12
魔法史の授業が終わった後、ハリー、ロン、ハーマイオニー、ソフィアは並んで廊下を歩いていた。「ホグワーツの歴史」がなかなか借り出せなかったハーマイオニーのイライラは授業前に比べてずっと治まっていた。廊下の混雑が一段落した頃、ロンが三人に問いかけた。
「『秘密の部屋』があるって、本当にそう思う?」
「わからないけど、ダンブルドアがミセス・ノリスを治してやれなかった。ということは、私、考えたんだけど、猫を襲ったのは、もしかしたら――ヒトじゃないかもしれない」
ハーマイオニーがそう言った時、四人はちょうど角を曲がって、ずばりあの事件があった廊下の端に出た。フィルチの姿は今はなく、壁には「秘密の部屋は開かれたり」と書かれたままだった。
「ちょっと調べたって悪くないだろ」
ハリーはカバンを放り出し、四つ這いになって、何か手掛かりはないかと探し回った。
「焼け焦げがある!あっちにも───こっちにも───」
「ねえ、来てみて!変だわ……」
ハリーの言葉の後、ハーマイオニーが窓の方から三人に呼びかけた。ハーマイオニーの指差す先を見ると、一番上の窓ガラスに、二十匹あまりのクモが、ガラスの小さな割れ目から先を争って這い出そうとしていた。
「クモがあんなふうに行動するのを見たことがある?───ロン?どうしたの?」
ハリーとソフィアが振り返ると、ロンは三人からずっと遠くに立っていて、逃げ出したいのを必死でこらえているようだった。ソフィアは去年のクリスマスでの出来事を思い出した。
「確か…ロン、クモ苦手だったよね…?」
「うん…」
ロンの声は明らかに引きつっていた。ハーマイオニーが驚いたようにロンを見つめた。
「まあ、知らなかったわ。クモなんて、魔法薬で何回も使ったじゃない……」
「死んだやつなら構わないんだ」
ロンはできるだけ窓に目を向けないように気をつけながら、クモの嫌なところ、トラウマの発端を語り始めた。原因は、幼少期のフレッドとのいざこざらしい。ハーマイオニーが笑いをこらえている間、ソフィアはハリーの視線を追って、自分たちの足元を見た。
「あの日、床に水が溜まってたよね。覚えてる?」
ソフィアは頷き、ハリーはどこから来た水だろうかと、辺りを見回した。ロンは気を取り直して、数歩離れたところまで歩いて行き、床を指差した。
「このドアのところだった」
ロンは、真鍮の取っ手に手を伸ばしたが、急に手を引っ込めた。三人がまたもやロンの挙動に首を捻った。
「どうしたの?」
「ここは入れない。女子トイレだ」
ハーマイオニーがロンに歩み寄り、くすりと得意げに笑った。
「あら、ロン。中には誰もいないわよ。ここ、『嘆きのマートル』の場所だもの。いらっしゃい。覗いてみましょう」
「な、嘆きのマートルって……?」
訳がわからないまま、ロンはハーマイオニーに引きずられていった。ロンと同様、少し遠慮している様子のハリーは、ソフィアが引っ張って連れて行った。
「故障中」と大きく書かれた掲示を無視して、ドアを開けると、あまりにも陰気で憂鬱な手洗い台が現れた。大きな鏡はひび割れだらけ、しみだらけで、床は湿っぽく、トイレの小部屋の木の扉はペンキが剥げ落ち、引っ掻き傷だらけで、そのうちの一枚は蝶番がはずれてぶら下がっていた。
「で、ハーマイオニー、その……『嘆きのマートル』って?」
ひどく居心地が悪そうにロンがハーマイオニーに問うた時、一番奥の小部屋から煙のように透き通るゴーストの女の子の仏頂面が顔を出した。ずんぐりした体格に、だらりと垂れた猫っ毛、見るからに陰気くさい顔は分厚い乳白色のメガネの陰に半分隠れていた。
『ここは女子のトイレよ。この人たち、女じゃないわ』
マートルはロンとハリーをじろりと見て、不機嫌そうに顔をしかめた。ハーマイオニーは相槌を打ちながら、言葉を選ぶように言った。
「わたし、この人たちに、ちょっと見せたかったの。
つまり───えーと───ここが素敵なとこだってね」
ハーマイオニーが古ぼけた薄汚れた鏡や、濡れた床のあたりを漠然と指差すと、マートルは殊更うさんくさそうな顔をした。ハリーはこそっとハーマイオニーに近づいて耳打ちした。
「何か見なかったかって、聞いてみて」
「何をこそこそしてるの?」
マートルが睨むようにハリーを見据えると、ハリーは慌てて言った。
「なんでもないよ。僕たち聞きたいことが……」
『みんな、わたしの陰口を言うのはやめて欲しいの。わたし、確かに死んでるけど感情はちゃんとあるのよ』
マートルは涙で声を詰まらせた。眼鏡の奥から銀色の滴が溢れている。
「マートル、だーれもあなたの気持ちを傷つけようなんて思ってないわ。ハリーはただ───」
聞き捨てならないとばかりにマートルがくわっと喚き、癇癪を起した。
「傷つけようと思ってないですって!ご冗談でしょう?わたしの生きてる間の人生って、この学校で、悲惨そのものだった。今度はみんなが、死んだわたしの人生を台無しにしにやってくるのよ!唯一優しくしてくれた友達もいたわ。でも彼女も結局───結局───誰もわたしのことなんてどうでもいいんだわ!」
「ま、待って、あなたが近ごろ何かおかしなものを見なかったかどうか、それを聞きたかったの」
ハーマイオニーが急いて言った。
「ちょうどあなたの玄関のドアの外で、猫が襲われたものだから」
「君は何か知らないかい?怪しい奴を見かけたとか」
ハリーも慰めるような口調で尋ねてみた。マートルははん、と鼻を鳴らした。
「そんなこと、気にしていられなかったわ」
すぐにまた悲劇的なすすり泣きが始まったせいで、ハリー達は何も言えなかった。マートルは空中に跳び上がると、向きを変えて真っ逆さまに便器の中に飛び込んだ。トイレの中ほどまで入っていたハリー、ロン、ハーマイオニーは水飛沫を浴びせられ、マートルは姿を消したが、くぐもったすすり泣きの聞こえてくる方向からして、トイレのU字溝のどこかに留まっているらしい。ハリーとロンは呆然と突っ立っていたが、ハーマイオニーは肩を竦めた。
「まったく、あれでもマートルにしては機嫌がいい方なのよ」
四人がマートルのゴボゴボというすすり泣きを背にトイレを出た時、ハリーがドアを閉めるか閉めないかする内に、大きな声が聞こえて、四人は飛び上がった。
「ロン!」
階段のてっぺんでパーシー・ウィーズリーが徹底的に衝撃を受けた表情で立ち止まっていた。パーシーは息を呑んで、ロンとハリーを気が狂ったのかと疑わしい目つきで叱責した。
「そこは女子トイレだぞ?君たち男子が、いったい何を?───」
「ちょっと探してただけだよ。ほら、手掛かりをさ……」
ロンは肩をすぼめて、なんでもないという身振りをしたが、パーシーは体を膨らませ、ウィーズリーおばさんそっくりの仕草をした。そして大股で近づいてきたかと思うと、腕を振って四人をそこから追い立て始めた。
「そこからとっとと離れるんだ。人が見たらどう思うかわからないのか?みんなが夕食の席についているのに、またここに戻ってくるなんて……」
「なんで僕たちがここにいちゃいけないんだよ。いいかい。僕たち、あの猫に指一本触れてないんだぞ!」
ロンが熱くなってパーシーを睨みつけると、パーシーも語気を強めて言った。
「僕もジニーにそう言ってやったよ。だけど、あの子は、それでも君たちが退学処分になると思ってる。あんなに心を痛めて、目を泣き腫らしているジニーを見るのは初めてだ。少しはあの子のことも考えてやれ。一年生はみんな、この事件で神経をすり減らしてるんだ」
「兄さんはジニーのことを心配してるんじゃない!」
ロンの耳が今や真っ赤になりつつあった。
「兄さんが心配してるのは、首席になるチャンスを、僕が台無しにするってことなんだ!」
「グリフィンドール、五点減点!」
パーシーはぴかぴかの監督生バッジを指でいじりながら、ぴしゃりと言い放った。
「これでお前にはいい薬になるだろう。探偵ごっこはもうやめにしろ。さもないとママに手紙を書くぞ!」
大股で歩き去るパーシーの後ろ姿を見つめて、ソフィアは彼の言い分を十分理解できてはいても、一瞬パーシーのことがものすごく嫌な人に見えてしまった。それから同時にまたジニーのことが心配になった。最近、ソフィアはジニーの姿を見ていなかった。ソフィアは何となく、自分が避けられているように感じていた。