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夜が明けても、ソフィアの熱は下がらなかった。解熱剤で無理やり抑えているおかげで、昨日ほど熱は高くなかったが、体が重い。お昼前にようやく上半身を起こすと、ベッドの周りにはお見舞いがいくつも届いていた。
午前中は変身術で、午後は魔法生物飼育学。購入してからトランクに押し込んだままの、『怪物的な怪物の本』の読み方を教えてもらえたかもしれないのに、残念だ。
マダム・ポンフリーが、滑車のついたベッドテーブルを転がしながらソフィアのベッドへ運んでくると、テーブルの下から昼食が湧き出た。ミルクに溶かしたオートミール粥と一緒に、ホグワーツの厨房で働くしもべ妖精のティミードからも、羊皮紙の端をちぎった不格好な紙に、走り書きで「お大事に」と。
オートミール粥を食べ終わり、食後の風邪薬もしっかり飲んで一息ついていると、マダム・ポンフリーが来室者を相手に「少しだけですよ!」と言っている。医務室にいるのはソフィアだけだったし、会話の内容からして、来室者は恐らく怪我人では無い。
ベッドを囲んでいるカーテンを少しだけ引くと、ハリーとロン、ハーマイオニーが医務室へ入って来た。カーテンの隙間から見えたソフィアの姿に、三人はパッと顔を華やげる。狭く開けたカーテンの隙間を縫うようにくぐってきて、ソフィアのベッド横の丸椅子に腰掛けた。
ハーマイオニーが、開けられたカーテンの端と端を掴んで顔だけを医務室へ出す。マダム・ポンフリーが作業を始めたのを確認してから、彼女はそっとカーテンを閉じた。
「お見舞いに来るのが遅くなってごめんなさい。マダム・ポンフリーがなかなか許可下ろしてくれなくて…もう起きてて大丈夫なの?」
耳打ちするようにヒソヒソと囁いた。どうやら、あまり聞かれたくない話をするらしい。
「解熱剤が効いているみたい。元気爆発薬を飲まされたらどうしようって思っていたけど、それは免れたわ」
ソフィアは顔を見に来てくれた三人に、細やかながらのお礼としてお見舞いに届いていた百味ビーンズをベッドテーブルに広げた。百味ビーンズの箱の下部に、パチル姉妹の名前が書いてある。一番に手を伸ばしたロンが石鹸味に当たって、苦々しく鼻をくしゃりと歪めた。
「実は僕もあの時、ほんの数分間だけ気を失ったんだ」
「ハリーも?」
エメラルドグリーンの目が、思慮深く眼鏡越しにソフィアを見た。まだ少し熱を持って上気している彼女に、その先を聞いてもいいのか戸惑っている。
あまり思い出したい出来事では無かったし、ただでさえ体調を崩しているソフィアに辛い思いをさせてしまわないか心配だったのだ。ハリー自身も、気絶したことをからかわれたばかりだったので、穏やかじゃなかったから。しかし、彼の心中をよそに、ソフィアはゆっくりとその時のことを思い出していく。
「声が聞こえたの」
最後まで残っていたあの声は、チョコレートを食べたあとの脳にこびりついていた。優しい女性の声だったと思う。聞き覚えがあるような、無いような。いや、無い。顎の下に指を添えたソフィアに、ロンとハーマイオニーは意味深に顔を見合わせてハリーを見た。膝の上で握り拳を作ったハリーは、恐る恐る口を開く。
「声? 悲鳴じゃなくて?」
「うん」
声の主は、愛していると言っていた。だけど何だか、それがすごく辛かったのだ。心が抉られるような感覚がして、何て言ったらいいのか。みぞおちの辺りが、ぎゅっと締まるような。
「実はさ、ブラックの脱獄に伴ってホグワーツの周りにディメンターを配置することになったみたいなんだ。パパ曰く、事をより良くするためには、時には嫌な連中とも手を組まなければならないらしいよ」
「ブラックは、僕を狙って脱獄したんだろうって。だけど、それって君にも危険が及ぶ可能性があるってことでもあるんだよね? その、君のことをブラックに知られるってことも十分にありえるし」
ロンが百味ビーンズの最後の一粒を頭上に投げて、顔を上に向けて口を開ける。直線に落ちてきた赤い粒がロンの口の中に入り、もぐもぐと口を動かした。今度はストロベリー味だったみたいだ。ハーマイオニーが、「ふざけないでよ!」とロンに叱責すると、医務室の奥で洗いたての清潔な包帯を丸めていたマダム・ポンフリーが、勢いよくソフィアのベッドを囲っているカーテンを開いた。
「あなたたち、いつまでここにいるんですか。午後の授業が始まりますよ!」
ギョロリとした目で三人を見下ろしたマダム・ポンフリーに、少年少女らは一斉に無言になった。ブラックに狙われるだの、ディメンターの襲撃で声を聞いたと話していることがバレれたのかと表情筋を固めた。しかしそれは思い違いだったようで、苦々しく返事をした彼らにマダム・ポンフリーは荒く鼻息を吐き出して再び作業に戻って行く。もう一度カーテンを締め直すことは、もうしない方がいいだろう。今度こそ、彼女の琴線に触れてしまうかもしれない。
「午後の授業は、魔法生物飼育学だ! 聞いて、ソフィア! ハグリッドが担当の先生なんだよ!」
最初に硬直を解いたのはハリーで、午後の授業という響きに悦楽している様子だった。
「楽しみね。午前中の占い学の授業は、受ける価値無しだったもの。数占い学とマグル学のほうがずうっと為になったわ」
ハーマイオニーの口ぶりに猜疑心を抱いた。自身が占い学を選択していることもあって、後日に控えている占い学の評価がそこまで低い理由が気になったのも確かだが、それよりも気に留めたのは、彼女が選択している授業のこと。
時間割表を広げてみると、やはり、占い学も数占い学もマグル学も九時に割り振られていた。初日から忙しすぎるタイムスケジュール……忙しいどころか、同じ時間に異なる科目を一度に受けるなんて、そもそも不可能ではないだろうか。眉を顰めて疑わしい目をハーマイオニーに向けると、ロンは「ほらね、誰だってそうなる」と言った。
「信じられるかい? ハーマイオニーったら全部の教科を取っているんだ」
「あら、お生憎様。きちんとマクゴナガル先生と話し合って決めたことよ」
ということは、全ての授業を受ける合間に食事を摂取して、宿題をこなして、試験勉強もこなして、尚且こうして友人との憩いの時間も設ける。休息の時間は、どこに挟んでいるのだろう。
ソフィアは、自分とハーマイオニーの立場を置き換えて、一日のスケジュールを想像してみるが、きっと一人のソフィアだけでは回しきれない。一体、何人自分を用意すればいいのだろうと目が回りそうだった。授業に出る自分に、宿題や課題をこなす自分。食事を摂る自分に、眠る自分。試験を受けたり、友達と話す時間だって欲しい。いくら用意したって足りないくらいだ。
「大丈夫なの? そのうち体を壊したりしたら――」
「大丈夫だよ。ハーマイオニーは勉強するのが何よりも生きがいなんだから。むしろ勉強出来なくなる方が、具合悪くなるんじゃないかな」
「失礼ね! あなたも今学年くらいは真面目に勉強したらどう? 科目も増えたことだし、今までと同じ生活をしていたら留年しちゃうわよ」
「だけど、いざとなったら君が助けてくれるんだろう?」
「そうやって甘えないでちょうだい!」と言いながらも否定しないハーマイオニーは優しい。二人のやり取りに、ソフィアとハリーがクスクスと小さく笑っていると、マダム・ポンフリーが足音に怒りを含ませて歩いて来て、三人は椅子から転げ落ちそうになりながら立ち上がり、慌ただしく医務室を出て行った。