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 どこからともなく、音楽が聞こえてきた。リドルの手が緩んだ一瞬の隙に、ソフィアは呼吸を妨げていた手を掴んで引き下ろす。大きく息を吸い込んで、がらんとした部屋の奥までを見渡した。音量を増すそれは、段々こちらに近付いて来ているのが分かる。

 妖しい、背筋がぞくぞくするような、この世のものとも思えない旋律が響き渡った。肌が粟立ち、心臓がけたたましく鼓動を繰り返す。目を凝らして薄闇の中を見回すが、旋律を奏でる姿は見えない――と思った瞬間、ある柱の頂上から炎が燃え上がった。白鳥ほどの深紅の鳥が、ドーム型の天井にその不思議な旋律を響かせながら、姿を現したのだ。

 孔雀の羽根のように長い金色の尾羽を輝かせ、まばゆい金色の爪にボロボロの包を掴んでいる。鳥は、ハリーの方へ真っ直ぐ羽ばたき、運んできたものを彼の足元へ落とすと、大きな羽を畳んでハリーの肩に金色の爪を食い込ませて止まった。爪と同じ金色の、鋭く長い嘴の少し上に、真っ黒な丸い目の正体は……。

 「不死鳥? どうして……」
 「今更増援が来て何になる」

 リドルは、ソフィアの口を覆わずに、胸元に腕を回して二の腕を掴んで体を密着させた。

 「フォークスか?」

 ハリーの頬に翼を擦り寄せた不死鳥が、リドルとソフィアをじっと見据えた。ソフィアは二の腕に、リドルの指が食い込むのを感じた。リドルは、鋭い目でフォークスを睨み返すが、ハリーの足元に落とされたボロ切れに堪らず笑い始めた。

 「それは――古い『組分け帽子』だ」

 高笑いが暗い部屋にガンガン反響し、まるで十人のリドルが一度に笑っているようだった。

 「ダンブルドアが味方に送ってきたのはそんなものか! 歌い鳥に古帽子じゃないか! ハリー・ポッター、さぞかし心強いだろう? もう安心だと思うか?」

 フォークスや組分け帽子が一体何の役に立つというのか。ソフィアは、リドルの腕の中で呆然とした。ハリーとジニーが無事にここから帰るためには、どうしたらいいのだろう。ジニーの命と引き換えに、ソフィアがリドルと一緒になったとしても、力を得たリドルが大人しく引き下がるとは到底思えなかった。ソフィアの耳元で笑っているリドルの声が耳に入らなくなるほど、深い闇に引き摺り込まれるような気分だった。

 「ハリー、本題に入ろうか」

 リドルは、昂然と笑みを浮かべたまま言った。

 「二回も――君の過去に、僕にとっては未来にだが――僕たちは出会った。そして二回とも僕は君を殺しそこねた。君はどうやって生き残った? すべて聞かせてもらおうか」
 「そんな時間はないよ、リドル。長く話せば、君はそれだけ長く生きていられることになる」

 そして、長引けば長引くほど、リドルは力を増して、ジニーの命がすり減っていく。そうこうしているうちにも、彼の輪郭がくっきりと顕わになっていくのを感じた。ソフィアの体に絡みついている彼の腕が、はっきりとした実体に変わっていっているのだ。

 「リドル、やめて。このままじゃジニーが……! お願い、ジニーの代わりに私から……」
 「ダメだ、ソフィア! 二人とも僕が必ず連れて帰る。誰も死なせたりなんかするもんか!」

 リドルがクツクツと喉の奥で笑いを噛み殺し、ハリーへ見せつけるように、ソフィアの頬へ唇を押し当てた。「君にそれが出来る訳がない」と言いたげに、ソフィアの頬から唇を離したリドルは、ハリーの杖先で艶やかにソフィアの輪郭をなぞりあげる。

 「ハリー、だめよ」

 痛々しげに、それでも尚、微笑むソフィアにハリーは怒りが滾る。ハリーが不安にならないように、そう思っての笑みなのだろう。捉えられて危険な状況だというのに、怖くてたまらないはずなのに、ソフィアはそれを隠す。しかし、それが悲しい、それが怒りを掻き立てている。

 「――君が僕を襲ったとき、どうして君が力を失ったのか、誰にもわからない。僕自身もわからない。でも、なぜ君が僕を殺せなかったか、僕には分かる。母が、僕をかばって死んだからだ。母は普通の、マグル生まれの母だ」

 怒りを押さえているハリーの体が戦慄いていた。

 「君が僕を殺すのを、母が食い止めたんだ。僕はほんとうの君を見たぞ。去年のことだ。落ちぶれた残骸だ。かろうじて生きている。君の力のなれ果てだ。君は逃げ隠れしている! 醜い! 汚らわしい!」
 「そうか。母親が君を救うために死んだ。なるほど。それは呪いに対する強力な反対呪文だ。わかったぞ――結局君自身には特別なものは何もないわけだ。実は何かあるのかと思っていたんだ――彼女のようにね」

 リドルは、ソフィアの顎を人差し指と親指でクイと持ち上げ、自分の方へ向かせた。

 「ソフィアを離すんだ!」

 今にも合わさってしまいそうな二人の唇に、ハリーは駆けだしてしまいそうだった。ハリーの咆哮にリドルは口許を歪め、勝ち誇った表情で顔をあげる。

 「ハリー・ポッター、何しろ僕たちには不思議に似たところがある。君も気付いただろう。二人とも混血で、孤児で、マグルに育てられた。偉大なるスリザリン様ご自身以来、ホグワーツに入学した生徒の中で蛇語を話せるのは、たった二人だけだろう。見た目もどこか似ている……。しかし、僕の手から逃れられたのは、結局幸運だったからにすぎないのか。それだけ分かれば十分だ」

 ソフィアは、不意にリドルに腕を引かれた。ハリーから目を離さないように移動していくリドルに連れられて行くと、リドルは一対の高い柱の間で立ち止まる。手首を掴まれたまま、彼と顔を突き合わせた。リドルの背中の後ろには、ずっと上の方に半分暗闇に覆われているスリザリンの石像があった。

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