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「……嗤いにでも来たの?」
ソフィアは、上半身だけを後ろに捻り、輝くばかりの面輪をドラコに向ける。彼は、一歩をこちらに踏み出した状態でそこに制止していた。歩幅の広い一歩に律動した空気の流れに、彼のローブの裾が揺れている。足首まである丈の長い闇色のローブは、足元の雪を掠めて薄っすらと白い雪粒が点のように付着していて、白銀の世界でその黒さが際立つ。
「…嗤うなら、とっくにそうしてる」
ドラコは雪に埋まった足を持ち上げて歩いて来た。ザクザクという足音から、氷の床に乗り上げた革靴がコツコツという音に変わる。
見事な夜空と少女の眩い白銀を映す銀盤に黒が差し込んだ。約一メートルほど離れた位置に立っているドラコへ上半身を捻らせたまま、ソフィアは目を伏せ、臍の前で燃えるように赤いバラの花びらを撫でた。水分を含み、しっとりしていて柔らかく、軽い感触が指先に伝わって来る。白い指に赤が映え、一つの芸術のようだった。
「分かっているでしょう、私がどうして貴方を選んだのか。……―――あの人への当てつけよ」
ソフィアの言う“あの人”が誰なのか、ドラコには直ぐ察しがついた。先ほど彼女と口喧嘩していた彼のことだと。
「非道な女よね…。自分の為に、貴方を利用したんだから」
先ほどのハリーとの喧嘩が相当きているのか、ソフィアの声色がいつもより沈んでいた。それに対し、ドラコはいつものように上から言葉を言うでもなく、ただじっとその場に立っていた。
「…きっと罰が当たったんだわ」
囁くように小さな声。耳から直接体内に潜り込んできた彼女の声は、人の意識に語り掛けて来るような、深い響きがあった。
「舞踏会は、初めてだったから……もっと、楽しいと…思ってた、のになぁ……
こんなに、悲しい思い出に…なるなんて、……思わなかった…」
彼女はきっとまた泣いている。感情を押し殺すかのように、小さく呟かれた、本当の言葉。
すると三拍子の綺麗な曲がホグワーツ城の方から微かに流れてきた。煌めきの中で、楽しそうに笑っている友人たちの姿がありありと思い出されるのに比べで、自分はここで何をしているんだろうと虚無感に駆られた。
もし、何かが違っていたら、自分は今も大広間で音楽に身を任せていたのだろうか。そして、その相手とは……。
その時、今まで動こうともしなかったドラコが、スッと自分の手の平をソフィアへと差し出した。言葉はなかった。しかし、まるでダンスへと誘うような仕草に彼が何を言いたいのか理解はできた。
今夜は、お互い不思議な魔法がかかっていたに違いない。何かに突き動かされるかのように、ソフィアは一歩前に歩み出た。そしてソフィアの額が彼の顎に触れそうな距離まで近付き、ソフィアの手を下から掬うように取り上げた。そして、美しく切り替えされている白銀色の細いウエストを抱く。ソフィアの左手がそっとドラコの右肩に置かれると、二人は三拍子に合わせてステップを踏んだ。
ドラコが右足を斜め前に前進させると、自然とソフィアの左足が斜め後方へ。ドラコの身体が大きく右側へ外回りするのに、ソフィアの体が勝手について行く。銀盤の上を移動しながら、二人は円を描くように回転し、優雅にワルツを踊る。
「…僕がお前を誘ったんだ。…悲しい思い出のまま、帰せるわけないだろ」
ドラコが左足を真横へ踏み出すと同時に、腰を抱く手に引き寄せられ、距離が更に詰められた瞬間、彼が吐息と共に囁く。ソフィアは僅かに唇を開いたけれど、その空洞から零れてきたのは白い息だけだった。
引き寄せられたかと思えばドラコの手が腰から離れ、少女を突き放すように後ろへステップを踏んで、ソフィアの右手を取ったまま腕を伸ばした。ソフィアは、ドラコの右肩に置いていた手で月明かりに透けるスカートを持ち、麗しく彼の腕の下を潜ってターンをした。そして再び体を寄せ合って、腰を抱かれ、左手は元の肩の位置へ。
ドラコにリードされるがまま、ソフィアは彼の動きに合わせて足を動かし、彼の腕を潜ってターンをするという単調な、しかし優美なワルツをいつまでも踊っていた。二人は、何も語らなかった。ただお互いをその目に映し、氷の銀盤に二人で繊細なトレースを描きながら、白銀の世界にいた。
氷の床で舞う度に、黒いローブや銀のドレスが靡く様は、花が咲くようだった。他には誰もいない、ふたりだけの夜。朝日が昇る頃には、まやかしのような今が消える。いつの間にか音楽が消え、夜の帳に静寂だけが果てしなく続く宵の中、不思議な魔法にかけられた二人は、心の隙間を埋めるように、いつまでもスローステップを踏み続けていた。