昨夜の雨はすっかり上がって、空は晴れ渡っていた。柔らかな芝を踏みしめてハグリッドの小屋に向かう途中も、ハーマイオニーとロンは口を利かない。ソフィアとハリーを間に挟んで、四人はかなり気詰まりな沈黙の中ひたすら歩いた。ソフィアがハーマイオニーを気にしてちらちら横目で見ているとき、隣でハリーが小さく呻いた。視線を進む先へ移すと、見慣れた三人組の後ろ姿があった。マルフォイとお付きの二人だ。魔法生物飼育学はスリザリンとの合同授業らしい。なにか話しながらゲラゲラ笑っているので、今朝の続きのようなことを言い合っているのだろうとソフィアは頭が痛くなった。

 「さあ、急げ!はやく来いや!」

 上機嫌のハグリッドが足元にファングを従えている。ファングは視界にソフィアを捉えた途端、嬉しそうに飛びついてきた。ソフィアもそれに応じてにこにこ笑ってファングを撫でまわす。

 「みんな来たか?じゃあ着いてこい!」

 ハグリッドはソフィアにウィンクして、それからまたファングを従えて生徒を先導した。五分ほど歩いて広い牧場のようなところに出ると、ハグリッドが生徒に振り返った。

 「最初にやることは教科書を開くこった!」
 「こんなのどうやって開けって言うんだ」

 冷たい嘲り声がしたと思ってそちらを見ると、マルフォイが教科書を掲げて不機嫌そうに眉をひそめている。手に持つ怪物の本は紐でぐるぐる巻きに縛ってあった。不思議に思いながら、ソフィアは自分の本を開いた。

 「どうしてソフィアの怪物の本だけそんなに大人しいの?」
 「不良品だ!」
 「え…分からない…」

 ソフィアの教科書を指差したラベンダーとシェーマスに、ソフィアは首を傾げた。自分でもこの本が何故、これほど大人しいのは不思議に思えてきた。周囲を見回すと、どの生徒もマルフォイと同じようにベルトやロープで本を縛っていた。

 「私の本は買った後からずっと大人しいけど、」
 「ソフィア以外、だーれも教科書を開いとらんのか?撫ぜりゃーよかったんだ!」

 ハグリッドは当たり前のことなのにという口振りで言った。ハーマイオニーの怪物の本を受け取って、ハグリッドが背表紙をひと撫ですると凶暴に動いていた教科書は静かになる。

 「僕ら、なんて愚かだったんだろう。撫ぜりゃーよかったんだ!」

 マルフォイが皮肉に笑った。ソフィアは一部の生徒から視線を注がれているのに気がついたが、気付かない振りをした。マグルの世界で生活していた頃から、生き物に好かれる体質で奇異の目で見られることには慣れている。

 「俺は、こいつらを愉快だと思ったんだが…」
 「愉快ですよ、指を噛み切ろうとする教科書なんて、まったくユーモアたっぷりだ!」
 「黙れ、マルフォイ」

 ハリーが唸るように言った。ハグリッドの初授業をマルフォイに邪魔させたくないのだろう。ただ、ハグリッドは少し自信を失ってしまったようだった。

 「えー、俺は…、そうだ。俺は森に入って連れてくるから、お前らはここにいろ」

 心なしかよろよろしながら、ハグリッドは森に入っていった。これ幸いと口を開いたのはマルフォイだ。

 「まったく、あいつが僕らの先生?笑わせる。この学校はどうなってるんだ?」
 「黙れ、マルフォイ」

 ハリーが繰り返した。それでマルフォイは意地悪顔でハリーに振り向く。

 「ディメンターがいないと随分元気じゃないか、ポッター」
 「なんだと――」

 ロンがマルフォイに今にも掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ったとき、ラベンダーが甲高い声で叫んだ。はらはら見守っていたソフィアもラベンダーの視線の先に振り返った。ハグリッドが十数頭の魔法生物を従えてやってくるところだった。それぞれ分厚い革の首輪をつけ、それをつなぐ長い鎖の端をハグリッドの大きな手が全部まとめて握っていた。

 「ドウ、ドウ!」

 ハグリッドが鎖を振るって生き物を生徒たちの立っている柵の方へ追いやった。みんながジワッと後ずさりしたが、ハグリッドはにこやかに「ヒッポグリフだ!」と説明した。

 「美しかろう、え?」

 ソフィアは生まれて初めて本物のヒッポグリフを見て感動した。確かに美しい。それぞれ色が違い、嵐の空のような灰色、赤銅色、赤ゴマの入った褐色、つやつやした栗毛、漆黒など、とりどりだ。ハグリッドは両手を揉みながら、みんなにうれしそうに笑いかけた。

 「まんず、イッチ番先にヒッポグリフについて知らなければなんねえことは、こいつらは誇り高い。すぐ怒るぞ、ヒッポグリフは。絶対、侮辱してはなんねぇ。そんなことをしてみろ、それがお前さんたちの最後のしわざになるかもんねぇぞ」

 誰も柵に近づきたがらなかったが、ソフィア、ハリー、ロン、ハーマイオニーだけは、何とか恐々と近づいた。マルフォイ、クラッブ、ゴイルは聞いてもいなかった。なにやらヒソヒソ話している。どうやってハグリッドの授業を台無しにしてやろうか企んでいるのではと、嫌な予感がしたのはソフィアだけではなかったようだ。ハリーも横目でしっかりとマルフォイたちを睨んでいた。

 「必ず、ヒッポグリフの方が先に動くのを待つんだぞ。それが礼儀ってもんだろう。な?こいつの側まで歩いてゆく。そんでもってお辞儀をする。そんで、待つんだ。こいつがお辞儀を返したら、触ってもいいっちゅうこった。
もしお辞儀を返さなんだら、素早く離れろ。こいつの鉤爪は痛いからな」

 ますます、ほとんどの生徒が後ずさりした。ヒッポグリフは猛々しい首を振りたて、たくましい羽根をばたつかせていた。繋がれていることが気に入らない様子だ。

 「よーし、誰が一番乗りだ?」

 しかし、一向に誰も前に出てこないので、ハグリッドは縋るような目で四人を見つめた。

 「誰もおらんのか?」
 「僕、やるよ」

 ハリーが名乗り出たが、すぐ後ろでラベンダーとパーバティがあっと息を呑んで、「お茶の葉を忘れたの!」といさめるように警告した。ハリーは二人を無視して、放牧場の柵を乗り越え、ハグリッドが大声で「偉いぞ!」と喜んだ。

 「よーし、そんじゃ───バックビークとやってみよう」

 ハグリッドは鎖を一本ほどき、灰色のヒッポグリフを群れから引き離し、革の首輪を外した。隣からハグリッドが様々な注意をしてくるので、ハリーは余計に不安になった。バックビークは巨大な、鋭い頭をハリーの方に向け、猛々しいオレンジ色の片方の目だけでハリーを睨んでいた。ハリーはハグリッドに言われた通りに、軽くお辞儀をし、また目を上げた。まだ気位高くハリーを見据えるヒッポグリフとハリーとの見つめ合いを、生徒たちは柵の外から肝を冷やしながら見守った。その時、驚いたことに、突然ヒッポグリフが、うろこに覆われた前脚を折り、どう見てもお辞儀だと思われる格好をした。

 「やったぞ、ハリー!よーし、触ってもええぞ!嘴を撫でてやれ、ほれ!」

 ハグリッドが狂喜した。ハリーはゆっくりとヒッポグリフに近寄り、手を伸ばして何度か嘴を撫でた。ヒッポグリフはそれを楽しむかのようにトロリと目を閉じた。たちまちクラス全員が拍手喝采を送った。

 「よーし、そんじゃ、ハリー、こいつはお前さんを背中に乗せてくれると思うぞ。」

 途端、拍手が止み、ハリーがぎょっとした。ハグリッドはにこやかに気づかない。

 「そっから、のぼれ。翼の付け根んとっからだ。羽根を引っこ抜かねえよう気をつけろ。嫌がるからな……」

 ハリーはバックビークの翼の付け根に足をかけ、背中に飛び乗った。バックビークが立ち上がった。ハグリッドがその尻をパシンと叩くと、何の前触れもなしに、四メートルもの翼がハリーの左右で開き、羽ばたいた。みんなが悲鳴に近い歓声を上げる中、ハリーを乗せたバックビークは放牧場の上空を一周してから、また地上に着地した。ハグリッドが大声を出し、マルフォイたちを除くクラス中が再び拍手を送った。

 「そんじゃあ次は………オ、オイ!バックビーク!どこ行くんだ!?」

 ハグリッドが少し目を離した一瞬の隙に、バックビークはなんと生徒達の方へ近づいていった。それに気づいた生徒達は皆たちまち逃げ回り、木の影や岩の影に隠れた。しかし、ソフィアだけは動かずにそのまま立っていたのだ。何故かバックビークはずっとソフィアの瞳を見つめたまま、静かに近づいてくる。

 「いかん!ソフィア!逃げろ!」
 「ソフィア!?」

 周りが叫ぶ声が聞こえるが、彼女は表情を一切変えない。
 すると――…体高が2メートル弱はあるヒッポグリフが、ソフィアの前で自らお辞儀をしたのだ。

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