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 お昼のすぐあとの授業がリーマスの防衛術の初授業だ。生徒たちが机に教科書と羽ペン、羊皮紙を並べておしゃべりをしているときに、リーマスが少し遅れて教室へ入ってきた。目が合ったリーマスがにこりと微笑むので、ソフィアは不思議に思いながらも小さく微笑み返す。初授業は実地練習にすると、リーマスが生徒たちを引き連れて出た。

 道すがら、悪戯をしているポルターガイストのピーブズをリーマスがやりこめると、生徒たちはリーマスを尊敬のまなざしで見つめるようになった。ソフィアの隣にいたディーン・トーマスも「先生、かっこいい!」と驚嘆していた。

 「ディーン、ありがとう。さあ、みんな行こうか」

 リーマスは生徒全員の顔と名前を覚えてきたようだ。ディーン・トーマスをさらっと名前呼びして、リーマスが先導して一行はまた歩き出す。

 「ディーン、ルーピン先生と知り合い?」
 「いや。名前を覚えてくるなんて、生徒思いのいい先生だよ」

 ディーンが尋ねてきたラベンダーに興奮気味にささやいた。リーマスは生徒たちを職員室に招き入れる。職員室にはスネイプが一人腰かけていて、入ってきたグリフィンドール生たちを見回して、意地悪なせせら笑いを浮かべた。

 「ルーピン、開けておけ。私は出来れば見たくないのでね」

 職員室のドアを閉めようとしたリーマスに、スネイプが言った。

 「親切な忠告をしておこう。このクラスのネビル・ロングボトムに難しい課題を与えないことだ。ミス・グレンジャーが耳元でひそひそ指図するなら別だが」

 立ち上がったスネイプは、ネビルの脇をすり抜けるとき振り返ってリーマスに声をかけた。その言葉にネビルの顔が真っ赤になる。隣に立っていたハリーが怒ってスネイプを睨むのをソフィアは見た。どの生徒も同じような表情をしている。そのとき、リーマスが朗らかに口を開いた。

 「ネビルには術の最初の段階で私のアシスタントをしてもらおうと思っているよ。きっと上手くやってくれるはずだ」

 リーマスがネビルににっこり言うと、ネビルの顔が更に赤くなった。スネイプがつまらなそうに職員室から出ていく。生徒が古い洋箪笥のまわりに集められた。洋箪笥は不穏な横揺れを起こしている。になにかがいるのだ。リーマスは中に『ボガート』が入っていると説明した。周囲の生徒が恐ろしげにひそひそ騒ぐので、ソフィアは首を傾げる。

 「『ボガート』って…?」

 ソフィアがこっそり横にいたハーマイオニーに尋ねると、リーマスがそれを聞きとめた。

 「じゃあ、最初の問題だ。『ボガート』とはなんでしょう?ハーマイオニーは知ってそうだね」

 リーマスが微笑むと、ハーマイオニーは嬉しそうに張り切った。

 「形態模写妖怪です。洋箪笥、ベッドの下の隙間、流しの下の食器棚など、暗くて狭いところを好みます。対峙した者の思考を読み取り、その者が一番怖いと思うものに姿を変えます」
 「素晴らしい。とても上手く説明してくれた」

 ハーマイオニーが嬉しそうに頬を染めた。

 「ハーマイオニーの説明通り、ボガートは対峙した者が恐怖する姿に変身するからボガートの本当の姿を知っている者は一人もいない。だが、私がボガートを外に出した瞬間にきみたちそれぞれが怖いと思う姿に変身する」

 ネビルが呻く声が職員室に響く。ソフィアも内心呻いた。

 (一番怖いもの…)

 ソフィアの脳裏に、“ある人物”が浮かんだ。ざわめく生徒を無視して、リーマスがさらに続ける。
 
 「私たちは最初からボガートより大変有利な立場にある。ハリー、わかるかな?」

 手を上げているハーマイオニーに朗らかに微笑んで、リーマスはハリーに質問した。

 「えーっと、僕らは人数が多いから、ボガートはなにに変身すればいいかわからない?」

 ハーマイオニーを横目に、ハリーが遠慮がちに答えるとリーマスはまたにっこりした。

 「その通り。ボガート退治をするときは誰かと一緒にやるのがいい。ボガートが混乱する。退治する呪文は簡単だよ、最初は杖なしで練習しよう。『リディクラス』!」

 生徒が復唱するとリーマスは満足そうににっこりした。

 「ここまでは簡単だ。そうだね?では、ここでネビルの登場だ。ネビル、きみが世界一怖いものは?」
 「スネイプ先生…」

 ネビルが答えるとほとんどの生徒が笑った。ネビルすらにやっとした。だが、リーマスは大まじめの顔でなにかを考え込んだ。

 「スネイプ先生か…。確か、きみはお祖母さんと暮らしていたね?」
 「ボガートがばあちゃんになるのも嫌です」
 「いやいや、そうじゃないよ。お祖母さんは普段どんな格好をしてるかな?」

 ネビルはきょとんとしたが、祖母の服装を思い出しながらつらつら言った。

 「ボガートが洋箪笥から出て、きみに向かってくる。きみが怖いと思っているものを読み取って、スネイプ先生に変身する。きみは杖を掲げて、呪文を唱える。そのときお祖母さんの服装を心の中で思い描くんだ。すると、ボガートのスネイプ先生は、きみのお祖母さんの格好になる」

 生徒は大爆笑だ。それはとても見てみたい。洋箪笥が怒ったように一段と激しく揺れた。

 「みんなも考えて。自分が怖いと思っているものを、どうやったら滑稽な姿に変えられるか」

 部屋が静かになった。ソフィアも必死に考えた。怖いもの───怖いもの───今、とても怖いもの───最初に浮かんだのは、なぜか、ルシウス・マルフォイの姿だった。そんなものをクラスのみんなの前で披露するわけにはいかない。マルフォイの父親が怖いなんて。言い訳が思いつかない。

 「みんな、いいかい?」

 リーマスが言った。まだ準備ができていない。このままじゃ、まね妖怪がルシウス・マルフォイに変身してしまう。ソフィアを揺さぶるあの危険人物に───みんなはこっくりと頷き、腕まくりをしていた。

 「ネビル、わたしたちは下がっていよう。君に場所を空けてあげよう。いいね?次の生徒は前に出るようにわたしが声をかけるからね。みんな下がって、さあ、ネビルが間違いなくやっつけられるように───」

 みんな後ろに下がって壁にぴったり貼りついて、ネビルが一人洋箪笥の側に取り残された。恐怖で震えてはいたが、ネビルはローブの袖をたくし上げ、しっかり杖を構えていた。リーマスが自分の杖を洋箪笥の取っ手に向けながら言った。

 「ネビル、三つ数えてからだよ。いーち、にー、さん、それ!」

 リーマスの杖の先から、火花がほとばしり、取っ手のつまみに当たった。洋箪笥が勢いよく開き、恐ろげなオーラが普段よりも増しているセブルス・スネイプが、ネビルに向かって目をぎらつかせながら現れた。ネビルは杖を上げ、口をぱくぱくさせながら後ずさりした。

 「ネビル、今だ!ほら!」

 セブルスがローブの懐に手を突っ込みながらネビルに迫った時───

 「リ、リ、リディクラス!」

 パチンと鞭を鳴らすような音がして、セブルスが躓いた。今度は長い、レースで縁取りをしたドレスを着ている。見上げるように高い帽子のてっぺんに虫食いのあるハゲタカをつけ、手には巨大な真紅のハンドバッグをぶら下げていた。どっと笑い声が上がった。まね妖怪は途方にくれたように立ち止まり、リーマスが大声で「パーバティ、前へ!」と呼んだ。それから順々にみんながまね妖怪と対峙した。みんなの笑いに混乱してきたまね妖怪が、もうむちゃくちゃに変身を始めた時、初めてハリーの前にやって来た───しかし。

 「こっちだ!」

 急にリーマスがそう叫んで、ハリーとまね妖怪の間に割って入った。ソフィアははっとした。リーマスの前に、銀白色の玉が浮かんでいた。リーマスは、ほとんど面倒くさそうに「リディクラス!」と唱えた。最後にネビルの前に戻ってきたまね妖怪が、再びセブルスへと姿を変えたが、ネビルが大声で笑うと、耐えきれなくなったまね妖怪は破裂し、何千という細い煙の筋になって消え去った。

 「よくやった!」

 全員が拍手する中、リーマスが大声を出した。

 「ネビル、よくできた。みんな、よくやった。そうだな……まね妖怪と対決したグリフィンドール生一人につき五点やろう───ネビルは十点だ。二回やったからね───ハーマイオニーとハリーにも五点ずつだ」
 「でも、僕、何もしませんでした」

 ハリーが少し戸惑いながら言った。

 「ハリー、君とハーマイオニーはクラスの最初に、わたしの質問に正しく答えてくれた」

 リーマスはさり気なく言って、にっこり微笑んだ。

 「よーし、みんな、いいクラスだった。宿題だ、ボガートに関する章を読んで、まとめを提出してくれ……月曜までだ。今日はこれでおしまい」

 みんな興奮してぺちゃくちゃ言いながら職員室を出た。しかし、ハリーだけは浮かない顔をしていた。ソフィアはハリーのそばに行き、彼の肩を軽く叩いて微笑んだ。

 「ルーピン先生って、ほんとにいい先生だね」
 「……うん。そうだね、でも───」

 ハリーはソフィアと目が合うと、もやもや思っていたことを言いかけて、やめた。もっと他のことに気を取られてしまったからだ。

 「ねえ、ソフィア。君が世界一怖いものって、何だったの?」

 ソフィアは一瞬止まってから、「内緒」と悪戯っ子のように笑っておいた。

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