ウィーズリー氏を先頭に、ソフィアたちは急ぎ足で歩き出す。買い物をしっかり握り締め、ランタンに照らされた小道を森へと進んでいった。辺りには何百人もの魔法使いたちが騒いでいる。叫んだり、笑い合ったりと、とても嬉しそうだった。20分ほど歩いた所で、森のはずれに出た。壮大な黄金の壁はそれとなく奇抜で、しかし何故か相応しいと思えてしまう。

十万人の魔法使いたちが着席したスタンドは、細長い楕円形のピッチに沿って階段状にせり上がっている。競技場そのものから発すると思われる神秘的な金色の光があたりにみなぎっていた。この高みから見ると、ピッチはビロードのように滑らかに見える。

「特等席!」

 大きな声を張り上げてそう言って、魔女は席に案内した。ルード・バクマンの用意した席は最上階貴賓席だ。深紫色の絨毯が敷かれた階段を上り続け、てっぺんのボックス席――金色のゴールポストの中間に位置していた――にたどり着く。ソフィアたちは金箔貼りの椅子が2列に並んでいる席の、前例に並んだ。

 そのビロードみたいなピッチの片隅で、階段を上がっている時から聞こえていたワールドカップのテーマ曲を奏でている楽団がいた。そして両サイドには三本ずつ、十五メートルの高さのゴールポストが立ち、貴賓席の真正面には巨大な黒板があり、見えない巨人の手が書いたり消したりしているかのように、金文字が黒板の上をサッと走ったり消えたりしていた。
 
 心に溜まる感動が、緩やかに噴き上げていく。高みから見ると、ピッチがビロードのように滑らかだった。前の手すりに両手を置いて支えにし、身を乗り出すように前の席や広告塔を見る。奥行きがあるなんてものではない。オペラホールさながらの観客席は、どんなに上の席でもリアルな試合を視聴できる。その時だった。

 「エムリス!?」

 突如すぐ後ろの席から強い声でそう呼ばれた。鼓膜を突き破る勢いで飛んできた声の主は、振り返ればすぐに分かった。いつの間にやって来たのか、両親を伴ったドラコ・マルフォイだった。雷に打たれたような様子で呆然と立ち、食い入るようにソフィアを見ている。

 「…久し振りね」
 「あ、あぁ…」

 彼が何に驚いているのか、ソフィアにはさっぱりわからなかった。寧ろ彼の両側にいる保護者の方に興味が向いた。マルフォイ氏に会ったのはこれが二回目。ドラコが年をとればこんな顔になるのだろう、と思えるくらいよく似ている顔をしている。
 何やら目の前にいるウィーズリー氏とハーマイオニーをちらちら見遣って、口元をニヤリと歪ませていた。しかし、油断はできない。マルフォイ氏はソフィアの秘密を知っている恐れがある。去年ドラコが話していた話が本当なら。

 「あら、もしかして…あなたがソフィア・エムリス?」

 すると反対側にいた女性がソフィアに声を掛けてきた。気が付いて顔を上げると―――ドラコと同じブロンドヘアーをしていた。

 「一目見て分かったわ、ドラコから話は聞いていますよ」
 「え、あの…」
 「私はドラコの母のナルシッサよ。失礼、」

 夫人は一人ペラペラと喋っていると、突然ソフィアの被る帽子をゆっくり取った。

 「まぁ、本当に綺麗な髪を持っているのね」

 結った髪がパサリと肩に落ちる。どうやら髪を確認したかっただけのようだ。本人の承諾も得ず、なかなか大胆なことをするとソフィアは思った。しかし、それを知らなかったということは、夫人は恐らくソフィアの秘密を知らされていないということ。

 「母上」

 するとドラコの声が夫人を呼んだ。どうやらマルフォイ一家は大臣に招待されて貴賓席に行くようだ。ハッとして辺りを見回す。気付けば試合開始は間近に迫っていた。観客席にはびっしりと人が埋まっている。立っている者も、周りには誰もいない。周囲からの注目が集まり、背中がむず痒かった。慌ててソフィアは腰を下ろす。再び帽子を目深に被り、髪を隠した。

 「何だったんだ?」
 「さぁ……」

 ジョージにからかわれながらも、自分の秘密は誰にも喋ることはできないため、曖昧にはぐらかしておいた。

 「ねぇ、ソフィア、知ってる? 試合の前に、チームのマスコットがパフォーマンスをするみたいよ。プログラムに書いてあったわ」
 「本当?」

 前の列にいたジニーが振り返って言うと、ソフィアはビロードの表紙に房飾りのついたプログラムを開く。

 ――試合に先立ち、チームのマスコットによるマスゲームがあります。

 どうやら、ナショナルチームが自国から生き物を連れて来て、ショーを行うらしい。「楽しみね」とジニーと微笑み合った瞬間、ルード・バグマンが貴賓席に勢いよく飛び込んできた。

 「大臣――ご準備は?」
 「君さえよければ、ルード、いつでもいい」

 ファッジが満足げに言うと、丸顔をツヤツヤ光らせて興奮したエダム・チーズさながらのバグマンが杖を取り出し、自分の喉に杖先を当てて一声「ソノーラス! 響け!」と呪文を唱えた。満席のスタジアムから沸き立つどよめきに向かって呼びかけると、ピッチの隅で楽団が演奏を止める。バグマンの声は、大観衆の上に響き渡り、スタンドの隅々までに轟く。

 「レディース・アンド・ジェントルメン……! 第四二二回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦に、ようこそ!」

 観衆が叫び、拍手した。

 何千と言う国旗が打ち振られ、お互いにハモらない両国の国歌が騒音をさらに盛り上げる。貴賓席正面の巨大な黒板が、『バーティー・ボッツの「百味ビーンズ」一口ごとに危ない味!』という広告消し、こう書いた。

 ブルガリア 0 アイルランド 0

 「さて、前置きはこれくらいにして、早速ご紹介しましょう……ブルガリア・ナショナルチームのマスコット!」

 プログラム通り、バグマンがブルガリアチームのマスコットを紹介すると、深紅一色のスタンドの上手から、大歓声が上がった。紹介を受けて、スルスルとピッチに現れたのは、背筋がゾッとするほど美しい女性たち。ソフィアは、目を瞠って百人はいるであろう女性の群れを見下ろす。

 まるで、彼女たちが存在している空間だけ違う世界のように輝いて見える。じっと見ていると眩しくて、目を細めたくなってしまう。

 日常性を超えて、狂うほど綺麗な彼女たちは、『目眩まし魔法』がかかっていない時のソフィアの生き写しだ。ソフィア自身が自覚するほど、似ていたのである。そして、ブルガリアチームのマスコットが何なのか、分かってしまった。

 「ヴィーラだ!」

 誰かが叫んだ。そう……言葉の通り、ヴィーラだ。ヴィーラは、ソフィアの亡き母親でもある。月の光のように輝く肌で、風もないのにシルバー・ブロンドの髪がたおやかに靡いていた。

 音楽が始まるとヴィーラが躍り始め、男性観客の全員が魂を抜かれたようにピッチで舞うヴィーラに釘付けになっている中、ソフィアも同じように万眼鏡でひたすらヴィーラを眺めていた。母親と同じ生き物を意識しないことのほうが難しい。

 ヴィーラの踊りがどんどん速くなると、観客席から飛び降りようとしている者まで続出した。

 ドラコが前列へ割入って行こうとするのを、ナルシッサが引き止めたり、ハリーが椅子から立ち上がって片足をボックス席の前の壁にかけているのを「ハリー、あなた一体何してるの?」とハーマイオニーが止めている。ロンに至っては、飛び込み台からまさに飛び込むばかりの恰好でいるところを、ジニーによってかろうじて抑えられていた。

 音楽が止み、ヴィーラのパフォーマンスが終わると、皆ぱちくりと目を瞬いて我に返りだす。が、ヴィーラの美しさに魅入られた彼らは、まだ夢の中にいるような虚ろな目をしている。スタジアム中がヴィーラの退場を望まず、あちこちから怒号が飛び交う。ハリーもロンも、ドラコも同じだった。

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