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クィディッチ・ワールドカップ、決勝戦はアイルランドの勝利で幕を下ろした。ブルガリア 一六〇 アイルランド一七〇クラムがスニッチをキャッチしたが、ブルガリアは十点及ばなかったのである。フレッド、ジョージの二人が、「賭けに買ったぞ!」と大はしゃぎで座席を跨ぎ、バグマンに約束の金を要求していた。
「俺たちのビッグな計画は、まだ潰れちゃいない!」
ボックス席からの去り際に、フレッドがジョージに興奮冷めやらぬ状態で話しているのが聞こえて来て、ソフィアは「おめでとう、良かったね」とにっこりする。それに対して、ジョージが「これが第一歩目さ」と口角をきゅっと持ち上げた。
キャンプ場まで戻る道が混まない内にと早々スタジアムから出てきたはずだったけれど、外は既に群集でひしめき合っている。ランタンに照らされた小道を引き返す道すがら、夜気が騒々しい歌声を運んできた。レプラコーンは、ケタケタ高笑いしながら手にしたランタンを打ち振り、人々の頭上を飛び交う。
やっとテントに着いて寝支度を済ませた今も、テントの外は大騒ぎで、とても眠りに着ける状況ではない。キングズリーがバスルームにいる間、ソフィアはロッキングチェアに揺られながら万眼鏡を覗き込み、再生つまみを回す。カチ、カチ……と時計の秒針が進むような音の後、映像が流れる。
神妙な表情で見つめているのは、ブルガリアのマスコットである、ヴィーラの映像だ。
レンズの中で煌びやかに舞う姿。ソフィアと、とてもよく似ているヴィーラたち。月の精霊のような、今にも輝きに飲み込まれて消えてしまいそうな美しさ。ディメンターに襲われた時、聞こえてきた悲しくも優しい声をもった母の化身。
思いがけず母と同じ種族を前にして、寂しくならないといえば嘘になる。母親の影がチラつくたびに、どうしても埋められない心の隙間に気が付く。
映像が終わって、もう一度再生つまみを回す。ヴィーラが躍る。二回目は、スローモーション再生。三回目はコマ送り。四回目はアクション再生。
見ていると侘しさに心が焼ける感覚がしたが、見るのを止められない――。
ソフィアは、ゆっくりと瞬きをした。緩やかに髪を撫で梳く行為が、幾度となく繰り返されている。とても心地がよかった。安心して、泣きたくなるような。気が付けば、ソフィアは誰かの柔らかな膝の上に頭を乗せ、体を胎児のように丸めて横たわっていた。
薄っすらと目を開けば、口元に軽く作られた自身の握りこぶしがあって、目の前には咲き乱れんばかりの花々。あれ……? とソフィアは虚ろな頭で考えた。さっきまでテントにいて、ロッキングチェアの上で万眼鏡を見ていたはずなのに、ここはどこだろう?
ソフィアが頭を乗せていた膝の持ち主へ聞こうと体を起こしたが、その人を見た瞬間、息を呑んで目を見開いた。病的なまでに白く、細い首をした女性を隠すみたいに、シルバー・ブロンドが靡いている。辺りは一面が白く、女性は色と同化してぼやけ、こんなに近くにいるのに、触れているのによく見えない。
ソフィアが目を細めて身動ぎをすると、花がくしゃりと踏みつぶされる音がした。ハッとして視線を下に落とすと、地面はなんとも奇妙だった。ソフィアと女性の二人が腰を据えている場所だけに、花々の絨毯が広がり、そこから先は何もないただの白。二人がいる空間だけが切り取られたように、花々が咲き誇っている。
「ユリの花……」
花は、どれもこれもが白や淡いピンク色をしたユリだ。その内の一輪に、触れないように手をかざしながら呟いて、ソフィアは輝かしい女性へ視線を戻す。
「あなたは……? ヴィーラ?」
女性に手を伸ばす……触れるまであと数センチというところで、突然「ソフィア!」とアーサーが叫ぶ声がした。
「上着を着て出なさい」
目をゴシゴシ擦って見てみると、パジャマとジーンズ姿のウィーズリー氏がやって来ていた。何か事件が起こったような様子だ。ソフィアはスニーカーをベッドの下から出した。言われた通りテントを出ればキャンプ場の森は異様な音環境をしていた。幾重かの木々が立ち並んだ先で、緑色の光が浮かんでいる。
その下を何かが、おそらく人の集団が行進していた。障害物は壊されるか踏み倒され、火事まで起こっているテントもある。
「むかつく」
ロンが眉間に皺を寄せて、呻くように言った。パジャマにガウン、スニーカー姿の彼の隣には同じような姿のハリーと双子がいる。徐々に増えていく集団の上には、このキャンプ場の管理人であるマグル一家が浮かんでいた。
抵抗も出来ず理解不能な力に攻められ何度も悲鳴を上げている。女性のネグリジェが捲れ、中の古ぼけたズロースが露わにされていた。
「本当、むかつくわ」
ソフィアの後に出てかたハーマイオニーが言った。女性がいくら隠そうにも届かない、酷く陰気で派手な嫌がらせだ。下の集団は仮面を付け、フードをすっぽり被っている。ジニーまで外に出たのを確認したウィーズリー氏が再びソフィアたちの前にやってきた。
「何が起こってるの?パパ」
「わからない」
フレッドの疑問にもハッキリした答えは返ってこなかった。同じくして、寝間着から着替えたビルとチャーリー、パーシーがテントから出てくる。
「僕たちは魔法省の手助けをするよ」
杖を片手にそう言って、ビルを先頭に薄暗い森の小道を駆けていった。ウィーズリー氏は焦りを隠せずにいる様子だ。被害は確実に広がっていっている。
「お前たちは森の奥に隠れてなさい。全てが終わるまで出てきてはいけないよ」
誰も反論できなかった。それほど周囲の状況は殺伐として、危険だった。ウィーズリー氏が踵を返しビルたちを追っていく。それを見送って、フレッドがジニーの手を握った。
「行こう」
頷いたのは全員ほぼ同じタイミングだった。唇を引き結んで、厳かに足を動かす。先頭にフレッドとジニー、その後にハリー、ハーマイオニー、ロン、ジョージ、ソフィアと続いた。
「何が起こってるんだと思う?」
「さぁ…でもこんなイベント会場で問題を起こすなんて……」
そこはもう、ワールドカップを楽しんでいた場所ではなくなっていた。魔法使い達が、見栄を張ってテントにあれこれとつけた装飾品はバラバラに粉砕され、テントは潰されている。急に後ろが明るくなったのは、テントから激しく昇る火柱のせい。どんどん他のテントにも火が燃え移り、炎は轟々と強く激しく燃えていた。
叫び声が、更に大きくなる。
「ハリー、ロン、急いで!」
近くでハーマイオニーの叫ぶ声がした。森へ向かって逃げて行く群集の隙間から、ハーマイオニーがハリーとロンと手を繋ぎ、森の方へ二人を引っ張って行く。ソフィアも三人を追いかけようとした……しかし。
「待っ――」
「フラー!」
腰に衝撃が走り、後ろから腹部にかけてきつく腕が回された。行く手を阻まれた挙句、身動きまで取れなくなってしまい、踏み出した足が地面を深く抉る。心臓が体を突き破るのではないかというほど、大きくソフィアの胸骨を叩きつけ、一体何がと考えるよりも、反射的に腹部へ視線を落とす。
夜目にも分かるほど、真っ白な小さな手。子どもだ。それもかなり幼い。
ソフィアは腕を解こうとしたが、こんなに小さな手のどこにそんな強い力があるのかと思うくらい、しっかりと体に巻き付いている。腰に顔を埋めているようで、鼻が当たっている感触があった。「フラー、フラー」と何度も確かめるように呼ばれ、ソフィアは小さな手の持ち主を見下ろした。
腰まで伸びた雑じり毛のない長い髪――女の子だ。髪を撫でてやると、少女は腰に埋めていたぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔を持ち上げた。しかし、ソフィアを見るなり、体をきつく抱きしめていた腕をあっさり解いて後ずさりし始める。顔は恐怖に染まり、大粒の涙を零して歪めた。判断力が鈍っているのか、女の子が森とは逆方向へ……仮面をつけた魔法使い達の方へ駆けだそうとした瞬間、再び閃光が飛んだ。
「プロテゴ!」
ソフィアは、咄嗟に杖を抜いて呪文を唱えた。女の子の前に透明な盾が作り出され、攻撃魔法が弾かれる。目の前でそれを見ていた少女は、足を竦ませその場に立ち尽くす。
「おいで、大丈夫よ」
ソフィアは、恐怖で声も出せず、動けなくなってしまった女の子の手を掴んで、森へ走った。
競技場への小道を照らしていたランタンは既に消えていた。木々の間を黒い影がまごまご動き回り、子供たちが泣き喚いている。冷え切った少女の手を取り、ソフィアは夜気を伝って不安げに叫ぶ声や恐怖に戦く声の隙間を縫っていく。
キャンプ場の方からは、まだ緑の閃光が炸裂したり、爆弾が破裂するような音が聞こえている。大木の根元に身を寄せ、女の子の背を幹にもたれかからせると、少女はズルズルと膝から崩れてしゃがみ込んだ。
ここまで立ち止まらずに走って来たのだから、疲れてしまうのも当然だろう。彼女はジニーよりもアステリアよりも小さい……小さいどころか、幼い。まだ七歳か八歳といったところだろうか。ソフィアは、少女の前に腰を降ろし、杖先に灯りを点けた。
「ごめんね、疲れさせちゃった? でも、ここまで来ればもう大丈夫。魔法省の人たちが頑張ってくれているから、もう少しの辛抱よ」
涙や汗や泥でぐしゃぐしゃになった顔は、酷く疲弊している。激しく肩を上下させて呼吸を乱す女の子の顔の汚れを、羽織っていたカーディガンの裾で拭ってやった。暗がりや汚れでよく見えなかったが、ソフィアは、少女が高値で売られている人形のように整った顔立ちをしていることに気が付いた。
膝を抱え、ソフィアを見上げている潤んだ青い瞳は零れ落ちそうに大きく、透き通るように白い肌……そして――銀色の髪。幼いながらにしてのこの美しさは、間違いなくソフィアと同じヴィーラの血が体に流れている。