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一番最初に気付いたのはウィーズリー家の双子、フレッドとジョージだった。
「珍しいな、ソフィアは一緒じゃないのか?」
え?と首を傾げたハリーとロンはそのまま本日最初の授業に向かう。防衛術の授業に彼女の姿はなかった。前の席のネビルが心配そうに言った。
「具合でも悪いのかな?」
ロックハートの引率のもとで移動する途中、誰かの声がした。
「ソフィアが大広間から出ていくのを誰かが見たって」
本当に不思議なことだった。朝食の席からいつの間にか彼女は消えてしまい、今の今まで一切の連絡が2人に来ていない。何かある時はいつもハーマイオニーやハリー達には告げていたソフィアの筈が。医務室に行っても彼女の姿はなかった。その半面、ハーマイオニーの残してくれたメモ書きで事件の詳細が判明した。
秘密の部屋の怪物は「バジリスク」――視線で生物を殺してしまう大蛇であり、今までに石にされてしまった人々はいずれも障害物のお陰で助かっていたのだ。さっそく先生に報告だ、と意気込んだ時。
――あの知らせが届いた。
昼以降の授業は一切が中止され、生徒は寮内に閉じこめられた。ハリーとロンは先生同士の会話で更に詳しい内容を聞いた。
生徒が怪物に連れ去られた。
『スリザリン』の継承者から新たな伝言がある。
明日、全校生徒を帰宅させなくてはいけない。
誰がさらわれたのか?とマダム・ポンフリーが聞いた。マクゴナガル先生は二つの女生徒の名を口にした。そのどちらにもハリーとロンは絶句した。スリザリンの継承者はこのような伝言を残したと言う。
“彼女たちの白骨は永遠に「秘密の部屋」に横たわるであろう”
被害者は――― ジニー・ウィーズリー、そして……ソフィア・エムリスだった。
***
あまりに事が唐突すぎると、人は何度見た場所でも見知らぬ土地に迷い込んだと思うらしい。ソフィアは今まさにそうだった。二年目になるホグワーツ。それが大きな迷路に思えた。
リドルは迷いなく真っ直ぐに『嘆きのマートル』が潜む女子トイレに入り、蛇口のあたりまで進む。主のゴーストの姿は今はなく、いつも以上に不気味な雰囲気を醸し出すそこで、微かな声量でリドルは呟いた。
「開け」
ゾワリとソフィアの肌が泡立った。繋がれた手を振り払いたい衝動に駆られる。が、相手はどんなに乱暴に扱われてもけして離そうとしなかった。蛇口が眩い白い光を放ち、回り始めた。手洗い台は沈みどこかへと消え去ってしまう。やがて大人一人が滑り込めるほどの太さを持ったパイプが剥き出しになった。ソフィアは息を呑んだ。心臓がドクドクと脈を打ち、熱が上昇する。反対に肌は周りの空気の冷たさに震えた。
この先にあるもの。それが何なのか。
「行くよ」
優しい声音でリドルは合図し、ソフィアの手を引いた。されるがまま、彼女は彼の後を着いていく。予感があった。沢山、とても多くて処理しきれない程の。それに伴う感情も相俟って、全てが焦りとなってソフィアを煽る。パイプを滑り降り、魔法薬学のクラスの地下牢よりもさらに低く深い所に落ちる。着地する寸前、リドルが抱き止めるように支えてくれたので幸い尻餅をつくには至らなかった。慌てて彼から離れるも、繋がれた手は離れない。いつの間に繋ぎ直したのかソフィアにはわからなかった。暗い石のトンネルを歩く。白骨化した動物が至る所に横たわっていた。こんな所にジニーが居ると考えると、ソフィアは背筋がゾッとする感覚を抑えられなかった。無事でいて、と、願わずにはいられない。
トンネルはくねくねと何度も曲がり、ソフィアの方向感覚も混乱してきた。幾度となく続いていく道に時間の感覚すらも忘れていく。焦っているのに歩みは非常に緩やかだった。何度目かの角を曲がると、ようやく前方に固い壁を確認できた。二匹の蛇が絡み合った彫刻がしてある――蛇の目には輝く大粒のエメラルドが嵌め込んであった。二人が近付くにつれ輝きを増していく蛇の目に、ソフィアはこの奥が何であるかを悟った。そして自らを叱責した。
“開け”
再三聞いた蛇語に恐怖は感じない。しかし怒りがこみ上げた。壁は2つに裂け、絡み合っていた蛇も分かれ、両側の壁はスルスルと姿を引っ込める。
「――ようこそ、『秘密の部屋』へ」
すぐ近くで聞こえたリドルの声は部屋全体に響いた。ソフィアは当たりを見渡し、そして直ぐに『彼女』を見つけた。
「ジニー…!」
繋がれた手は今までの強さが嘘のように、いとも簡単にほどかれた。しかし今はそんな事を気にしている暇はない。冷たい床にうずくまり苦しげに震えるジニーがそこに居た。ソフィアは慌てて駆け寄り彼女を介抱する。
「ジニー!しっかりして…っ」
赤い髪は彼女の顔ごと表情を隠していた。しかし小さく丸まり小刻みに震える全身がソフィアを焦燥に導く。一刻も早く戻らなければ。
ソフィアは彼女を立たせようと手を伸ばした。その時――
「!?」
突然ジニーがソフィアに飛びかかってきたのだ。あまりに唐突なことに受け身もとれず押し倒される――肩と背に強い衝撃を感じた。しかしそれを気にする間もなく直ぐに意識が別のことに引っ張られる。ジニーの細い指がソフィアの首に巻きついたのだ。そのまま、ジワジワと締められる。
迫りくる圧迫感にソフィアは眉を寄せた。ジニー自身の力とは思えぬ強さで首は締まられ呼吸もできなくなっていく。漸く見ることができた表情も、本来ジニーが持ち得るものとはまったく違っていた。焦りと恐怖と不安と――まるで誰かに操られているようだった。
「…ジ、ニ……っ」
「あたし…ぁ、たし……!」
目の前がジニーでいっぱいになる。しかしソフィアの視界は段々と白み始めていった。呼吸もままならず手足の指が小刻みに震え身体に乗ったものを剥がそうともがく。
――やめて。
思考の更に奥、何の飾りも付かないただ声にすらできなかった訴えが表に現れた。強みを増す一方のジニーに全神経が集中する。何もかも、すべての感情を押し切って、本能をも凌駕する意識がせり上がった。
「いやぁ!!」
一瞬にして消え去った圧迫感と、ジニーの悲鳴でソフィアは我返った。上にいた筈のジニーは弾き飛ばされ少し離れた所にうずくまっている。今度は震えもない――気を失っているようだった。
「ゴホッ……」
込み上げる排息に咳き込み漸く事態を理解する。純粋な訴えをタガに発動し彼女からジニーを離した。勢いよく入り込む酸素に咳が止まらない。喉元を抑え床に向かって息の塊を吐き出す彼女の近くで足音がした。
「ほら、会えただろう?」
優しげな声がソフィアに突き刺さる。息を切らしたまま、彼女は身を起こし近くの壁に背を預け見上げた。僅かに霞掛かった視界ですぐ近くに彼の姿があることを確認する。優しい微笑は、愉快に歪められていた。
「……ジニーに、何をしたの?」
できるだけ強く睨みつけ、問う。それでもリドルは気にしなかった。
「何も?」
「嘘よ…っ」
「嘘じゃないよ。彼女が勝手に行動した結果さ」
穏やかな紳士のような口調が、今のソフィアには嘲笑されているようにしか聞こえなかった。やっとのことで呼吸が落ち着く。しかし酷く疲れていた。
「……あなたは、何なんですか」
「何、だと思う?」
質問を質問で返され、何も言えなくなる。ゴーストではない。彼もそう言ったしソフィアも確信していた。しかし目の前の少年のような存在を、今まで見たことがない。彼はどこからともなく一冊の本を取り出し、穏やかに言った。
「記憶さ」
それはいつか見た彼の日記だった。ソフィアが呆然と見つめる中、彼は手に持った日記を弄びながら語り始める。
「僕は50年前ホグワーツにいた生徒、トム・リドルだ」
冷淡でやや低い声音が一帯を支配する。怒りでも焦りでもない感情が湧き上がるのを、ソフィアは感じた。真実が暴かれる。
「50年前、僕は日記に『記憶』として封じられた」
「何のために…」
「……さぁ?」
リドルは目を鋭くし、嘲るようにソフィアに首を傾げて見せた。もうこれ以上ないくらいに冷えた背筋が串刺しにされた気分になる。生ぬるい汗が、こめかみから一筋の雫を落とした。リドルは笑みを崩さない。
「……ジニーは色々教えてくれたよ。まるで僕が悩みを解決してくれる精霊みたいに」
愉快げなソレは、自らに降りかかる災難を憐れむかのような素振りで踊るが如く歩いている。つらつらと語る思い出話は実に滑稽だったと言う風で。ソフィアは目線だけで彼を追う。全身が酷く疲れていた。何故なのか、それはわからない。
「ハリー・ポッターの英雄憚はそれは細かく、最大級の敬いが含まれていたさ!」
ビクリとソフィアの肩を震わせた。視線が――恐ろしく鋭い。別の人物のことを語っている、その筈なのに、瞳に射抜かれただけで咎人が自分であると錯覚する。ジニーは弱っていた。彼女に見向きもせず、リドルは真っ直ぐソフィアを見据えていた。
「だから」
ジリ、と一歩近付く。あるはずの無い距離ですら縮み、彼女の目の前の所で立ち止まる。視線が交差した。一方は怯えと疑心、もう一方は――支配欲。リドルは優雅な仕草でソフィアの右手を取った。スルリと何の抵抗もなく奪われた手は彼のソレに包まれ力なく上げられている。
「君が必要なんだ」
ソフィアは動けなかった。たった今焦りと嫌悪が一気にせり上がってきた筈なのに、身じろぐこともなく、まるで金縛りにあったようだった。ピクリとも反応しないソフィアに対し、それが当たり前の事のようにリドルは微笑んだ。長くもなく短くもない接吻を終えて、漸く顔を上げる。視線と、繋がれた手は離れなかった。
「……っ」
言葉の発し方が、一瞬忘れてしまったようだった。渇ききった喉はやはり音すらも出させてくれない。訳がわからなかった。彼女が知らないことを、彼は知っている。それが何なのか。
「意味がわからないって顔をしているね」
リドルは笑みを消さずそう言った。否定も肯定もしていないが彼は答えを悟っているようだった。
「良いよ、教えてあげる――時間はたっぷりあるんだから」
消えることのない微笑が、まるで絵画のようだった。