8
――咬み殺したい。
自分がふと抱くその衝動は何なのだろうかと雲雀は考える。
草食動物達が群れている時、自分の癇に障った時、それは突如現れて雲雀の脳内を支配する。そうなればもう誰も止められない。苛立ちの原因が消えるまでその衝動は体の中を渦巻いている。
そしてそれが楽しみや喜びという感情に変わるのも早かった。自分に跪いて許しを請う人間や泣き叫んで嘆く人間を見ると背筋がぞくりとする。それらを全部無視して咬み殺した時のあの爽快感は何にも変えがたいものなのだ。だから、なのか。
雲雀に見られているとも知らず群れている男女の生徒は良からぬ笑みを浮かべながら雑談をしていた。
中庭で固まっていたその二人は、本来ならば雲雀が見かけたその瞬間に咬み殺されるはずだった。
制服は改造され、髪の色素は抜け、指輪やピアスを惜しげもなくつけている生徒達。
近頃風紀検査がなかったことに舌打ちした雲雀はトンファーを握り締めたが、彼の足を止めたのは女子生徒の言葉だった。
「じゃあね、頼んだわよ。あの女黙らせるにはもうこれしかないんだから。私の男取りやがって…!」
「あいつが勝手にその女のこと好きになったんじゃねーの?付き合ってねーじゃん」
「…うるさい!アンタにはちゃんとお金払ったでしょ!」
「りょーかいりょーかい」
「(…くだらない話だな)」
あははははっと笑う二人を見て、雲雀はため息をついた。
しばらく談笑した後、女の方はさっさとその場を去った。
獲物が一人減ったな、と男の方に狙いを定めたその時、男が呟いた言葉に今度こそ雲雀は驚いて瞳を見開いた。
「…はー。しっかし、うまくやんねーとな。その女が本当に風紀委員だとすりゃ普通のやり方じゃ無理だろうし…簡単に言ってくれるぜ」
――蛍。
一瞬息が止まった雲雀だが、すぐその男の前に姿を現して襟元を締め上げた。
「ひ、ヒバリ…っ!?」と驚く男を冷たく見下ろした雲雀は数ヶ月前のことを思い出していた。
そうだ、あの時だって蛍は他人の嫉妬を理不尽に被せられていた。本来であれば受けなくてもいい虐めを友人の代わりに受け、それでも心配させたくないと笑っていたのだ。
…は、と雲雀は嘲笑した。本当にくだらない。こいつら草食動物も蛍も、そして僕も。
どうしてこうも馬鹿なんだろうね、と思いながら雲雀は躊躇することなくトンファーを振り下ろした。
▽▲▽
軽い足取り、少し機嫌がいい表情。だけど口にする言葉は、「5万。」
たこ焼き フランクフルト チョコバナナ わたがし カキ氷
左右にずらりと並んだ出店の中を歩く蛍の目には様々な文字が飛び込んでは流れていく。目に映る派手に装飾された単語はどれもこれも心躍らせる食べ物ばかりであり、ソースが焼け焦げる香ばしい匂いが食欲をそそった。
辺りを見渡せば道は浴衣を着る人々で溢れ返っていて、賑やかな祭囃子が耳をくすぐる。並盛神社の鳥居を潜るとそこはすでに祭り一色になっていた。
紺色の布地に白い大きな花が咲く浴衣を着て、髪を上品にクラシックなまとめ髪に結い上げて、浴衣と同じ白い花の髪飾りをつけているその姿は間違いなく祭りを楽しみにやってきた女の子の姿だ。
道行く人は皆顔を赤らめながら通り過ぎていく。しかし彼等が視線を向けるのはそれだけではなく、
「蛍、次行くよ」
「はい…っ」
少し離れた屋台に集まって蠢いている黒い集団、もしかしなくても風紀委員の者たちである。
風紀委員の集金活動なのだ。勿論払えないところには風紀委員直々の制裁が与えられる。
そんな恐怖の活動に風紀委員である蛍も参加、というよりはただ成り行きを見守っているのだが、その表情はいつもよりどこか暗い。というのも――
「(…お祭りと聞いて、浴衣まで着てきたのに……風紀委員の活動だったなんて…)」
雲雀から連絡があった際に大事な用件までは言われなかったので、祭りというキーワードだけで浴衣を取り出し、母に着付けを手伝ってもらったほど浮かれていた。
だが、言われた場所に来てみれば雲雀以外の他の風紀委員が視界に入った瞬間、思わず肩を落としてしまった。
そんな蛍ではあったが、ふと視線が注がれたのを感じて顔を上げると、雲雀がこちらをじっと見ていた。
ピタリと動きが止まった雲雀に蛍は思わず動揺して、目を丸くして驚いている様子の彼の黒い双眸を見つめた。
珍しい、意識が飛んでいる。確かに雲雀の瞳は蛍を映しているのに、認識してはいないのだろうか。
「雲雀先輩、どうかしました…?」と恐る恐る尋ねた蛍が顔を覗き込むと、ようやくそこで雲雀はハッと我に返ったようだった。
「…別に」
「あ、この格好……ごめんなさい、一人だけ…遊びに来たみたいで…」
実際初めはそんな気持ちもあったのだが、仕事をこなす風紀委員の手前言えなかった。
「仕事に支障は出ないから問題ないでしょ」
「はい…」
「それに、いいんじゃない?似合ってるし」
雲雀はそう言って踵を返したかと思えば、蛍をその場に残したままスタスタと歩き出そうとする。
「…何してるの蛍、ぼうっとしてると置いてくよ」
呆然としていた蛍が雲雀の声にハッと我に返り、カラコロと下駄の音を鳴らしながら駆け寄っていった。
火照った顔が冷めるよう夜風を伝いながら。