18
「嘆きのマートル」のトイレに向かう途中、ハーマイオニーはてきぱきと洗濯物置き場から、着替え用のスリザリン・ローブを四着失敬していた。大変ご機嫌な様子のハーマイオニーの後ろに続きながら、ソフィアは彼女にはいろんな意味で敵わないと思った。
三階のトイレに着くと、ハーマイオニーは急いで奥の小部屋に直行した。天井近くにある大きな窓のへりには「嘆きのマートル」が、すでに我が物顔でトイレを占領しているハーマイオニーを睨みつけていた。ハーマイオニーがかき混ぜている大鍋から、もくもくと濃い黒い煙が立ち昇り、視界はほとんど何も見えなかった。
その時、トイレの入口のドアが開く音と、駆け足の音が聞こえてきた。ハリーとロンが任務のための任務を終えてきたらしい。二人はローブをたくし上げて鼻を覆いながら、ソフィアたちのいる小部屋に近づいた。ハリーとロンの到着に気づいたハーマイオニーは顔を輝かせ、待ちきれない様子で二人を見た。大鍋から、どろりと水あめ状になった煎じ薬がグツグツ、ゴボゴボ泡立つ音が聞こえた。
「取れた?」
ハリーはゴイルのごわごわの髪の毛を見せた。ハーマイオニーは息を弾ませて、ソフィアの腕にまだ抱えられていた着替え用のローブを指差し、「これで準備はオーケー」と口角を持ち上げた。
「すべて、まちがいなくやったと思うわ。見た目もこの本に書いてある通りだし……。これを飲むと、また自分の姿に戻るまでにきっかり一時間よ」
ハーマイオニーがしみだらけの「最も強力な魔法薬」のページを、神経質に読み返した。四人は大鍋を見つめた。近くで見ると、煎じ薬はどろりとした黒っぽい泥のようで、ボコッボコッと鈍く泡立っていた。
「次は何だい?」
ロンが聞くと、ハーマイオニーは便座にタンブラー・グラスを四つ用意した。
「薬を四杯に分けて、髪の毛をそれぞれ薬に加えるの」
ハーマイオニーがひしゃくでそれぞれのグラスに、どろりとした薬をたっぷり入れた。それから震える手で、小瓶に入ったミリセント・ブルストロードとパンジー・パーキンソンの髪を、自分とソフィアのグラスに振り入れた。煎じ薬は、やかんのお湯が沸騰するような音を立て、激しく泡立った。
次の瞬間には、ミリセントの髪入りの薬は、むかむかするような黄色に変わり、パンジーの髪入りの方は、汚い便座カバーのような薄汚れたピンク色に変わった。ソフィアがショックを受けたような顔をしていると、ロンが追い打ちをかけてきた。
「おぇー、ミリセント・ブルストロードとパンジー・パーキンソンのエキスだ。きっとイヤーな味がするよ」
ロンのおかげで余計に胸糞が悪くなってきた。ハーマイオニーは構わずハリーとロンにも、髪を加えさせた。ゴイルのは鼻くそのようなカーキ色、クラッブのは濁った暗褐色になった。四人は各々グラスを持って、別々の小部屋で薬を飲むことにした。
「いいかい?いち……にの……さん……」
ハリーの号令に従って、ソフィアはパンジーの煎じ薬を勢いで飲み干した。煮込み過ぎたキャベツのような味がした。途端に、体の中を生きたヘビが這いずって行くように捩れだした───吐きそうだ───焼けるような感触が胃袋からサーッと広がって、手足の指先まで届いた。
体中の皮膚が、蝋が熱で溶かされるように泡立ち、ソフィアの華奢な細い指や手首がぷっくりと赤ん坊のように肉をつけ始めた。ほっぺたがずんと重たくなった気がしたし、硬い髪が肌に当たってチクチクした。スカートの腰回りが少しきゅっと締めつけられて、肩がいきなり凝ってきた───パンジーは猫背らしい。始まるのも突然だったが、終わるのも突然だった。
腰を締めているスカートを少し緩めて、ソフィアは着替えのローブを上からかぶった。ぷくっとした短い指で、無意識にほっぺたや髪に触れると、自分のそれとは全く違い、ショックを受けた。
「三人とも大丈夫?」
隣の小部屋から、ゴイルの低いしゃがれ声が聞こえた───ハリーだ。もう一方の隣からクラッブの唸るような低音が返事をした───これは、ロンだ。
「わ、わたしも、へいき」
勇気を出して声を出すと、ソフィアが普段なら絶対出せないほど高いキーキー声が出てきた。これもショックだ。戸の鍵を開けて出てきたのはほとんど三人同時だった。お互いがしばらくお互いを見つめ合い、同様に落胆した。いや、むしろ絶望に近い。ハリーもロンもまさしくゴイルとクラッブの姿で、鏡で確認したソフィア自身もまさしくパンジー・パーキンソンだった。
「おっどろいたなあ」
鏡に近寄り、クラッブのぺちゃんこの鼻を突っつきながらロンが繰り返した。
「急いだ方がいい。スリザリンの談話室がどこにあるか見つけないと。誰かのあとをつけられればいいんだけど……」
ハリーがハーマイオニーの戸をどんどん叩いた。彼女はまだ出てきていない。
「ハーマイオニー、行かなくちゃ……」
すると、甲高い声が返ってきた。ミリセントはこんな声だったろうか?
「わたし───わたし行けないと思うわ。三人だけで行って」
「ハーマイオニー、ミリセント・ブルストロードがブスなのはわかってるよ。誰も君だってこと、わかりゃしない」
ロンがせせら笑いながら言った。クラッブの顔がそう言うと、ますます性格が悪そうに見えた。
「ダメ、ほんとにダメ…行けないわ。三人とも急いで。時間を無駄にしないで」
ソフィアたちは当惑して顔を見合わせた。ハリーは腕時計を見た。貴重な六十分のうち、五分も経ってしまっていた。
「あとでここで会おう。いいね?」
ハリー、ロン、ソフィアはトイレの入口の戸をそろそろと開け、周りに誰もいないことを確かめてから出発した。三人は大理石の階段を下りて、ひたすら誰かスリザリンの生徒が通りかからないかと目を光らせた。ロンが地下牢への入口あたりを顎でしゃくって、「スリザリン生は朝食のとき、あの辺から現れる」というあやふやな記憶を辿って、三人は急いで石段を駆け下りていった。
迷路のような廊下には人影もない。三人は、あと何分あるかとしょっちゅう時間を確認しながら、地下深くへ入っていった。十五分も歩いて、三人があきらめかけた時、脇の部屋から誰かが出てきた。しかし、急いで近寄ってみると、スリザリン生ではなく、パーシーだった。
「こんなところでなんの用だい?」
ロンはすっかりクラッブに化けていることを忘れた調子で声をかけた。パーシーはむっとして、素っ気ない返事をした。
「そんなこと、君の知ったことじゃない。そこにいるのはクラッブと……えーと、」
「パ、パンジー・パーキンソン……です」
スリザリンにしては、やけにしおらしい女子生徒に、パーシーは面食らったようだった。
「それじゃ、自分の寮に戻りたまえ。この頃は暗い廊下をうろうろしていると危ない」
「自分はどうなんだ?」
ロンがつっかかったため、パーシーがまたも不機嫌そうな顔をして胸を張った。
「僕は監督生だ。僕を襲うものは何もない」
その時、突然、ハリー、ロン、ソフィアの背後から声が響いた。ドラコ・マルフォイがこっちへやってくる。
「お前たち、こんなところにいたのか」
マルフォイが二人を見て、いつもの気取った言い方をした。が、ソフィアを見つけると、訳がわからないといった表情で首を大きく捻った。
「パーキンソン?君は、休暇で帰ったんじゃなかったのか?」
「か……帰ってきちゃった、の」
マルフォイが訝しむようにソフィアを見たが、すぐにハリーとロンの間に割って入ってきた。
「ずっと探していたんだ。今まで大広間でバカ食いしていたのか?すごくおもしろい物を見せてやろうと思って」
ソフィアはちょっぴり孤独を感じた。パンジー・パーキンソンとマルフォイがどういう関係性なのか知らない上、ソフィア自身、彼女がどういう性格なのか把握しきれていないため、どう演じていいかわからなかった。
「ところで、ウィーズリー、こんなところで何の用だ?」
マルフォイがパーシーを威圧するように睨みつけた。パーシーはすでにカンカンだった。
「監督生に少しは敬意を示したらどうだ!!君の態度は気にくわん!」
マルフォイはフンと鼻であしらい、ハリーとロンについてこいと合図した。ソフィアは黙ってついていくしかない。たとえマルフォイでも、同じスリザリンの女の子にまで辛辣な言葉を浴びせることはきっとないだろう。三人はマルフォイのあとに続いて急いだ。角を曲がって次の廊下に出るとき、マルフォイが言った。
「あのピーター・ウィーズリーのやつ───」
「パーシー」
思わずロンが訂正したが、マルフォイはまるで気にしていないようだった。
「あいつ、どうもこの頃かぎ回っているようだ。何が目的なのか、僕にはわかってる。スリザリンの継承者を、一人で捕まえようと思ってるんだ」
マルフォイは嘲るように短く笑い、湿ったむき出しの石が並ぶ壁の前で立ち止まった。
「新しい合言葉は何だったかな?」
マルフォイはハリーに聞いた。ハリーはどきっとしたようだったが、マルフォイがすぐさま「あ、そうそう」と思い出してくれたおかげで命拾いした。
「純血!」
何ちゅう合言葉だ───と、ロンやハリーは思いながら、マルフォイの後について行った。スリザリンの談話室は、細長い天井の低い地下室で、壁と天井は粗削りの石造りだった。天井から丸い緑がかったランプが鎖で吊るしてある。前方の壮大な彫刻を施した暖炉では火がはじけ、その周りの彫刻入りの椅子に座ったスリザリン生の影がいくつか見えた。
「ここで待っていろ」
マルフォイは暖炉から離れたところにある空の椅子をハリーとロンに示した。ソフィアはというと途方に暮れた。マルフォイが戻ってきて、まだソフィアも一緒にいたら絶対におかしい。
どうしようかと迷った挙句、ソフィアは側のテーブルに置いていた本を一冊つかんで、ハリーたちとは逆方向にある椅子に背中を向けて座り、会話がこっそり聞けるようにした。そして、まもなくマルフォイが戻ってきて、ソフィアは素知らぬ顔で読書に没頭するフリをした。
マルフォイが持ってきたのは、「日刊予言者新聞」の切り抜きだった。ソフィアには内容はわからなかったが、いい内容であるはずがないことは否応にも伝わってきた。必死に耳をすませながら、会話から記事の内容を探ろうとした。
「アーサー・ウィーズリーはあれほどマグル贔屓なんだから、杖を真っ二つにへし折ってマグルの仲間に入ればいい」
マルフォイの蔑む声が、記事がロンのお父さんに関することだと教えてくれた。
「ウィーズリーの連中の行動を見てみろ。ほんとに純血かどうか怪しいもんだ───クラッブ、どうかしたか?」
マルフォイがぶっきらぼうに聞いた後、ロンがうめくように「腹が痛い」と言った。完全にロンが怒っていることを察したソフィアは内心ひやっとした。
「ああ、それなら医務室に行け。あそこにいる『穢れた血』の連中を、僕からだと言って蹴っ飛ばしてやれ」
酷い───さすがにソフィアもかちんときたけれど、パンジーが背後からマルフォイをひっ叩いてしまっては、計画が台無しだ。マルフォイが、今度は考え深げに話し始めた。
「それにしても、『日刊予言者新聞』が、これまでの事件をまだ報道していないのには驚くよ。たぶん、ダンブルドアが口止めしてるんだろう。こんなことがすぐにもお終いにならないと、彼はクビになるよ」
ソフィアはどきっとした。ダンブルドアがホグワーツから居なくなるなんて、考えられない。手にしていた闇の魔術の教則本を持つ手がぶるぶると震えた。
「父上は、ダンブルドアがいることが、この学校にとって最悪の事態だと、いつもおっしゃっている。彼はマグル贔屓だ。きちんとした校長なら、あんなクリービーみたいなくずのおべんちゃらを、絶対入学させたりはしない」
マルフォイは架空のカメラを構えて写真を撮る真似をしているようだった。ソフィアはちらっとハリーとロンの方を振り返った。二人とも完全に顔が引きつっていた。
「ポッター、写真を撮ってもいいかい?ポッター、サインをもらえるかい?
君の靴をなめてもいいかい?ポッター?」
マルフォイは気味の悪い猫なで声を出すと、ぱたりと手を下ろして、ハリーとロンに「どうした?」と聞いた。いつものようなバカ笑いがなかったことを不審に思ったらしい。もう遅過ぎたが、二人は無理やり笑いをひねり出していた。きっと、いつもこれくらいにクラッブもゴイルも鈍いのだろう、マルフォイはそれでも満足したようだった。マルフォイがぎしっと背もたれに首を倒したため、ソフィアは慌てて前を向いて読書を続行した。
「聖ポッター、『穢れた血』の友。あいつもやっぱりまともな魔法使いの感覚を持っていない。そうでなければあの身の程知らずのグレンジャー・ハーマイオニーなんかとつき合ったりしないはずだ。それなのに、みんながあいつをスリザリンの継承者だなんて考えている!」
もう少しだ、とソフィア、ハリー、ロンは同時に思った。あとちょっとでマルフォイは自分がやったと口を割る。しかし、そのとき───
「いったい誰が継承者なのか僕が知ってたらなあ。手伝ってやれるのに」
マルフォイはじれったそうに天井を仰いだ。ハリーが素早く質問した。
「誰が陰で糸を引いてるのか、君に考えがあるんだろう……」
果たしてゴイルがこんなに的を射た質問をするかどうか。しかしマルフォイは特に気にならなかったようで、ソフィアはほっとした。
「いや、ない。ゴイル、何度も同じことを言わせるな」
マルフォイが短く答えた。
「それに、父上は前回『部屋』が開かれた時のことも、全く話して下さらない。もっとも50年前だから、父上の前の時代だ。でも、父上はすべてご存知だし、すべてが沈黙させられているから、僕がそのことを知り過ぎていると怪しまれるとおっしゃるんだ。」
あのルシウス・マルフォイでも、息子をかなり溺愛していることが今の話でわかってきた。スリザリン・チーム全員にニンバス2001を買い与えて買収し、マルフォイをシーカーにさせるくらいだから、当然と言えばそうなのかもしれない。
「でも、一つだけ知っている。この前『秘密の部屋』が開かれた時、『穢れた血』が一人死んだ。だから、今度も時間の問題だ。あいつらのうち誰かが殺される。グレンジャーだといいのに」
マルフォイは小気味よさそうに明言し、ハリーとロンは今にも殴りかかりたい衝動を必死に抑えた。恐らくソフィアも同じような心境に違いない。ハリーは努めて平静を装って、マルフォイに聞いた。
「前に『部屋』を開けた者が捕まったかどうか、知ってる?」
「ああ、ウン……誰だったにせよ、追放された。たぶん、まだアズカバンにいるだろう」
魔法使いの牢獄───それが、アズカバン。ソフィアは聞いたことしかなかったけれど、そこへ送られた罪人は、いっそ地獄へ落ちた方がマシだったと言えるほど、骨の髄まで魂をいたぶられ、最後にはみんな気が狂って死んでしまうという魔法界で最も惨く残酷な場所だと言われている。マルフォイは椅子に座ったまま落ち着かない様子で体を揺すった。
「父上は、僕が目立たないようにして、スリザリンの継承者にやるだけやらせておけっておっしゃる。この学校には『穢れた血』の粛清が必要だって。でも関わり合いになるなって。その代わり、僕はソフィア・エムリスを───」
言いかけて、マルフォイは言葉を止めた。ソフィアはいきなり自分の名前が飛び出したことで、心臓がめまぐるしく暴れ回るのを感じた。ハリーとロンも、取り繕うのを忘れて、鋭く怪訝な眼差しでもはやマルフォイを睨みつけていた。
「ソフィア・エムリス?彼女がどうかしたのかい?」
「いや、何でもないんだ。これは、気にするな」
明らかにマルフォイの歯切れが悪い。自分でもしまった、と思っているようだ。ゴイルの顔をしたハリーが、気になって仕方ないという面持ちで、すっかり追及しすぎていた。
「しつこいぞ、ゴイル。一体どうしたっていうんだ?」
ついにマルフォイがむっとして聞き返した。ロンがハリーの脇腹をバレないように小突いた。ハリーがしおれて、「ごめん……」と呟くと、マルフォイはふんと尊大な態度でもって鼻を鳴らした。
「まあ……きっと関係のないことだから話すが、父上の探している人物とソフィア・エムリスの容姿の特徴が酷使していたらしい。でも、父上の思い違いだとわかった。だけど念のために、僕があの女を監視しているんだ。あくまで父上のためだけど」
マルフォイは言い聞かせるように、ハリーとロンに言い張った。ソフィアは今までマルフォイに監視されているなどとは思ってもみなかった。あのクィディッチ競技場以来、廊下や授業中にだって目が合ったことすらないのに。そして、ロンがうずうずしながら、マルフォイに放ったセリフがそれはもう大きな地雷だった。
「好きなのかい?彼女のこと」
バサバサッと大きな音を立ててソフィアは本を落っことした。一斉に談話室のほとんどの視線がソフィアに集まり、取り乱したソフィアは「ごめんなさい!」とパンジーのキーキー声で叫び、急いで談話室を出て行った。「嘆きのマートル」のトイレに着く頃には、ソフィアはすっかり元の姿に戻っていた。