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それから一週間ほどが過ぎた頃、ソフィア、ハリー、ロン、ハーマイオニーが玄関ホールを歩いていると、掲示板の前にちょっとした人だかりができていた。シェーマス・フィネガンとディーン・トーマスが、興奮した顔で四人を手招きした。
「『決闘クラブ』を始めるんだって!」
シェーマスがわくわくしながら言った。
「今夜が第一回目だ。決闘の練習なら悪くないな。近々役に立つかも……」
「え?君、スリザリンの怪物が、決闘なんかできると思ってるの?」
そう言いながらも、ロンも興味津々で掲示を読んでいた。結局、ソフィアたちも「決闘クラブ」に参加することが決まった。
***
夜八時に、四人は再び大広間へと急いだ。食事用の長いテーブルは取り払われ、一方の壁に沿って、金色の舞台が出現していた。何千本もの蝋燭が上を漂い、舞台を照らしている。天井は見慣れたビロードのような黒で、その下には、おのおの杖を持ち、興奮した面持ちで、ほとんど学校中の生徒が集まっているようだった。
「いったい誰が教えるのかしら?」
おしゃべりな生徒たちの群れの中に割り込みながら、ハーマイオニーが言った。
「誰だっていいよ。あいつでなければ……」
ハリーは意味深にソフィアの方を見て、ソフィアもハリーを見つめ返した。二人の脳裏に浮かぶ人物は同じらしい。しかし、直後にハリーがうめき声を上げ、ソフィアは驚愕して目を見開いた。
ギルデロイ・ロックハートが、きらびやかな深紫のローブをまとい、後ろになんといつもの黒装束のセブルス・スネイプを従えて、舞台に登場したのだ。ハリーにとっては二重の意味で最悪だったし、ソフィアは戸惑いを隠しきれなかった。セブルスがロックハートを嫌っていることなど、今や誰もが知っているというのに。ロックハートは観衆に手を振って「静粛に」と呼びかけた。
「みなさん、集まって。さ、集まって。みなさん、私がよく見えますか? 私の声が聞こえます? 結構、結構!」
何人かの女生徒がロックハートの問いかけに反応を示すと、彼は実に満足気に頷く。
「ダンブルドア校長先生から、私がこの小さな決闘クラブを始めるお許しをいただきました。私自身が、数え切れないほど経験してきたように、自らを護る必要が生じた万一の場合に備えて、みなさんをしっかり鍛え上げるためにです――詳しくは、私の著書を読んでください。では、助手のスネイプ先生をご紹介しましょう」
満面の笑みを振りまいて左足を一歩後ろへ引き、右の掌を天井へ向けてスネイプを誘う。
「スネイプ先生がおっしゃるには、決闘についてごくわずかにご存知らしい。訓練を始めるにあたり、短い模範演技をするのに、勇敢にも、手伝ってくださるというご了承をいただきました。さてさて、お若いみなさんにご心配をおかけしたくはありません――私が彼と手合わせしたあとでも、みなさんの魔法薬の先生は、ちゃんと存在します。ご心配めさるな!」
スネイプの唇が歪み、左の口角がヒクヒクと痙攣している。彼の感情は、唇によく浮かび上がってくる。間違いなくロックハートを軽蔑している彼は、今にも杖を振りかざして舞台上に突っ伏させてしまいそうだ。
ロックハートとスネイプは向き合って一礼した。大げさにお辞儀をしたロックハートの体を覆うローブが、くにゃりと揺れる。スネイプは不機嫌に頭を下げ、二人は杖を剣のように突き出して構えた。
「ご覧のように、私たちは作法に従って杖を構えています。三つ数えて、最初の術をかけます。もちろん、どちらも相手を殺すつもりはありませんよ」
大広間中の誰もが、今のスネイプならやりかねないと思っただろう。今にも唇から呪文が飛び出してきそうだった。
一――二――三――
「エクスペリアームス! 武器よ去れ」
ロックハートが呪文を唱える隙もなく、スネイプが叫ぶ。舞台の近くにいた生徒たちは、目も眩むような紅の閃光が間近を横断し、思わず目を細めた。セブルスは素知らぬ顔で杖を下ろし、マルフォイなどのスリザリン生が歓声を上げる中、ハリーやロンまでも嬉しそうな表情を隠せずにいた。ハーマイオニーは爪先立ちで、悲痛そうな顔を手で覆い、指の間からロックハートの身を案じた。ロックハートはふらふらと立ち上がったが、帽子は吹っ飛び、カールした髪が逆立っていた。
「さあ、みんなわかったでしょうね!」
壇上に戻ったロックハートに、女子生徒が「大丈夫ですか?」と心配する声に、「問題など何もありません。スネイプ先生があの呪文を唱えることは容易に想像できますからね」と揚々に語り、さらに続けた。
「あれが、武装解除の術です――ご覧の通り、私は杖を失ったわけです――あぁ、ミス・ブラウン、ありがとう。スネイプ先生、確かに、生徒にあの術を見せようとしたのは、すばらしいお考えです。しかし、遠慮なく一言申し上げれば、先生が何をなさろうとしたかが、あまりにも見え透いていましたね。それを止めようと思えば、いとも簡単だったでしょう。しかし、生徒に見せた方が、教育的によいと思いましてね……」
鈍感なロックハートでも感じ取れる程の、スネイプから沸き立つ殺気を突き刺されているのに、彼は気が付いた。生徒達は皆感じ取っていたので、それでもロックハートが感づいたのは遅い方だった。
「模範演技これで充分! これからみなさんのところへ下りていって二人ずつ組にします。スネイプ先生、お手伝い願えますか……」
スネイプは、真っ先にグリフィンドールの生徒が固まる群れの中へ入り込み、ハリーを捕まえるとスリザリンの生徒が成している群れの中からドラコを呼んだ。ドラコは、まさかスネイプの方から絶好の機会を与えてもらえるだなんて、と不敵に笑みを浮かべて進む。
「どうやら、名コンビもお別れのときが来たようだな」
セブルスは薄笑いを浮かべながら、ハリーとロンに向かって言った。
「ウィーズリー、君はフィネガンと組みたまえ。それからミス・グレンジャー――君はミス・ブルストロードと組みたまえ」
スネイプの指定に、ミリセントはハリーの傍に立っていたハーマイオニーを挑発的に腕組をして見た。
「ミス・エムリスーーー君は、ミス・チャン。余っているな?こっちへ」
ソフィアの前にすたこらとやって来たのは、艶やかな黒髪をしたレイブンクローの女の子だった。自信なさげにソフィアを見つめて、壇上からロックハートの「相手と向き合って!そして礼!」という号令が聞こえた時など、前につんのめったようなぎこちない礼をした。ソフィアはハリーとマルフォイのことが気になって、どうも集中できなかった。
「相手と向き合って! そして礼!」
壇上に戻ったロックハートが号令をかける。スリザリンとグリフィンドールのペアを組まされた生徒たちの間に火花が交差する。目を逸らしたら負けだと互いに睨みを聞かせながら、頭を下げた。
「杖を構えて!」
ロックハートが声を張り上げた。
「私が三つ数えたら、相手の武器を取り上げる術をかけなさい――武器を取り上げるだけですよ――みなさんが事故を起こすのは嫌ですからね。一――二――三」
大広間中の誰もが肩の上に杖を振り上げたが、ドラコはハリーに向けて「二」の時点で呪文を唱え始めていた。「三」と同時に、ハリーが呪文を受け、その他大勢の生徒たちが一斉に呪文を唱える。
そしてソフィアも彼らと同じように杖を肩の上に振り上げたが、すぐに何も言わずに下ろしてしまった。あちこちで武装解除の呪文が聞こえる中、ソフィアの目の前の女の子は震えているだけで何の術もかけようとはしなかった。
「…大丈夫、ですか?」
「ご、ごめんなさい……私なんかが、あなたと対戦するなんて……」
女の子はいかにも防衛術だの呪文だの、攻撃的な魔法を使えるようなタイプには見えなかった。
「ごめんなさい…私、三年生だけど……きっと、あなたほど魔法は上手じゃないわ」
なんとこの女の子は、ソフィアよりも年上だったらしい。ソフィアはまさかの上級生に、手を震わせながら必死に言葉を述べた。
「わ、わ、私も得意というわけでは…」
そう言うと、女の子は驚いたように大きな黒目をしばしばさせ、すぐに可愛らしく微笑んだ。それからソフィアが思い出したようにハリーとマルフォイの方に目を向けた時、ロックハートの叫び声が聞こえた。
「武器を取り上げるだけと言ったのに!」とロックハートが叫んだ。
続いてスネイプがロックハートを押しのけて「フィニート・インカンターテム! 呪文よ終われ!」と叫んだ。教師陣が静止に入ったのは、どうやらハリーとドラコの組みのようだ。杖をポケットにしまって周囲を見渡すと、事態はあちこちで引き起こっていた。
緑がかった煙が、あたり中に霧のように漂って、ネビルとジャスティンが肩で息をしながら床に横たわり、ロンは蒼白な顔をしたシェーマスを抱きかかえて、折れた杖がしでかした何かをひたすら謝っていた。
ソフィアのすぐ隣でハーマイオニーと組まされていたミリセントは、最早杖を投げ出して力技で決闘を始めて、ミリセントがハーマイオニーにヘッドロックをかけ、ハーマイオニーは痛みでヒーヒー喚いていた。二人の杖は床に打ち捨てられ、もはやただのプロレスだった。すでに大広間の誰もが、武器を取り上げるだけに収まらない呪文をかけあって、収拾がつかなくなっている。
ドラコとの決闘を一時休戦にされたハリーが、ハーマイオニーにヘッドロックをかけているミリセントの背中に張り付いて引き剥がそうとしている。
しかし、小柄なハリー一人では、ミリセントを引き剥がすのに一筋縄ではいかなかった。ソフィアは、痛みに喚いているハーマイオニーの前へ回り込み、ミリセントの腕を彼女の首から離そうと奮闘した。
「ハーマイオニーを離して…っ」
有り難いことにミリセントはソフィアの顔を見た途端、化け物でも見たようにハーマイオニーを解放した。どうやら彼女もあの噂を信じている内の一人だったらしく、はなからソフィアには負けを認めたようだ。
「ソフィア、ありがとう」
「ううん、それより大丈夫?」
「へっちゃらよ、あんなの」
負けん気が強いハーマイオニーも、去って行くミリセントの背中に鋭い視線を送る。そして、おもむろに胸ポケットから銀のスプーンを取り出して、スプーンの裏側を顔に向けたと思うと乱闘でボサボサになった髪の毛を手櫛で整え始めた。スプーンの裏側が彼女の手鏡らしい。乱闘の末に真ん中で割れてしまった前髪を揃えてスプーンを再び胸ポケットに仕舞う。
やがて大広間の真ん中でロックハートとスネイプが休戦中だったハリーとドラコを呼び寄せた。どうやら今から教えてもらう「非友好的な術の防ぎ方」のモデルに二人が選ばれたようだ。
今度は、舞台ではなくハリーとドラコを取り囲む形で、生徒たちが中央に空間を開けて輪になった。ソフィアは、ダフネ達と一緒にスリザリン側へ回って決闘の展開を見守っている。中央にはドラコとその後ろにスネイプが。ハリーの後ろにはロックハートが。
両者とも、指揮を取る二人から耳元でアドバイスを受けた様子だが、ハリーの方は何とも頼りがいの無さが露呈している。くねくねと杖を動かしているロックハートが、杖を取り落とした姿の無様さにこちらが恥ずかしくなってしまう。
「一――二――三――それ!」
「サーペンソーティア! ヘビよ出よ!」
ロックハートの号令後、先に動いたのはドラコだ。大声で怒鳴ると、杖先から長い黒ヘビがニョロニョロと出てきて二人の間に落ちた。鎌首をもたげて攻撃態勢に入るヘビに、あちこちから悲鳴が上がり、後退りして広く空間を押し広げた。
ソフィアは、後方へ下がってくる生徒たちの隙間をくぐり抜けて、一番前へと陣取る。威嚇してくるヘビに、ぎょっとしたハリーの喉仏が上下するのが見えた。
「動くな、ポッター」
ドラコの背後から、スネイプが嘲笑しながら悠々と言った。
「我輩が追い払ってやろう……」
「私にお任せあれ!」
スネイプが杖を構えようとすると、ハリーの後ろからロックハートが叫ぶ。彼がヘビに向かって杖を振り回すと、バーンと大きな音がして、ヘビは二、三メートル宙を飛んで床に叩きつけられた。
追い払うどころか、更にヘビを怒らせてしまった。
二つに割れた赤い舌を覗かせ、ジャスティン・フィンチフレッチリーめがけて這いより、再び鎌首をもたげた。そして、牙を剥き出しにして攻撃の構えを取った。斜め数メートル離れた位置に立っているジャスティンは、竦み上がった臆面でヘビと対峙している。
その場にいた誰よりも早くハリーが動いた。ソフィアの目の前を進んで行ったハリーは、シューシューと気管から絞り出したような音を出した。
鳴いた――という表現の方が正しいだろう。
鳴き声を聞いたヘビは、たちまちとぐろを巻いて大人しくなり、床に平たく丸まってハリーを見上げた。ここからでは、ハリーの後ろ姿だけしか見えなくて状況が伺えないが、ソフィアの周囲の生徒達はみな息を呑んで身を寄せ合って、何かを囁きながら目を泳がせている。
「いったい、何を悪ふざけしてるんだ?」
ジャスティンの怒鳴り声がした。ハリーが言葉になる前の呼吸を吐き出すと、輪を囲んで集まっていた生徒たちが左右に別れて道を開けた。
ジャスティンは、ハリーに背中を向けて大広間を出て行ってしまった。ソフィアは怪訝に眉根を寄せ、首を伸ばして状況を伺った……一体何が起こったのだろう。あの奇妙な鳴き声の後から、大広間の空気が一変した。
今の見たか――。
ヘビを操ってジャスティンを襲う気だったんだわ――。
あちこちから不吉な話が耳に入ってきて、ソフィアは周囲を見渡した。この位置からでは、確かにハリーの背中が視界を阻んでいて聞こえてきた情報が真実だったのか分からない。だが、ハリーが特に忌み嫌っている訳でもない相手にヘビをけしかけるだなんて考えられないことだった。
その後、セブルスが進み出て杖でヘビを消し去ったのが見えたが、彼もまたハリーを鋭く探るような目つきで見ていた。大広間にいる誰もが、ハリーを、この世のものとは思えないものを見るような目で、見ていた。
「っ、ハリー」
ソフィアが行動を起こす前に、ロンがハリーの袖を引っ張って、まっすぐこちらにやって来た。ソフィアとハーマイオニーも合流し、三人でハリーを急いでホールの外へと連れ出した。ドアを通り抜ける時、まるで病気でも移されるのが怖いとでもいうかのように人垣が引いていった。さっぱり訳のわからない顔をしたハリーの手を、ソフィアは優しく握りしめた。人気のないグリフィンドールの談話室までハリーを引っ張ってきて、ロンはハリーを肘掛椅子に座らせると初めて口をきいた。
「君はパーセルマウスなんだ。どうして僕たちに話してくれなかったの?」
「僕がなんだって?」
「パーセルマウスだよ!君はヘビと話ができるんだ!」
ロンが繰り返し言うと、ハリーはようやく合点がいったという顔で、平然と「そうだよ」と答えた。
「でも、今度で二度目だよ。一度、動物園で偶然、大ニシキヘビをいとこのダドリーにけしかけたことがあるくらい。でも、それがどうかしたの?ここにはそんなことできる人、掃いて捨てるほどいるだろうに」
「それが、いないんだ」
ロンは力なく言った。
「そんな能力はざらには持っていない。ハリー、まずいよ」
「何がまずいんだい?」
ハリーはだんだん腹を立てているようだった。誰も自分がヘビからジャスティンを守ったことを喜んでくれない。
「みんな、どうかしたんじゃないか?考えてもみてよ。もし僕が、ジャスティンを襲うなってヘビに言わなけりゃ――」
「へえ。君はそう言ったのかい?」
「どういう意味?君たちあの場にいたし……僕の言うことを聞いたじゃないか」
ハリーは悲しそうな目で、ロンからソフィアに視線を移した。ソフィアはまだハリーの手を握ったままだった。ロンが深刻そうな面持ちで、ハリーに言い聞かせるようにしっかりと言った。
「僕、君がパーセルタングを話すのは聞いた。つまり、蛇語だ。君が何を話したか、他の人にはわかりゃしないんだよ。ジャスティンがパニックしたのもわかるな。君ったら、まるでヘビをそそのかしてるような感じだった。あれにはゾッとしたよ」
ハリーは不安そうにソフィアを見て、ロンをまじまじと見た。
「僕が違う言葉をしゃべったって?だけど…僕、気がつかなかった…自分が話せるってことさえ知らないのに、どうしてそんな言葉が話せるんだい?」
ロンは首を振った。ソフィアが手をぎゅっと握っているせいで、ハリーは癇癪を起せなかった。当惑しきったロンの顔。通夜の客のような顔をしたハーマイオニー。無言のソフィア。ハリーは怒りを必死に抑えた。
「あのヘビが、ジャスティンの首を食いちぎるのを止めたのに、いったい何が悪いのか教えてくれないか?何がそんなに問題になるの?」
「問題になるのよ」
ハーマイオニーがやっとヒソヒソ声で話し出した。
「どうしてかというと、サラザール・スリザリンは、ヘビと話ができることで有名だったからなの。だからスリザリン寮のシンボルがヘビでしょう」
「そうなんだ。今度は学校中が君のことを、スリザリンの曾々々々孫だとかなんとか言い出すだろうな……」
ロンが不安そうに言った。ハリーは言いようのない恐怖に駆られ、たまらなくなった。
「だけど、僕は違う」
しかし、ハーマイオニーの言葉が胸に突き刺さった。
「それは証明しにくいことね。スリザリンは千年ほど前に生きていたんだから、あなただという可能性もありうるのよ」
ハリーは絶望した面持ちで、しばらく項垂れて動かなくなった。ソフィアはハリーが「部屋に戻る」と言うまで、彼の手を離さなかった。――暗雲が、渦巻くような気がした。