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 「キミは、僕らがどうやって魔法を生み出しているか、わかるかい?」

 視線は交差し、手は相変わらずリドルに取られたままだ。ソフィアは力無く首を横に振った。魔法使いにとって、魔法は手を動かし物を掴み上げることと同じくらい身近にあるものだ。幼い頃から無意識に繰り出したこともあるせいか、それが生まれた原理を理解しょうとする考えはなかなか生まれるものではない。

 「……そうだね、僕らにとっては空気と同じようなものだから、あまり意識はしないだろう」

 あって当然のもの。空気のように無意識に求める『現象』と言っていいかもしれない。故に理解しようとする気が起きないのだ。

 「でも、続けて何度も魔法を使うと疲れてしまうし、威力に違いも生まれてくる」

 確かに日常的な魔法を使う場合以外、例えば独学で高度な(今まで名前も聞かなかったような)魔法を使おうとする時、まるで技術不足、力不足であるが如くに充分な効果を発揮しないことが多い。同じ呪文でも一度目と十度目に繰り出されれば威力が異なる。

 「それは体力だったり、精神力のせいでもあるけど――まぁ全部ひっくるめて『魔法を出す力』と言っていい」

 仮にそう言う力があるとする、と仮定した。

 「体力にも精神力にも、集中力にもあるように、この力にも限界があるんだ」

 そこでリドルはクッと愉快げに笑みを深めた。手中に収めたソフィアの手をやんわりと包んだまま、まるで嘲笑ともとれるその表情を彼女に近付けた。

 「『魔力』――そう読んでおこうか。僕ら魔法使いはみんなある程度の限界値が定められているんだ。それは個人によって異なるものだし、努力次第でどうにかできるものでもある」

 間近に迫る黒耀石の瞳がソフィアの視界いっぱいになった。彼は彼女を見つめ、そして彼女の奥に存在する『ナニカ』を見据えているようだった。黒耀石の中で、自らのアクアマリンが瞬くのが見える。

 「――でもその限界値が、無いに等しい者が居るとしたら?」

 グッ、と包まれた手に力が入った。リドルの目が変わった。愉快げな笑みは違えず、視線と気配だけは――『狩人』となった。

 「限界値が遥かに高く、或いは無限に尽きない魔力を持つ者――そんな人が居たとしたら、君はどうする?」
 「どうするって……」

 手を振り払いたくてもできなかった。強く握るように包まれたソレはまるで縄に拘束されたよう。ソフィアは答えられなかった。物理的な圧迫感と異なるモノが押し寄せてくる気がした。捕まれてはいけない、囚われてはいけない。だから、この手は離さなくてはいけなかった。頭の中で警報が甲高く鳴り続ける。

 耳元で、低い声が囁く。

 「キミにはこんなに素晴らしい魔力があるというのに」
 「――っ嫌!」

 剣に貫かれたような気分になり、衝動のまま左手を振り上げた。冷たい氷と同時に右手が解放される。漸く離れたソレを慌てて引っ込め、護るように胸の前で手を組んだ。息を切らし、荒い呼吸で睨み付けるソフィアに、リドルは叩かれた頬をさすることもなく、愉快げな嘲笑を繰り返す。乾いた笑い声が部屋全体に反響し、ソフィアは鼓膜の震えに眉をしかめた。

 「アッハハハ!流石だね。今ので気付くなんて!」

 ギリ、と組んだ手の内で爪が食い込む。悔しげに、恨めしい視線を彼にぶつけた。内にある感情は怒りと羞恥と後悔。何故、と誰に問えばいいのだろう?リドルは笑いが止まらないかのように、身を捩って小刻みに震えた。感動が更に自らを掻き立て、新たな興奮が立ちのぼる。

 「君の物分かりの良さには感謝するよ」
 「……別に、あなたの要求に…頷いた訳じゃない」
 「なに、理解してくれただけで充分嬉しいのさ」

 リドルは姿勢を正し漸く笑うのを止めた。しかし表情はまるで宝物を見つけたように輝いている。紳士的な振る舞いも、流麗な容貌も、いっそう魅力的だった。人に体力が存在するように、魔法使いにも魔力がある。使い過ぎれば磨耗され、休みを取らねばやがて尽きてしまう。そんなリミッターが無い存在がいると言うのだ。ソフィアはこれまでのことを思い返した。

 「あなたは、何…?」

 同じ言葉で問い掛けた。ニヤリと、彼の口端がつり上がる。

 「――――――ヴォルデモート卿」

 ***
 
 どれくらいの時間が経っただろうか。暗く重い雰囲気の一帯は中の人間の時系感覚を鈍くさせる。冷気を帯びた空間に居るのは三人の男女。一人は気絶したまま動けずに横たわり、あとの二人は壁際に座り込み相対していた。互いに意味の違う二種類の視線で相手を見据え、微動だにしない。ソフィアの心は嵐のようにかき乱されていた。新たに入ってくる情報の大きさと唐突さに目眩がする。紛れもない事実が、彼女に苦悶の表情を作らせた。

 「……ヴォル、デモート卿…?」
 「あぁ」
 「本当に?」
 「今更嘘をついても仕方ないさ」

 飄々とした態度で答えるリドル。信じられなかった。信じたくなかった。目の前にいるのは10年前まで闇の権化として魔法界中で恐れられ、そして昨年の今頃にはハリーと再対決を果たした、あの「名前を呼んではいけないあの人」なのだという。友人の仇敵が、目の前のこの少年の未来なのだ。その彼が自分を「必要だ」と言った。

 「――キミは始祖(マーリン)の血を引く唯一の末裔だ」

 リドルは更にこう語っていた。ソフィアに流れる“始祖の血”は他の魔法使いと違い、魔力との結合力が異常に高い。それは魔法自体を造ったのが“始祖(マーリン)”であり、彼は自分の身体と全ての魔法とを相性がいいように造っていった。そしてそれはその血を引くソフィアも同じだ。魔力が尽きない、或いは常人の倍以上もの強大さを誇るため、日常の生活なら消耗も疲弊もしない。

 「だから、いくら呪文を使っても威力は変わらない」

 淡々と述べるリドルの瞳に陶酔の色が見えだした。ソフィアは直感的に悟る。彼はこの力を――欲しているのだ。

 「何故、あなたはそんな事を知っているの…?」

 不安げに、彼の瞳から逃れたいが為に出した問い。それにリドルは僅かに感情を引っ込めた。
 
 「昔……居たんだ、近くに。キミと同じ始祖の血を引く人だった」

 声の勢いも落ち、懐かしむような気配もない。その表情だけだったかもしれない。ソフィアが彼から人らしいモノを認めたのは。

 「『彼女』は僕のことを…認めてくれた人だ。もうこの世にいないけどね」

 その言葉の真意を、問うことはできなかった。リドルはすぐさま表情を一変させもとの微笑に戻る。まるで別人のような変化にソフィアは身じろいだ。

 「それでだ、ソフィア」

 穏やかに微笑みかけ、一切の害は与えないような表情になる。まるで悪徳な契約を持ち出す使者のようだった。

 「キミの力を合わせれば、僕らはこの世界を手に入れられるんだ」

 力を欲す者にとってはこれ以上無い存在だ。だからリドルはソフィアの前に現れた。できる限りの接触を図った。曖昧な言葉で連れ出して、誰の手も届かない場所に置くために。

 「……嫌だ…ッ」

 頭上に置かれたリドルの手を乱暴に振り払い、震える脚をねじ伏せ牽制するべく立ち上がる。

 「私は道具なんかじゃない…!」

 強い瞳を向けて言い放つ。他人の、それも友人の仇敵の道具に成り下がるつもりは毛頭ない。リドルの話が真実だろうが嘘だろうが、今のソフィアにとってはどうでもよかった。自分をどうするのか、決めるのは自分である。それは来年度の授業を選ぶことと似ている気がした。将来を案じて、友人と一緒が最良と感じて、好きな教科があって、好きになる人がいて、どの道も考え選ぶのは『自分』なのだ。
 他人に流され、無理矢理作られるのが人生じゃない。失敗もある。挫けたりもする。しかし、助けてくれる仲間が、見守ってくれる人が、未来を望む自身があるからこそ、人は『人』でいられるのだ。自分の道は自分で選びたい。紛れもないソフィアの意志だった。

 「トム・リドル――貴方はいつか、自分で自分を終わらせることになる……絶対に」

 リドルは僅かに顔を歪め、打って変わって無表情になる。一切の感情を捨て、自分以外の存在を見下したような目でソフィアを見た。

 「―――……やはり血は争えないね。それじゃあ、どうしても僕の所には居たくないって言うのかい?」
 「そうよ」

 負けじとソフィアも強気な表情を崩さない。リドルが落胆のため息をついた。

 「……仕方ないか。なら――」

 刹那、
 
 「ジニー!」

 革靴が床を力強く蹴飛ばしながら、希望が、光が、ここにやって来た。

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