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その後、薬草学の授業に戻ったソフィアは特に変わった様子を見せまいと、平然とした様子で授業を受けた。ソフィアは談話室を見回した。ハリーの姿はない。あったとしても、ハリーはもう夕食を済ませてしまっていただろうが。
駆け足で大広間まで下り、寮席のすみで夕食をかきこんで、ソフィアは医務室に向かった。ハーマイオニーはまだ医務室にいる気がする。
「マダム・ポンフリー。ミス・グレンジャーは…?」
「ああ、エムリス。今から寮へ帰そうと思っていたところですよ」
校医はソフィアに愛想よく言って、ハーマイオニーを連れてきた。前歯がすっかり元通りのハーマイオニーが、ソフィアを見てはにかんで笑った。
「マダム、ありがとうございました」
「気をつけて帰りなさい」
ハーマイオニーと連れ立って医務室を出る。ソフィアはハーマイオニーを覗き込んだ。
「もう大丈夫…?」
「ええ。ソフィア、ありがとう」
「お礼を言われるようなこと、してないわ」
ソフィアはにっこり笑った。つられて笑ったハーマイオニーを見て、ソフィアは違和感を感じる。
「ねえ、ハーマイオニー?」
「どうしたの?」
「なんか、変わった…?いつもより、その、可愛い気がする」
「ああ」
ハーマイオニーはまたにっこりする。それでソフィアは気付いた。
「前歯が小さくなってるっ」
「そうなの。マダムが歯を縮める魔法をかけてくれたんだけど、わたしちょっと余分にやらせてあげたのよ」
自分の頬を撫でるハーマイオニーは上機嫌だ。
「両親は気に入らないと思うわ。二人とも歯科医だから、歯列矯正のブレースを続けさせたがってたの。でもあれってむずむずして痛いし…。だから、そういう意味では――」
ハーマイオニーは不敵に笑った。
「マルフォイの行動は、まあ、グッジョブよ」
災い転じて福と為す。ハーマイオニーは転んでもただでは起きない女の子だと、ソフィアは再認識した。
***
それからの二週間はじわじわと過ぎていった。ハリーへの周囲の目は相変わらずだ。
ワールドカップで闇の行進があったり、ハリーが代表選手に選ばれたり、『セドリックを応援しよう』バッジが作られたり、グリフィンドールとスリザリンがこれまでになく激しい対立をしていたり……。八月から十一月までの三か月間、色々なことがありすぎた。全ての要素が尾を引くようにソフィアの中で渦巻いている。
ハーマイオニーがハリーをソフィアの隣に座るよう促すと、ハリーは力なく微笑みながらも周囲を気にする素振りを見せて座り、背中を丸めた。「やっぱり透明マントを持ってくるべきだったんじゃないかな?」と言うハリーに、ハーマイオニーも図書館にいる生徒たちを見回す。
「気にし過ぎよ。みんな本に夢中で、誰もあなたのことなんて気にして無いわ。寧ろ私たちがここに来たことにすら気付いてないわよ」
もう何度も同じ質問に答えたわ、と言いたげにハーマイオニーはため息交じりで『基本呪文集・四学年用』を荒々しく机の上に置いた。ソフィアも図書館を見渡して見るが、確かに誰もこちらを気にしている人はいない。現に、ハーマイオニーに声をかけられるまでソフィアも二人に気付かなかった。
ハリーは今、これまでになく真っ暗な地平線の上に一人で立たされている気分だった。ホグワーツの代表選手に予期せず選ばれてしまったことや、着々と迫りくる第一の課題に何が待ち受けているのかと言う恐怖がジリジリと胸に食い込み始めているのだ。それがまるで、ハリーの前にうずくまり、行く手を塞ぐ怪物のようで……。
おまけに、十日前に出た日刊預言者新聞に掲載されたリータ・スキーターの三校対抗試合の代表選手インタビューでハリーの人生を散々に脚色した記事が出てしまったことにより、更に状況を悪化させていたのである。もちろん、ソフィアはあんな記事などデタラメだと思っているけれど、ハリーにとっては未だに恥ずかしさで胃が焼け、吐き気まで覚えるほど虫唾が走ることだった。
襟首にかかるクシャクシに跳ねている襟足が震えている気がして、ソフィアは思わずハリーの髪に指を絡ませる。神経を張りつめさせているハリーがあまりにも気の毒で、「第一の課題はドラゴンよ」という言葉が喉元までせり上がってきてしまいそうだった。何て言葉をかけようか考えている内に、何も言えなくなってしまったソフィアは、ハリーを挟んで隣に座っているハーマイオニーと視線を交わし、二人でぎこちなく笑みを浮かべ合う。
「私、分かっているわ。ロンがいなくてあなたは寂しがっているし、ロンも――」
「ロンがいなくて寂しいだって?」
様子を見かねたハーマイオニーが口を開くが、ハリーは瞬時に反応して顔を上げた。
「そんなことあるはずない」
「……ロンだって寂しいのよ! ハリーだってロンがいなくて寂しいくせに」
真っ向から否定するハリーに、ハーマイオニーは目くじらを立てて言った。鼻息荒く言い放ち、そっぽを向いた彼女にソフィアは苦笑するほか術が無い。ハリーはハリーで、ロンはロンで悩んでいるのと同じように、ハーマイオニーも彼女なりに頭を悩ませていた。二人の間を行ったり来たりしてどうにか仲裁へ導こうと努めたが、ハリーもロンもそれを頑なに拒み続けている。悩みは違うけれど、それぞれに。それはソフィアにも当てはまることだった。
「ああ、もう違うじゃない。ハリー、私たちはお喋りしにここへ来たわけじゃなかったはずだわ。『呼び寄せ呪文』とか、第一の課題についてとか、シリウスのことについても、考えなくちゃいけないことが山ほどあるのに」
傷跡が痛んだことをシリウスに報告した以降、彼と何度かふくろう便のやり取りを交わしたらしい。そしてハリーが代表選手に選ばれてしまったことを書いた手紙の返事が来て、十一月二十二日のホグズミード休日の夜に寮で会うことになったという。どうやってシリウスがグリフィンドール寮へ来るのか定かではないが、ハリー一人で待つように言われ、誰かが談話室に残っていた時に、どうやって締め出すかを考えていたと話してくれた。
最悪の場合『糞爆弾』を一袋投下することに落ち着き、『呼び寄せ呪文』の習得や第一の課題に集中することにしたようだ。
「嘘、あぁ、やだ……またあの人だわ。どうしていつもここにいるのかしら……」
突然ハーマイオニーが図書館内のある一点に視線を留めたかと思えば、『基本呪文集・四学年用』を手繰り寄せ、顔を隠して体を縮込めた。
ハーマイオニーの視線の先には、クラムがいた。「また」という言葉からして、ハーマイオニーはかなりの頻度で彼を見かけているのだろう。近頃は図書館に訪れる機会が多かったソフィアも、度々クラムの姿を目撃していたし、彼の追っかけをしている女の子達がコソコソしているのも知っている。クラムは静かに本棚から本を抜き取って静かに立ち読みしているだけだったし、騒いで迷惑もかけないし、特別ハーマイオニーに何かをしたわけでも無いのに、彼女は執拗にクラムを避け続けていた。
「ハーマイオニーはクラムが嫌いなの?」
「別に嫌いじゃないけど、気が散るのよ。ここは図書館なのに、彼の取り巻きの女の子達ったら本も読まないし、勉強もしないで本棚の陰からずうっとクスクス忍び笑いをしているだけなんだから」
「それに、あの人ハンサムでもなんでもないじゃない!」ハーマイオニーは二つ並んだ瞳だけを覗かせ、険しい横顔をしているクラムを睨みつけた。
「みんなが夢中なのは、あの人が有名だからよ! ウォンキー・フェイントとかなんとかいうのが出来ない人だったら、みんな見向きもしないのに――」
「ウロンスキー・フェイント」
ハーマイオニーの間違ったクィディッチ用語を正したハリーは、唇を噛んでいた。丸いメガネの奥の目を伏せたハリーに、ソフィアの胸が痛んだ。いよいよ差し迫っている第一の課題、各寮からの批評。せめて……せめて彼が、ロンがいたらどんなにハリーを心強くさせるだろうと思うと、また胸を針がチクりと刺す。癒療魔法の本の下に隠しているドラゴンの本が、ソフィアの掌を叩いてくるような気までしてくるほどに。うっかり第一の課題がドラゴンであると口にしてしまいそうで、ソフィアは口を結んだ。