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鏡張りの雄英校舎に、流れていく夏雲が映る。しかしそれと反してどんより重い空気が渦を巻くA組教室の一部分。
「皆…土産話っひぐ、楽しみに……うう、してるっ……がら!」
込み上げる涙を抑えられない芦戸。高校初の夏休みに光を失った上鳴。
絶望を背負い俯く切島。何も考えられず空を仰ぐ砂藤。四人は期末テストの演習試験で確保も脱出も適わずクリアできなかった。
「まっ、まだわかんないよ、どんでん返しがあるかもしれないよ……!」
「緑谷、それ口にしたらなくなるパターンだ……」
「試験で赤点取ったら林間合宿行けずに補習地獄!そして俺らは実技クリアならず!これでまだわからんのなら貴様らの偏差値は猿以下だー!」
「落ちつけよ、長ぇ。わかんねぇのは俺もさ。峰田のおかげでクリアはしたけど寝てただけだ」
瀬呂の演習試験での監督官はミッドナイト。彼女は体から発する「眠り香」で嗅いだものを眠らせてしまう。開始早々ペアの峰田を庇った瀬呂はまんまと香を嗅いでしまい行動不能。その後峰田の奮起のおかげでテストはクリアしたものの、自分は何も功績を残していなかった。
慰めも同情ももう何も耳に入らない4人に残っているのは補習地獄だけ。
そんな暗い空気の蔓延しつつあるA組の前方扉がカァン!と勢いよく開き「予鈴が鳴ったら席につけ」と相澤が姿を見せた。
「おはよう。今回の期末テストだが、残念ながら赤点が出た」
分かってはいたが、どこかほんの僅かに希望を捨てきれないでいた赤点候補者たちが「したがって……」と続ける相澤の言葉に胸を締め付けていく。
「林間合宿は全員で行きます」
どんでんがえしだあああ!!!
もう駄目だと首をもたげかけた4人に訪れた奇跡。
「筆記は赤点者なし、実技で切島、上鳴、芦戸、砂藤、あと瀬呂が赤点だ」
「ぐあっ……、確かにクリアしたら合格とは言ってなかったもんな……」
「行っていいんスか俺らあ!」
演習試験をクリアできなかった4人は喜びを爆発させたが、案の定クリアしても赤点だった瀬呂はそれだけに恥ずかしさが増した。
「今回の試験、我々ヴィラン側は生徒に勝ち筋を残しつつどう課題と向き合うかを見るよう動いた。裁量は個々人によるが。でなければ課題云々の前に詰む奴ばかりだったろうからな」
「本気で叩き潰すと仰っていたのは……」
「追い込むためさ。そもそも林間合宿は強化合宿だ。赤点取った奴こそここで力をつけてもらわなきゃならん。合理的虚偽ってやつさ」
また出た!合理的虚偽!
何にせよと大喜びの赤点組。
「またしてやられた……、さすがだ雄英!しかし!二度も虚偽を重ねられると信頼に揺るぎが生じるかと!」
「わあ、水差す飯田くん」
「確かにな、省みるよ。ただ全部嘘ってわけじゃない。赤点は赤点だ、おまえらには別途補習時間を設けてる。ぶっちゃけ学校に残っての補習よりキツイからな」
「!!」
「じゃあ合宿のしおりを配るからうしろに回してけ」
皆と行けるのは嬉しいけど、ですよねと赤点組はやっぱり蒼白した。
▽▲▽
そして翌日の木椰区ショッピングモールである。
「私はじめて来たあ!」
「おっきいねえ」
今回のメンバーは1ーA女子から6人、男子からは7人というなかなかの大所帯だ。ナウでヤングな最先端ということで噂には聞いていたが訪れるのは初めての静が麗日と共にテンションをあげていると、雄英生がいることに気付いた周囲から「体育祭ウェーイ」との声もかかって目を丸くする。適当にあしらいつつ、それぞれ買い物目的がバラけているので時間を決めて自由行動しようという切島の提案に皆賛同し、静も旅行用シャンプーリンスなど生活用品を見に行くことにした。
いくつか目ぼしいものを買えたところで、ふと向こうの方から人混みをかき分け赤いかんばせの麗日がスタタと走ってくるではないか。
「お茶子ちゃん…?」
「静ちゃん!」
麗日は髪の毛こそぼさぼさであったが、瞳がうるうるでキラキラしていてとても可愛いと何故かその時静は思った。
「…お、お茶子ちゃんどうしたの…?」
「えっと…………デクくんが、虫よけ…………」
「い、出久くんが虫…?」
「あっちゃう!ちゃうちゃうなんでもない!」
不思議に思いつつも静が買い物に戻ることを提案すると麗日は一旦緑谷のところに戻りたいとのことで、せっかくなので静はそれにひっついていくことにした。自分一人で戻るにはなんとも言えぬ気恥ずかしさがあった麗日は内心少しほっとする。
道中他愛ないお喋りして麗日はようやくうららかなペースを取り戻すことができ、最初に解散した広場付近で緑谷の姿を探すことに専念した。
もうどこかへ行ってしまっただろうかときょろきょろしていると、休日とあって人通りは多かったがほどなく彼のもさもさ頭を視界にとらえることができた。
「あっいたデクくん!」
南国産の樹木を囲むように設置されたベンチに腰掛けていた緑谷を見つけると二人は早速走り寄って行った。
が、どうも様子がおかしい。緑谷の隣に座って親しそうに肩を組んでいる黒いパーカーの男が1ーAの誰かではないどころか、彼の友人でもなさそうなことに二人はすぐに気がついた。「デクくん?」と麗日が声をかける。
緑谷の肩が震えた。
「お友達……じゃない……よね……?」
どう見ても談笑といった様子には見えない、異様な雰囲気を放つ二人に思わず麗日の声が上ずった。
パーカーの男が顔をあげた。静の胸に何故かヒヤッとしたものが落ちる。
「手、放して?」
麗日が続けた。静は目をみはった。
知っている。見たことがある。会ったことがある。いつだったかはすぐに思い出せなかった。ただ緑谷の隣に座るその男に静は見覚えがあった。焦ったように目を見開いた冷や汗まみれの緑谷が、なんでもないから大丈夫、来ちゃ駄目だと言う。その首をしっかりと男の手が掴んでいた。
疑惑は確信に変わる。彼が誰であろうと少なくとも今、緑谷は確実に危険な状態に晒されている。予想していなかった突然の出来事に一瞬判断が鈍った。その瞬間に男が動いた。
「連れがいたのか、ごめんごめん」
男はパッと明るく、拍子抜けるほど朗らかな様子を纏って緑谷から離れ両手を掲げた。「デクくん!」と麗日が走り寄って静も慌ててあとに続いた、その時だ。
男と目が合った。どきりと脈打った心臓がそのまま止まってしまうのかとさえ錯覚した、不思議な感覚であった。
フードと乱れた髪の奥に隠れた淀んだ眼差しの中には、確かに何かの光が灯っていた。ヒーローと似て非なる何かだと静は思った。
そのぎらついた瞳が、静の姿をはっきりと捉えていた。
思わず息を飲むと同時に、腕に触れる何かの感触があった。男の指先だった。
「……!」
男の、手首を掠め取ろうとするような動きに硬直した瞬間。強く後ろに引かれる感覚があって静はよろめいた。
緑谷が喉元を抑えて激しく咳き込みながら、静の反対側の腕を引き寄せていたのだ。
男の手はすんなりと静から離れていった。
「じゃあ行くわ。追ったりしてきたらわかるよな?」
「待て……死柄木……!!」
時間にしたら一瞬であったのかもしれない。麗日がその名にハッとして振り返ったときには、死柄木と呼ばれた黒パーカーの男はもうこちらには目もくれず人の波の方へと去って行ってしまった。死柄木―――死柄木弔。
USJ襲撃事件の主犯、敵(ヴィラン)連合のリーダー。
緑谷が叫ぶが、その姿はすぐに人混みに紛れて消えてしまう。
「デクくん!静ちゃん!」
「ゲホッ、静、ちゃん、大丈夫!?」
「い、出久君の方がっ…!」
ひどく咳き込む様子の緑谷の背をさすりながら、静はようやく事の大きさを実感しだした。
死柄木弔、何故こんなところにいるんだと。それまでの悶々とした考え事も一瞬にしてすべて消し飛んで、代わりに嫌な汗が止まらなくなった。すぐさま麗日が警察を呼んで、辺りもたちまち騒然となる。
騒ぎを聞きつけた他の友人たちも集まってきて、各々不安と心配を表情に浮かべていた。静も強がって笑顔を向けることすら憚られた。ぎゅっと唇を噛む。
USJの一件で身をもって恐ろしさを感じた敵の襲撃。流れる日々の中で薄れかけていたその記憶が鮮明に思い出された。
彼らは着々と準備を進め、今もどこかで爪を研ぎ、襲撃の日を待ちわびているのかもしれない。またいつかふとしたときに、自分たちに向かってその牙を剥くのだろうか。
別れ際に放たれた、次に会う時は殺すと決めた時という、死柄木の言葉が思い出されてぶるりと肌が粟立った。
あの時撫でるように触れていったかさついた手の感触がぬぐえなくて、静は腕をさすった。
(…全然…動けなかった…)
あの一瞬、死柄木に腕を伸ばされて静はまるで反応できなかった。
緑谷が後ろに引いてくれなかったらどうなっていたのだろうか。
咄嗟の瞬間に何もできず、自分の未熟さと緑谷の強さを実感して静は項垂れた。
また次、来てほしくない次のその時がきたとき、自分は正しく動くことができるのだろうか。
悲しいかなそれがそう遠くない未来であるということも知らず、その日のことを思って不安が静の胸を覆った。
合宿準備のための買い物は、結局何一つ用意することができなかった。
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