31
「さて、ハリー。少しもんでやろう。サラザール・スリザリンの継承者、ヴォルデモート卿の力と、有名なハリー・ポッターと、ダンブルドアがくださった精一杯の武器とを、お手合せ願おうか」
リドルがシューシューと何かを口から零すと、スリザリンの巨大な石の顔の口が大きく動き出し、黒々とした穴を広げていく。穴の奥から、ズルズルと何かが這い出てくる音がして、ソフィアは目を見開いた。
――あの時の、怪物だ。
肌で感じる緊迫感を、体に刻み込まれた感覚が覚えている。思わず後退ろうとするソフィアを、リドルが畳み掛けるように引き寄せて、左手で彼女の瞼を覆う。
「何をするの?!」
「僕に身を委ねて」
柔らかい声に含まれる殺気に体が硬直する。足裏に、何か巨大なものが床に落ちた衝撃で揺れる振動が伝わってきた。次にハリーが駆け出す音が響いてきて、ソフィアは目を覆うリドルの手を掴んで、力の限りに引き離そうとする。藻掻く彼女に、リドルが「バジリスクの目を見ると、一瞬であの世逝きだよ」と囁く。
何が何だったのかも分からない。無我夢中でリドルの手を振り払い、ソフィアは杖を抜いた。
「そんなに震えて……君に何が出来るんだい?」
「ハリーが戦っているのに、私だけ何もしないなんて嫌。ハリーとジニーに、これ以上危害を加えさせたくない」
怖くてたまらない。体の全身が慄いて、今にも逃げ出したくなる。でも、それは自分だけじゃない。ここまでずっとこの恐怖と戦ってきたジニーや、守ろうとしてくれるハリーだって同じ。彼は、いつだって守ってくれた。
だから、いつまでも守られてばかりの自分でいたくないのだ。変わりたい。その一心で引き抜いた杖。奥歯を強く噛んで、足裏をしっかりと床に押し付ける。負けるかもしれない、適わないかもしれない。それでも、立ち向かっていくことは辞めたくなかった。
「今度は、私が――」
ソフィアが杖腕を振りかざした刹那、狂ったようなシューシューという音が聞こえた。向かい合っている彼の顔が怒りで歪むのを見て、振り返る。
バジリスクが、雨のようにボタボタとどす黒い血を降り乱し、のた打ち回りながら巨体を柱に叩きつけている。そのバジリスクの鎌首の周囲を、フォークスが飛び交っていた。おびただしい量の血が、バジリスクの顔から流れている。
目を凝らしてみると、フォークスの嘴にはベッタリと赤黒い血が付着していた。リドルが蛇語で何かを叫ぶ。暴れまわるバジリスクが一瞬だけ主人へ顔を向けた。通常あるはずの目玉が二つとも潰されている。蛇の頭上を輪を描きながら飛んでいるフォークスが、不思議な旋律を歌いながらバジリスクの鱗で覆われた鼻面をあちこち啄き回していた。
「厄介な歌い鳥め! 邪魔をするな!!」
リドルがハリーの杖を振り、閃光がフォークス目掛けて飛んでいく。
「デリトリウス!(消えよ)」
ソフィアがすかさず杖を振り、杖先から魔法を噴射する。閃光は、リドルが放った呪文の後を凄まじい速度で追いかけ、光の後尾を捉えるとそのまま閃光ごと飲み込んで呪文を消失させた。
フォークスが宙をジグザグに飛んだ後、ソフィアへ向かって急下降してきた。両腕を広げて、不死鳥を抱き留める。腕の中でフォークスが凛々しく鳴いた。リドルが雷のような怒号を腹の底から沸騰させ、ソフィアの背後を狙って呼び寄せ呪文を放つ。
「アクシオ!」と唱えられたと同時に、体が後方へ引き寄せられていく。ソフィアの腕の中から、フォークスが羽音を立てて飛び立つ。リドルに体を片腕で捉えられ、ソフィアの顎を掴んで前を見るように固定された。
「見てごらん」
「――!」
「君が暴れる意味も、もうない」
リドルが、怪しく艶めかしい声で囁いた。力が抜けた手から杖が落下し、カラカラと寂れた音で床を転がる。バジリスクがドッと横様に倒れ、ヒクヒクと痙攣していた。その脳天には、銀色の剣が突き抜けている。しかし、その横には――。
「ハリーッ!!」
ハリーは、前腕に突き刺さった長い毒牙の破片を掴んで、力の限り引き抜いていた。牙を傍らに捨て、ローブが血で染まっていっている。虚ろな眼差しで、そばに寄り添っているフォークスを見下ろし、もつれる舌で言葉を紡いだ。
「君はすばらしかったよ、フォークス」
毒牙が貫いた腕の傷に、フォークスが美しい頭を預けている。ソフィアは、リドルの体と一緒に、ハリーとフォークスの元へ行った。
「ハリー・ポッター、君は死んだ。ダンブルドアの鳥にさえそれが分かるらしい。鳥が何をしているか、見えるかい? 泣いているよ。これでソフィアは、僕のものになる。僕だけのものにね」
喘ぎながら呼吸を繰り返すハリーが、遠のいていく意識の中でソフィアを見上げた。来ないで欲しいと思った。逃げて欲しいと思った。なりふり構わずリドルの腕を振り払って。それなのに、ソフィアは何度もハリーの名前を呼んで、手を伸ばしてくる。淡いソフィアの葡萄色の瞳が揺れていた。彼女の瞳だけを真っ直ぐに見つめているのが、もう精一杯だった。体中に毒が回り、視界が霞んでいく……。