27
壁にもたれかかっていた雲雀は、鳥の鳴き声を聞いてピクリと耳を動かした。小さな窓から見える空に数羽の小鳥が飛んでいる。
「鳥か…」
小さく呟いた雲雀は関係ないかと言うように再び瞳を閉じた。まだ戦闘出来るまで体力は回復しておらず、体の節々が痛みを脳に訴えてきている。正直、呼吸すらままならないのだ。
けれどこんな所で悠長に座りこんでいるつもりはない。一刻も早く蛍を助けに行かなければ、六道骸が彼女に危害を加えることは明白だ。自分と繋がりがあるせいで骸に興味を抱かれたというなら、今回の事件に関わらせたこと自体が間違っていた。蛍なんて学校に閉じ込めておけばよかった、と今更後悔する。
だが後悔しても、もう事態は取り返しのつかない所まできてしまっているのだ。それに過去を悔やむなんて柄じゃない。トンファーを握り締めた雲雀は、口の端から流れる血をぐっと拭った。
***
「なによ、ちょっと顔がいいからって調子のらないでよね、骸ちゃんはアンタを都合のいい人質としてか思ってないんだから」
蛍の目の前に突然黒曜中の制服を着た少女が現れた。また仲間…!?と蛍が身を強張らせて僅かばかり体を後退させると、前髪を七三に分けたおかっぱ頭の少女は目を半眼にさせて、ビシッと指をさしてきたのだ。
誰も彼も一般人でないことは確かだと思えるほど異様な外見をしていた。一目で高いとわかるくらい高級な鞄を持っている少女M.Mをはじめとして、まるでミイラのような風体をした双子、顔を帽子で隠しているが頬に刺青のある男、数羽の鳥を肩に乗せた明らかに年を取っている男…わかっているのは、骸達の仲間だということだ。同じ黒曜中の制服を揃って着ている所からしてそれは間違いない。
その中の誰もが裏の世界の住人だということは、蛍も薄々感づいていた。何より身に纏っている雰囲気が禍々しいのだ。
「ウジュ…。六道さんもいい子を人質に選びましたねぇ。美しい顔が歪むさまをぜひ見てみたいものです」
「え…」
痛がって頬を摩っている蛍を興味深そうに覗き込んできた男は、やや興奮して上擦った声を出しながら近付いてきたが、骸が目を細めると「冗談ですよ、冗談」と歩みを止めた。どこまで冗談だったのかわからないが、危ない人種だということは確かだ。
冷や汗をかいていた蛍はほっと息を吐き出した。どうやら蛍は人質としての価値を失ってはいないようで、とりあえずしばらくは危険がないように骸が取り計らってくれるらしい。会話を聞いていてもリーダーなのは骸のようだから、骸の気が変わらないうちは身の安全が保障されたと言ってもいいだろう。
けれど、それは自分だけだ。今から来るであろうツナ達を案じた蛍は、ぎゅっと拳を握り締めた。今どこにいるのかわからないが、無事でいてほしいと願うしか蛍には出来ない。
そう考えていた蛍は「蛍姉、大丈夫…?」という声がした方へ顔を上げると、そこには骸に操られていたはずのフゥ太が身を隠すようにして立っていた。どうやら今は暗示をかけられていないようで、周りの黒曜生達に怯えているが、真っ直ぐに蛍を見つめてきた。
「フゥ太くん」と名前を呼べば、慌てたように駆け寄ってくる彼の姿に安心してぎゅっと抱き寄せる。敵地で一人ぼっちでいる彼はどんなに心細いだろう。フゥ太が再び骸に操られることを危惧しながらも、今はただ会えたことにほっとした。
それを興味が失せたように見ていた骸は、そういえばとバーズに問いかける。
「バーズ、犬の様子はどうでしたか?呼び戻すように言っておいたはずですが…」
「それが私が放った鳥によると、城島くん、やられちゃったみたいですよ」
「!」
「…犬が?」
信じられないとでもいうように僅かに瞠目した骸がバーズに聞き返すが、バーズが小鳥に埋め込んだ小型カメラの映像を映すと、そこには間違いなく倒れている犬の姿があった。
犬の実力を目の当たりにしていた蛍は信じられない思いでその光景を見つめていた。 草壁だって彼にやられたというのにその彼を倒すなんて、思っていたよりツナ達は強いのかもしれない。まだ千種も眠っていることだし、増援に来たこの人達がそんなに強くないとしたら、もしかすればここまで来てくれるかもしれない。淡い期待を抱き始めた蛍は、とりあえず第一関門を突破したことに安堵して息をついた。
まさか犬がやられるとは…と眉を寄せた骸だったが、あれしきの戦闘で力尽きて倒れる男ではない。今までマフィアと互角以上に戦ってきた『あの能力』がある限り、絶対に並みの中学生に負けるはずはないのだ。きっとまだ余力を残しているに違いない。
犬は後で回収するとして、と考えていた骸だったが、ふと気配が動くのを感じて千種が眠っているベッドへと視線を向けた。すると千種の目蓋がピクリと反応し、ゆるゆると持ち上げられる。
「六道骸様」
そう呟いた千種はゆっくりと起き上がり、傍に置かれていた眼鏡をかけた。
「おや、目を覚ましましたか?三位狩りは大変だったようですね、千種」
気楽に骸は話しているが、その三位とは獄寺のことなのだ。千種が大怪我を負って帰ってきたということは獄寺が勝ったということなのだろうが、彼も相当の実力者であることは間違いない。獄寺もそれと同じくらい怪我をしている可能性もある。獄寺くん大丈夫かな…と顔を沈ませた蛍を、フゥ太は心配そうに見つめていた。
ボンゴレのボスと接触したと続けた千種に骸は頷く。
「そのようですね。彼ら、遊びに来てますよ。犬がやられました」
「!」
静かに告げた骸の言葉に反応した千種が慌ててベッドから降りようとするが、それを骸が制す。まだ目覚めたばかりの病み上がりの体ではとてもではないが戦えない。痛みを感じない彼だからこそ、傷を直す為には安静にしていた方がいい。
「そう慌てないで下さい」と千種をベッドに押し戻した骸は、M.M達の方に振り返った。
「相変わらず無愛想な奴ねー。久々に脱獄仲間に会ったっていうのに」
久しぶりの一言もなくただ沈黙を守ってこちらに視線を送ってきた千種に、M.Mはむっとして呟いた。本気で怒っているわけではないが、何か反応したっていいじゃないかと思う。無表情でただ見られていると自分が空気かそれ以下の扱いを受けているような気がする。けれどこの常に鉄火面を貫く男が愛想よく挨拶してくるの想像すると…なんか、うん、やっぱり黙ってた方がいいわねと思い、M.Mはそれ以上何も告げなかった。
元より自分達に馴れ合いは求められていないのだ。ランチアも双子もバーズも、千種の態度に特に怒るわけでもなく、骸の命令を待っている。
「千種はゆっくり休んだ方がいい。ボンゴレの首は彼らに任せましょう」
骸の言葉に蛍とフゥ太はぎくりと身を強張らせた。彼が命を狙っているボンゴレとは間違いなくツナのことだ。蛍にとってはたった一人の弟であり、フゥ太にとっては尊敬すべき兄貴分なのだ。彼とツナでは実力に差がありすぎる――!
震えたせいで力が抜けたのか、フゥ太が持っていたランキングの分厚い本がドサッと床に滑り落ちる。慌ててそれをフゥ太が拾ったが、周りの注意を完全にこちらへ向けてしまった。彼を視線から隠すように後ろへ押しやると、唇の端を吊り上げた骸は「クフフフフ」と笑いを零した。
思わず冷や汗がつうっと頬をつたう。常に笑顔でいる彼が更に笑うのは大概蛍にとってよくないことを企んでいる時だ。また何かする気なのかと疑っていると、骸はさっと千種へ振り返った。
「それで千種、ボンゴレの情報は何か掴んできましたか?」
多少なりとも外見さえわかれば狙いやすい。直接ボンゴレのボスを見た千種だけが骸の情報源だ。
しばしじっと押し黙って思い出していた千種は、なるべく鮮明に伝えようと事細かに特徴を言い始めた。
「ボンゴレファミリーの十代目、沢田綱吉は小柄で短い茶髪。戦闘能力は未知数ですが、部下に庇われていたことといい俺の攻撃を避ける気配がなかったことといい、皆無かそれに近いと思われます。性格も虚弱でしたし」
「妙ですね、あの九代目がそんな男を十代目に選ぶとは…」
理解出来ないと言ったように骸は形が良くすらりと伸びた指を顎に乗せて考え込んでいたが、蛍はそれを知っている。もちろん千種が報告したことは本当だが、それは普段のツナのこと。いざ戦闘になればリボーンが放つ死ぬ気弾によって性格も実力もかなり強くなるのだ。あの雲雀と互角に渡り合ったこともあるのだから弱いはずがない。それを敵に教える義理もないから黙っているのだが、ここは弱いと思い込ませて油断させたままの方がいいかもしれない。しーっとフゥ太に目配せした蛍は、じっと彼らの会話を黙って聞いていることにした。
しばらく考え込んでいた骸だったが、こうしていても時間の無駄だと思ったのか、ざっとM.M達を見渡した。
「いいですか。M.M、バーズと双子、ランチアの順でボンゴレ達を迎え撃って下さい。誰が倒しても構いません。ただし、敵は千種に手傷を負わせた上に犬を倒した程の実力ですから油断しないように」
「もちろん。今年新しく発売したバッグと洋服が私を待ってるんだからねー」
「ちょっとは私に残しておいてくださいよ」
意気揚々と出口へ向かって行く彼らを見ていたフゥ太は、心配そうにぎゅっとランキングブックを抱え込んだ。きっとツナ達の身を案じているのだろう。
「大丈夫」と彼の小さな頭を撫でていた蛍だったが、正直不安は募る一方だ。脱獄仲間と言うからには彼らとて元囚人ということ。殺人犯の集まりだということなのだ。人を殺し慣れている彼らにもしツナ達が遭遇してしまったら…そう考えるだけで本当は怖い。彼らが物言わぬ亡骸になってしまったら、蛍は彼らにどう取り繕えばいいのだろうか。安穏と捕らえられていました、なんて絶対に言えない。
蛍とフゥ太、それに骸と千種だけが残った部屋は異様なほどに静まり返っている。ちらりと骸がフゥ太に視線を送ると、一瞬だけ全身が硬直してからふらふらと骸が佇んでいる場所へと歩み寄って行った。いくら蛍が止めようとしても細腕からは想像も出来ない力で振り払い、光の灯らない暗い瞳で足を進める。
「ど、どうしたのフゥ太くんっ、そっちへ行っちゃ…」
フゥ太を止めようとした手が虚しく空を切る。自我を失った少年は蛍の手から離れ、再び骸の手の中へと堕ちていった。
「…まだこの子には利用価値がありますからね。僕と一緒に来てもらいましょうか」
「フゥ太くんを離して下さい!どこへ連れて…!」
骸は目を細めてクフフと笑みを零し、必死にフゥ太の腕を掴む蛍を見下ろした。
「――ボンゴレに挨拶をしに」
「ツッ君に…!?」
「どうして彼が十代目に選ばれたのか気になりましてね。この目でどんな男なのか確かめたいんですよ。この子にはその手引きでもしてもらいます」
卑怯者と言いかけた言葉をぐっと押し留め、にこりと笑っている骸を見上げた。そんな言葉で彼は傷つかない。どんなに蛍が喚いて罵詈雑言をぶつけたとしても、彼にとっては蚊に刺されたくらいのささやかな抵抗にしかならない。そうわかっているからこそ悔しくて堪らなかった。
蛍ではフゥ太の意識を取り戻すことが出来ないとわかっている。蛍を映し出しているはずの瞳は濁り、蛍を見ても何の反応を返すことはない。骸によって深い闇に落ちた彼の意識を掬い上げることができるのは自分ではない。骸なのだ。
フゥ太の小さな手をぎゅっと握り締めた蛍は、まるで無力な自分に泣きたくなって思わず顔を伏せた。
骸様、と千種が呼びかけるまで二人の様子を眺めていた骸は、そっとフゥ太の手から蛍を離してフゥ太を千種の元へと歩かせた。手短に身支度を整えて黒曜の制服を纏った千種の準備はもう整っている。あとは骸と共にここを出発するだけだ。
突然操られているフゥ太を預かった千種は怪訝な顔つきで骸を見つめたが、骸はそれを意に介さずぐっと蛍の手を引いて蛍を立たせた。そして屈んでその場にあった瓦礫を次々に縦に積み上げていく。不可解な彼の行動に眉を寄せた蛍だったが、何を言うでもなくただ口を噤んでそれを眺めていた。
彼が理解出来ないのは今更だし、理解しようとも思わない。理解したくもない。どんな理由があるにせよ、彼は人殺しでツナ達の命を狙っている危険人物なのだ。そんな人物の人となりを理解出来るほど、蛍は人格が出来上がっていない。怖いし憎いし、不気味だと思う。その感情は一般的に見ても間違っていないはずだ。
カランと軽い音を立てて積み上がった瓦礫の山を指差した骸は、唐突に脈絡のない話をし始めた。
「蛍。途中から重心がずれてしまった瓦礫の山がどうなるか、これを見ればわかりますか」
骸が積み上げた瓦礫は、わざと中心から外れるように重ねられていてぐらぐらと頼りなく揺れている。バランスを僅かでも失ってしまえばすぐに崩れ落ちてしまいそうな瓦礫の山だ。それを見た蛍はわけがわからず、ただそっと呟くように話している骸に視線を向けることしか出来ない。どうなるかと問われても、崩れ落ちる他に結末はない。
蛍を見返した骸は微かに笑みを零したが、一瞬だけ見せたその笑顔が今まで見せてきた挑発的なものではなくどこか影があるものだったことに、蛍の心臓がどくんと小さく音を立てた。
「どこか間違って積み上げられてしまったものは、崩れ落ちる他にない。手を加えて直すことも難しく、そこまで積み上げられたものを取り払うのもまた厄介。正しくまっすぐに積み上げ直すには最初からやり直すしかないんです。――こんなようにね」
彼の指先一つで崩れた瓦礫は、あっけなく床へと散らばっていく。
「僕も同じです。自分が間違っているとわかっていても、もうやり直すことは出来ない。最初からやり直すことにしたら、僕は僕自身を否定することになってしまう。…それだけは出来ないんです」
「…骸、…?」
「やっと名前で呼んでくれましたね」
皮肉なものです、と苦笑した骸がトンと蛍の肩を押しても、蛍はそれに抗うことなく素直にその場に座り込んだ。
抵抗出来なかったわけではない。顔を歪ませた彼が今にも泣き出してしまいそうで――ただ目を瞬かせることしか出来なかった。
「僕を受け入れて下さい。憎んでも蔑んでもいい。僕の存在を否定しないでくれれば、それでいいんです」
ぐにゃりと視界が歪んでいく。強烈な痛みが頭を貫いたかと思えば、再び意識が沈んでいくのを感じる。頭が、腕が、体が重い。心地良い眠りとはまるで正反対の痛みで失神してしまいそうだ。最後の力を振り絞って骸へ伸ばした手は彼の服を掴む前にだらりと床へ下ろされた。力が入らなくなった体は誰かに支えられてソファーへと運ばれる。一度目を閉じてしまえば二度と起きれなくなるような、そんな悪い予感がした。怖ろしささえ感じるのに、体も意識も、もう沈みかけてどうにもならなかった。段々重くなっていく目蓋をそっと閉じた蛍は、最後に残った聴覚だけが頼りだ。
「おやすみなさい。辛い夢でしょうけど、大丈夫。僕が傍にいます。だから君もずっと僕の傍にいて下さい」
無理だ。彼は蛍の大切な人達を奪っていくというのに、どうして彼の傍にいることなどできようか。骸はツナ達の敵で、雲雀の敵で、蛍の敵。そんなことは彼だってわかっているはずなのに、どうして彼が自分にこんなことを言っているのか蛍には理解出来なかった。
蛍は見えない闇に手を伸ばして、咄嗟に触れた物を強く握り締める。それが屈み込んでいた骸の服の裾だと知る前に、目の前が真っ赤に染まる。何度も何度も目にしてきた。それは、骸の深紅の瞳だ。
強い力に引き摺られるようにして意識が朦朧としていく。ここで気を失うわけにはいかない、と必死で堪えていたものが一瞬にして決壊し、どんどん崩れ落ちていくのを感じた。そう、まるでさっきの瓦礫のように。
「(――皆の足枷になるようなことだけは避けたかったの、に…)」
その赤を目にして、とうとう蛍の意識はそこでぷつりと途切れた。
力を失いずるずると下がっていく腕を取って彼女の腹部に乗せた骸は、じっと蛍を見つめる。
「壊れて下さい。僕を受け入れられるようになるまで。心がバラバラに砕け散って希望も何もかも潰えたら…僕が助けますから」
それは間違った愛情なのかもしれないけれど、闇に閉ざされた過去の自分を理解してほしい。そしてそっと包みこんで許してほしい。この先彼女と共に生きていけるのなら、彼女の心が壊れようと構わない。どんなに彼女が壊れても愛してゆける。…自分だけが愛してあげられる。
ソファーに力なく座っている蛍をしばらく眺めていた骸は、そっと瞳を閉じて踵を返す。入り口でフゥ太と共に待っている千種の元へ足を進め、部屋に蛍一人を残してツナの居場所へと向かう。
「…骸様」
「さあ行きましょうか、千種」
蛍を一度も振り返ることもなくその場を去った骸は、僅かに口元を歪ませて笑った。