24
目の前にいる少年は微笑みながら自分が六道骸であることを告げた。蛍が自分を探していることを知りながら黙っていたことも、他人のふりをしてアジトを教えたことも、全ては彼のたわいもない遊びだったとでもいうように。
彼の手のひらの上で思い通りに動く蛍はさぞ滑稽だっただろう。
退屈だったから暇潰しにでもしようかと思ったのだろうか。微笑を湛えている彼の表情からは何も読み取ることが出来なかった。わかっているのは、雲雀が既にこの少年に遭遇して負けたということ。
引きつりそうな息をぐっと押し殺し、震える腕を押さえ込んで六道骸をきっと見上げた。ここで弱味を敵に見せてはつけこまれてしまう。彼らの手によって重症の傷を負わされた並盛の生徒達の為にも絶対に屈することだけは出来なかった。
そう、彼らは自分の仲間を襲撃した張本人なのだ。
草壁を、雲雀を傷つけたことは絶対に許せない。
六道骸という少年が何の目的で並盛の生徒を襲っていたかなど蛍には知る術もないが、蛍の大切な仲間を傷つけたことは変わらない事実だ。
…もし自分が戦えたら。もし強ければ、彼らの仇を取れたかもしれないのに。雲雀先輩を助けられるかもしれないのに。
強くなりたいと切に思う。想いだけではどうしようもない理不尽なことも力さえあればどうにか出来るかもしれないのに、自分にはその力がないことが悔しくてたまらない。
人を守ることも出来なければ自分すら守れない。無力を実感してこれほど辛いことは今までになかった。
当たり前だ――今まで自分はずっと守られてきたのだから。それが友人であれ雲雀であれ風紀委員であれ、蛍に害を及ぼすような人達ではなく、むしろ蛍を守っていてくれたのだ。
助けを求めてはいけない。雲雀が敗れた今、蛍を助けてくれる人は誰もいないのだから。
「雲雀先輩…」
この時すぐに思い浮かんだのが何故彼の名前だったのか、助けを求めたのが何故彼だったのか、蛍は知らない。咄嗟に蛍が小さく呟いた声は物音一つしない静かな部屋の空気に溶けて霧散した。
明らかな敵意を含んだ視線を受けた骸は「残念、嫌われてしまいましたね」と愉快そうに笑った。残念などと毛頭思ってないくせに、と蛍はそっと心の中で呟いた。彼が嘘つきなのはさっき身に沁みて痛感したから、もう彼の言葉を信用する気はない。全部虚言だと思っていいくらいだ。
本当は蛍の反応が楽しくて楽しくてたまらないのだ――あまりにも思い通りすぎて。誰だって自分の大切な人が傷つければその傷つけた者を憎む。同じように傷つけてやりたいと思う。蛍だって出来ることなら六道骸に同じ痛みを与えてやりたかったけれど、自分には到底出来るはずがないとも自覚していた。
この少年は力も知恵もどこまでも蛍の上をいく人間であり、人を傷つけることに何の躊躇いも持たない。そこに快楽を見出す人間ではないとしても目的の為なら人をも殺してしまいそうな不気味さが彼にはあった。もしかすると彼の美貌はそれを欺く為に与えられたものかもしれない――宝石のような双眸に見つめられる度に頬に冷や汗が流れるのを感じつつ、蛍はそう思った。
骸は何かを思いついたかのように犬の方へ振り返り、「犬、あれを取って下さい」と瓦礫の山を指差した。あれ、という言葉に眉を顰めた蛍だったが「骸さまー、これれすかぁ?」と犬がジャラリと金属音を鳴らす手錠を手にした途端、ざぁっと血の気が引いていくのを実感した。それを見て骸は楽しげに目を細める。
「なに、を」
震えて上手く声が出ない。手錠を見てガチガチと歯を鳴らす蛍の腕はがっちりと骸に掴まれて逃げることすら適わない。いくら彼の手を振り払おうと抵抗してみても蛍の手首がきつく握り締められて赤くなるだけで、綺麗に節だった骸の手が離れる様子は皆無だった。骸の手の中にある蛍は狼狽しているただの少女に過ぎなかったのだ。
「暴れるとそれだけ痛い思いをしますよ」と言いながら、骸は犬から受け取った手錠を蛍の手首に押し付けた。
冷たい感触に思わず体が凍りつき、カシャンと手錠がかけられた音に耳を塞ぎたくなった。敵に捕らえられたと思い知らせるそれは蛍が手を動かす度に重く冷たい感触と耳障りな金属音を鳴らしてくる。
鎖の部分を指でなぞりながらクフフと笑みを浮かべていた骸は、掴んでいた蛍の手をぱっと解放した。立つ気力もなくなっていた蛍は今まで彼の力によって支えられていたのだろう、骸から開放された途端にどっとその場に座り込んでしまった。
その隙に蛍の髪を少しだけ束ねていた紺色のリボンを骸はさっと取り払う。何を、と視線を向けた蛍だが、彼は不敵に笑うだけで何も答えてはくれない。
それを取り返そうと腕を伸ばしたつもりだったが、酷く体が重くて…動けない。手錠をかけられている手は動かせないにしても、足はまだ動かせるから立ち上がることならば出来るはずだ。でも、まるで水の中に沈められてしまったようなだるさはいつまでたっても取れなかった。
そんな蛍を見下ろしていた骸は目の前にあったボロボロのソファーへと再び腰を下ろすと、犬にそのゴムを投げ渡して、さも楽しげに口を開く。
「犬、それを『彼』に渡してきてあげて下さい」
「えー、それってあのアヒルにれすか?まだ気絶してるっしょ」
「起こしてから渡すんですよ。そうしないと面白くないじゃないですか。自分の飼い猫が捕まったと知ったら…彼はどういった反応を見せてくれるんでしょうね?」
ねぇ蛍、と呼びかけてくる骸を蛍はキッと見上げる。リボンを取られたせいで纏められていた髪の毛が頬にかかったが、そんなリボン一つで何が出来るのかと思う。蛍が敵に捕まったと雲雀が知れば蛍が彼の命令に従わなかったことに気付いて眉を顰めるだろう。馬鹿だと思われるかもしれない。
だが、それだけだ。他人と自分をはっきりと区別している雲雀は骸の思い通りにはならないと、強く蛍は確信していた。
「…貴方が何を考えてるのか知りませんけど、雲雀先輩はそれくらいで動揺したりしません」
「そうでしょうか?人には必ず弱味があるものですよ」
「そうだとしても、それは私じゃありません。…雲雀先輩は強い人にしか興味ありませんから」
「…意外と頑固ですねぇ」
はぁ、とため息をついた骸は犬を促して雲雀の元へ行かせた。蛍がこれほどまで頑なに異議を唱えるとは思わなかったが。流されやすい子だと思っていたのだが、譲れない所はあるらしい。
どちらにせよ、雲雀が何かしらの反応を示すことは間違いない。この少女は思ってもいないようだが…。
笑いを零す骸に眉を顰めた蛍は雲雀の件に関して話すことを放棄した。ポツリと呟いて彼の真意を尋ねる。
「貴方は何がしたいんですか」
「…何がです?」
「並盛中の生徒達を無差別に襲ったり、私を騙したり、一体並盛生に何の恨みがあるんですか?貴方の目的は…何なんですか」
退屈しのぎの遊びだなんて言おうものなら質が悪すぎる。
けれど骸はじっと蛍を見つめた後、一枚の紙を取り出した。
どこかで見かけたことのあるその紙の一番上には『並盛中のケンカの強さランキング』と題名が示されている。
どこかで見たことがあると蛍が思ったのは間違いではなかった。彼女の身近には、そのランキングの精密さからマフィアに追われている少年がいたのだ。
「フゥ太くんのランキング…!?」
驚いた蛍が紙から目を離して骸を凝視すると、骸は笑いながら「そうですよ」とあっけらかんと答えた。
フゥ太を知っている蛍からしてみたら、フゥ太が自ら進んで骸にランキングを渡したとは到底思えなかった。彼はまだ少年だが、何が善悪なのか、誰が信用するべき者なのか、誰が自分を利用しようとするのか、経験上、人間の本質を見分ける才能に長けているのを知っている。
一般の人間を守るような良いマフィアには無償でランキングを手渡すこともあるが、麻薬の売買などをしている悪いマフィアには何億積まれてもランキングを売ることはない。
フゥ太が無差別に並盛生を襲うような骸に力を貸すわけがないと確信を持って言える。脅されでもしない限り。
「…フゥ太くんをどうしたんですか」
「ご心配には及びませんよ。怪我一つありません。何なら確かめてみますか?」
徐に立ち上がった骸が部屋の片隅にある扉を開く。
するとそこにはランキングを抱きかかえるようにして座っていた少年が、体を強張らせてこちらを見ていた。
「蛍姉!」
骸の脇をすり抜けるようにして駆け寄ってきたフゥ太は、思いっきり蛍に抱きついた。両手が不自由な蛍が彼を抱き止めることは出来なかったものの、彼が無事であることにほっと息をつく。確かに怪我一つないようだ。
けれど、その小さい体は震えながら蛍にしっかりとしがみついている。どれだけの恐怖を与えられたのだろう、とフゥ太の背中をあやすように撫でていた蛍は咎めるように骸を睨んだ。
「こんな小さな子まで利用するなんて、どこまで貴方は…!」
「仕方ありません。僕達が探している人物を探すには少々強引な手を使うしかありませんでしたからね」
「…探している人?」
蛍が首を傾げると、蛍の服の裾をぎゅっと握っていたフゥ太は「僕のランキングで探そうとしてるんだ」と怯えながら骸の方へと振り返る。
「君は最初の被害者が何本歯が折れていたのか知っていますか?二十四本全部です。
それから一本ずつ抜くのを減らしています。
そしてランキング二十四位の彼が最初の被害者…ここまで言えば後はもうわかるでしょう?」
「そんなことして一体何の意味があるんですか…!?
探している人を見つけたいにしても、無関係な人を襲うなんて…!」
「運が悪かったとしか言いようがありませんね。こうやって挑発しなければ出てきてくれないかもしれませんからそうしたまでです」
やっぱり彼は目的の為なら人を傷つけることも厭わない冷酷な人間だ。突き放したことしか言わない骸を見て、改めて蛍はそれを痛感していた。
その人物を見つける為なら、フゥ太を脅してランキングを手に入れようが無関係な人間が犠牲になろうが、彼には全く関係ないのだ。目的の人物を探し出すまで襲撃は止まらない。
なら、骸が探している人物さえわかればもしかしたら襲撃は止むかもしれない。
そう思った蛍がフゥ太に何回もその人物のことを知っているか聞いてみても、決して話そうとはせずに口を閉ざしたままだった。蛍に問いかけられるまでもなく、何度となく骸に聞かれているのだろう。
そこまでして「言えない」と首を振るフゥ太の様子からすると、今度はその彼が襲撃されると思っているのかもしれない。
確かにその可能性は十分にある。その人物を探し出すために骸達は次々と並盛生を襲っているのだから、フゥ太が話してしまえばその人物が目標にされる可能性は高い。そこまで咄嗟に考えつかなかった自分を恥ずかしく思いながら、今度襲撃される人物は誰なのか確かめるべく、骸が持っているランキングに視線を向けた。
ついさっき襲われた草壁先輩は四本歯がなくなっていた。だとしたら次に襲われるのは三位の人からで…。
草壁の上に書かれた名前を見て、蛍は息が止まる思いがした。
「獄寺くんと山本くん…!?」
そこに書かれていたのは、間違いなく『獄寺隼人』と『山本武』という名前だ。思わず瞠目した蛍はフゥ太がぎゅっと手を握ったのを感じて、まさか、と悪い考えが頭を過ぎる。
今まで当たりが出なかったというのはボンゴレファミリーに当たらなかったという意味ではないのか。
そこで蛍はハッとした。フゥ太が慕っている人間で並盛生といえばツナと獄寺と山本くらいしか蛍は思い浮かばない。だとしたらフゥ太が庇っている人物、骸が探しているという人物は、ボンゴレファミリーではないのだろうか。
ボンゴレと骸達の間にどんな因果関係があるのか蛍は知らないが、それならフゥ太のランキングを知っているのも頷ける。マフィア界では彼のランキングが重宝されているらしい。
前にリボーンが「フゥ太のランキングは業界全体の最高機密だからな」と言っていたのを思い出した。
「…貴方は何者なんですか」
彼がボンゴレファミリーに敵対しているマフィアでもそうでなくても、マフィアに関係していることは明白だ。
そして自分の弟でもあり次期ボンゴレファミリーのボス候補であるツナや、その仲間達に何らかの害を及ぼそうとしていることも。
蛍の問いかけに「さぁ、何者でしょう?」と微笑み返す骸はそれに答える気はないらしい。もう彼の正体なんてどうでもいい、と蛍は思った。
敵であることには変わりはない。これから襲撃される二人を助けなくてはならないと骸を見上げる。
「今獄寺くんを襲いに行ったのは貴方の部下でしょう、止めさせて下さい。私の友達なんです。山本くんだって…」
「何故僕が君の頼みを聞かなければいけないんですか?僕にはそんな義務はありませんが。仮にもし君の言う通りにして僕に何の利益があるっていうんです?」
「―――――!」
「君は大人しくここで何も出来ないことに歯痒さを感じていればいいんですよ」
口元を歪めて笑う骸の言葉に憤りを感じて絶望し、そしてその通りだと思った。
何も出来ない。雲雀もフゥ太も捕らえられていたというのに、助け出すどころか自分も捕まってしまったのだ。
自分の弟が、友達が酷い目に遭うかもしれないという事態のときに。
無力な自分は…何も出来ない。数々の骸の言葉は胸に突き刺さるように鋭く、思わず唇を噛み締めた。
泣きたくない。泣いてしまえば骸は嬉々として蛍の弱味につけこんでくる。人の心を弄ぶことに喜びを感じるような男だ。泣いて何かが好転するわけでもなく、ただ無様な姿を晒すだけ。泣いたら負けだとすら思った。
蛍姉…と心配そうにフゥ太が蛍の腕をしっかり掴むのを感じ、自分よりいくらか年下の子に不安を抱かせてしまったことを後悔した。彼だって不安だというのに、ここで自分が折れるわけにはいかないのだ。
そう思っていた矢先、耳元にコツリと革靴が床を鳴らすような音が入り込む。驚いて顔を上げると、いつのまに動いていたのか、骸が蛍達を見下ろしていた。
「さぁ君の出番はもう終わりましたから、僕達の邪魔をしないように向こうへ行っていて下さいね」
「何を…!?」
フゥ太を庇うようにぎゅっと彼を抱き締めていた蛍だったが、ふいにフゥ太の様子がおかしくなる。
骸と目を合わせた途端に蛍の腕からするりと抜け出した彼は、どこかの部屋へふらふらと歩いて行ってしまった。
不自然な行動に「待って…!」と呼びかけても何も反応を返さない。焦点が定まっていない瞳は何も映し出してはいなかった。
「フゥ太くんに何を…また嘘をついたんですか…!」
「クフフ、傷つけてないと言ったでしょう?ただマインドコントロールしているだけですよ。僕達の都合の悪いように動いてもらっては困りますからね」
「…私、貴方のこと許せそうにありません」
「結構ですよ」
嫌って下さい、と笑った骸はいきなりぐいっと蛍の胸元を掴んで顔を近付けて言い放つ。
「僕を酷く嫌う君がこれからどう変わるのか、とても面白そうですからね」