れた手は、そこを撫でることを許してくれた。
「どうしてそんなに自分を過小評価するの? ロンの良いところを挙げたら、キリがないくらい、あなたは素敵な人なのに」
「……例えば?」
「いつも笑わせてくれて、元気にしてくれる。それに友達に対して義理堅いわ。どんなことがあっても、あなたは力になってくれるし、助けてくれる。自分を投げ打ってでも、守ってくれる」
一年生の時、ハーマイオニーとソフィアが、女子トイレでトロールに襲われたとき。二年生の時、ハーマイオニーがドラコに『穢れた血』と呼ばれた時、ハリーがスリザリンの継承者に疑われた時も。ジニーが攫われた時だって。三年生の時は、スキャバーズを必死に守ろうとしたし、脚を骨折しながらも身を挺してシリウスからハリーを庇った。
一つ一つを思い出しながら話していると、ロンは居心地悪そうに身動ぎをして、頬に立てていた爪で気まずそうにこめかみを掻いた。眉間に刻んでいた皺を無くし、あちこちに視線を泳がせては、ほんのり頬を赤毛のように火照らせている。「もういいって、やめてくれよ」と体をムズムズ擽るソフィアの言葉に、ロンが痺れを切らして止めるまで、ソフィアは喋り続けた。
「それに、チェスが上手いわ」
恥ずかしそうに肩を竦めて首を引っ込め、頬杖をついていた手はいつの間にか膝頭の間に挟んで俯く彼に、ソフィアはくすくす笑って最後の追撃を落とすと、ロンはやっと薄くだが笑ってくれた。
「そうだった。僕は、ハリーよりもチェスが強い。マクゴナガルにも勝っちゃうくらいにね」
賢者の石を守るために、マクゴナガルが仕掛けた人間大の駒を相手に戦う「魔法使いのチェス」に、ロンは当時一年生ながらにして勝ったことがある。忘れていた記憶を掘り起こして、ロンが得意げに言うのにソフィアは「うん」と頷いて微笑む。
「本当に、ハリーが自分で名前を入れたと思っているの?」
張りつめた雰囲気が束の間に和らいだが、ソフィアはその空気を自ら破った。ロンの背骨を辿って背中を撫でていた手を離し、白銀の髪を耳に引っかけながら問う。案の定、やっと表情をほころばせたロンの顔からスッと笑顔が消え、ロンは革靴を履いた彼自身の爪先を見下ろす。
「……思ってない。ただの僕のこじつけだよ。怒るためのね。でも受け入れられないんだ」
頭では分かっている。ハリーが注目を浴びることを望んでいないことくらい。しかしみんながハリーを見る時、ロンはいつも添え物扱いだった。それでも、恨みつらみを飲み込んで、ずっと耐えてきた。
それもこれも、ロン自身の自尊心の無さからくるもので、常に周囲の人間に対して引け目を感じていたからだ。優秀な兄たち、可愛い末の妹に挟まれ、新品でピカピカのローブや学用品を持つ友達、親友の一人は、魔法界で知らない人はいないくらいの有名人、もう一人は学年主席。そんな人たちに囲まれ、丈の合わない古いローブや学用品が、更にロンの自信を奪っていくのである。
けれど今回ばかりは、我慢の限界だった。
今まで耐えてきたものが決壊してしまった。
隣で深く頭を垂れこめてため息を吐きだすロンを、ソフィアはただ黙って見つめる。何かを言わなくても、ロンは全部分かっている。ハリーが代表選手に選ばれたことが何を意味するのか、そしてホグワーツで起ころうとしている新たな異変の気配さえも。けれど、ロンはまだハリーの顔を見ると嫌味を一つ二つぶつけてしまいたくなる衝動にかられてしまうのだろう。今は嫉妬心ばかりがロンを占めていて、冷静に物事を考えられる状態じゃなかった。二人の険悪な関係があんなに長引くとは、この時は思ってもいなかったが。