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「君が余計なことをするから、彼、クラッシュしちゃったみたいですね」
脳に強烈な刺激を与えられたフゥ太は鼻からも耳からも血を流している。身体的なケガではなく精神的なストレス過多が招いた流血だろうが、一刻も早く医者に見せた方がいいのは間違いない。あまりにも強い意志でギリギリまで骸を拒み、そして自分自身を追い詰めた結果がこれだ。骸は感情の篭らない冷め切った瞳でフゥ太を見下ろして口元に笑みを浮かべた。
思い返してみれば最初から手のかかる子供だった。骸達がボンゴレ十代目の居場所を日本だと断定してここにやってきたのはいいが、細かな位置までは特定出来なかった。諜報機関を使えるほどの権力者でもなければ第六感が冴え渡っている超能力者でもない骸達が、日本という土地で一個人を探し当てるのは一苦労だ。そこでボンゴレ十代目と親しいと評判のフゥ太を探し出したのはいいが、彼なりの意地があったのだろう、『沈黙の掟』を貫き、とうとう十代目の居場所を言わなかったのだ。
もちろん骸達とて闇の世界の住人である。捕虜が子供だろうと何だろうと関係なく尋問を行う予定だった。しかし、彼から情報の一つや二つ聞き出す手段もあるにはあるが、彼の素晴らしいランキング能力を無視してまで彼を傷つけるのは好ましくない。そう思い傷一つ作ることなく彼を幽閉していたのだが、しまいには心を閉ざして肝心なランキング能力まで失ってしまった。…こうなれば彼の価値は人質としてのものか、骸の操り人形としてのものしかない。
骸の思い通りに操られることを拒んだフゥ太は、彼なりのささやかな抵抗の証なのか、この十日間ほとんど眠っていなかった。それが心身を共に疲労させ、ついに支えきれなくなった時に一気に崩壊したのだろう。彼の異常な状態は当たり前といえば当たり前の結果だった。
「…それで仕方なく以前に作られた並盛の喧嘩ランキングを使い、ツナとファミリーを焙り出そうとしたんだな」
的確なリボーンの推測に「その通りです」と微笑んだ骸は、ソファーの肘掛にゆったりともたれながらツナとリボーンを見下ろした。
「目論見は大成功でしたよ。現に今ボンゴレはここにいる」
「…じゃあ蛍はどうなんだ。人質ならフゥ太だけで十分だろう。何故無関係の蛍を巻き込んだ?」
「無関係…。果たして本当にそう言えるのでしょうかね。沢田綱吉の姉である彼女が、本当に無関係ではないと?
しかし、そうですね…ひとつだけ言うとすれば、僕に必要な人だから、とでも言っておきましょうか」
そう言った骸が蛍に向ける視線は、ツナとも違う、リボーンとも違う、フゥ太とも違う、穏やかで優しいものだったから、思わずツナは息を詰めた。彼女と骸の間に何があったのかは知らない。蛍が彼に捕らわれてからツナ達がここに来るまでに何かしらのやりとりがあったことは間違いないが、本来なら敵同士なのだ。お互い相容れるはずがないと思っていたのに、骸のこの言い様は、まるで――…。
そこまで考えたツナはその考えを振り切るかのように勢いよく頭を左右に振った。そんなはずがない。彼女の直属の上司である雲雀が骸に倒されてしまったというのに、蛍が敵に下るはずがないのだ。普段気弱な彼女だが、芯は誰より強いことを弟であるツナは知っている。
ツナは無抵抗のまま骸に抱き寄せられている蛍を見上げた。枯れることのない涙が彼女の頬にいくつもの筋を作り、それを生み出している瞳は人形のように暗く濁っている。確かに視線はツナを捉えているというのに、絡み合うことはなくて。
「姉ちゃん!」
姉の痛々しい姿に、ツナは思わず叫んでいた。
「目を覚ましてよ、姉ちゃん!六道骸はヒバリさんを倒した敵だ!心の奥に受け入れんなよ!本当の姉ちゃんならこんな状態のフゥ太を見たら放っておけない子なのに、無関心なふりなんて…骸に惑わされないでくれ!」
「無駄ですよ。今の蛍には君の声なんて届いちゃいない。僕の声しか聞こえないんですから」
「そんな…!」
呆れたように笑う骸の言葉通り、蛍はツナの声にピクリとも反応せずに骸の腕の中に収まっている。嫌がりもせず、怒りもせず、ただ涙を流すだけで。
これが蛍自身の意思なら諦めもついた。何らかの理由で雲雀とツナ達の元から離れて骸の仲間になったというのなら、まだ納得出来た。だって彼女はツナより余程物事をよく考え、正しく捉え、根底から理解し、自分達にとって最善の方法を導いてくれるから。
けれど彼女は――泣いているのだ。
「…フゥ太も姉ちゃんもこんなに傷つけて…。六道骸、人を何だと思ってるんだよ!!」
ツナの言葉に、おや、と目を瞬かせた骸は、そんなこと考えたこともなかったですねと顎に指を置いた。
掃いて捨てるほどいる人間を大切に思ったことなど一度もない。骸にとって利用価値があるかないかだけが重要で、時には予想外の行動を見せて骸を楽しませてくれる、ただのガラクタだ。壊れたらすぐに捨てればいい。
いや…蛍は違う。千種も犬も彼女も、骸にとっては大切な人間であってガラクタなどではない。蛍に代えなどいないし、たとえ壊れたとしてもずっと手元に置いておく。千種と犬だっていなくなったら悲しいだろう。言ってみれば、お気に入りの愛玩具。どちらにせよ、答えは同じだ。
「おもちゃ…ですかね」
「――ふざけんな!!」
笑いを含んだ骸の言葉に、ツナの頭にカッと血が上る。こんなに誰かに怒りを覚えたのは初めてで、怒ると頭が真っ白になるということも初めて実感した。
――許せない。こいつだけは…!!
怒りのままに骸へ向かっていくと、やれやれ…とため息をついた骸はちらりと蛍に視線を送ってからゆっくりと立ち上がった。
「まさか僕が直接手を下すことになるとはね」
「!」
骸の赤い右目が揺れる。
それを瞬時に見たリボーンは、彼の右目の文字が六から四に変わるのを見て更に眉を顰めた。数字が変わるということは、数字に何かしらの意味があるということ。そしてそれは自分の知らないことである可能性が高いということ。とにかく相手の攻撃を見極めなければ話にならないが、死ぬ気弾が尽きた今のツナに果たして骸の相手が出来るかどうかが問題だ。
深紅の右目の文字を四に変えた骸は近くに立てかけてあった細長い棒を手に取り、指先で軽くくるくると回転させて弄ぶ。そして向かってくるツナに足を運んだかと思えば、棒の先を彼の肩から下に切りつけるように振り下ろした。それだけで攻撃が止むことはない。すぐさま手首を返して腹部を開くように真一文字に横に薙ぎ、続け様に右腕、左腕、右足、左足…と四肢を切りつけていく。
全ての攻撃が瞬く間に終わり、トンと骸が地に足をつけた時には既に勝敗は決していた。
「え…?」
ふいに、ツナの頬に一筋の血が流れる。
「いででで!いたーっ!!」
そして次には全身の傷から血が吹き出していた。まるで刃物で切り裂かれたかのような傷は全身についていて、手で押さえて血を止めようにもかなりの困難を極める。あまりの激痛に顔を顰めて叫び声を上げると、背中を向けて立っていた骸はその悲鳴を聞くことすら煩わしいといったような表情で振り返った。
「どうか――しましたか?」
痛みに負けて足に力が入らない。ふっと力が抜けた膝を地面について、ぐらりと前に倒れそうになる体を腕で何とか支えると、傷から溢れ出した血がボタボタと落ちて床を汚していく。全てが一瞬すぎて、ツナには何が起こったのか全く理解出来なかった。
怒りでカッと熱くなって骸に攻撃しようと走り出した途端に、骸が自分とすれ違った。そしてその後かまいたちにでもあったかのような傷が全身について激痛が走った。それだけだ。すれ違いざまに攻撃を浴びせられたことなどちっとも気付かなかった。きっとリボーンが指摘しなかったら、いつまでたっても首を捻っていただろう。
リボーンが言い当てたことにも動揺せず「さすがアルコバレーノ」と愉快そうに笑った骸は、気を失っているフゥ太の傍に転がっていた武器を拾い上げて棒の先端にカチリと嵌めた。すると三つの先端が鋭く尖った槍が完成する。きっと本来の姿はそれなのだろうと思わせるくらい見事な造りな武器だ。妖しく光る漆黒の色が美しい。
しかしそれよりツナの目を引いたのは、骸の右目から出ている小さな焔だった。
「死ぬ気の炎!?」
「ほう、見えますか?このオーラこそ、第四の道 修羅道で身につけた格闘能力の闘気です」
『修羅道』『スキル』といった聞き慣れない言葉に思わずツナが眉を顰めると、骸はコツリと革靴を鳴らして一歩一歩ツナへと足を踏み出していく。コツンと歩みを止めた骸は槍の先を地面にトンと下ろしてから「六道輪廻という言葉をご存知ですか?」と口を開いた。
「人は死ぬと生まれ変わって地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天界道のいずれかへいくというやつだな」
「その通りです」
リボーンの博識に素直に感心した骸はこくりと頷く。
「僕の体には、前世に六道全ての冥界を廻った記憶が刻まれていましてね。六つの冥界から六つの戦闘能力を授かった」
――にわかにはとても信じられない、突拍子もない話だ。前世の話は言わずもがな、冥界で能力を授かるなんて出来るはずもないし、第一普通の人間にそんな能力が使えるはずがない。超能力者でもあるまいし。普段のツナが同じことを聞いたらきっとバカにして終わりだろう。
けれど、骸がこんな場面で冗談を言うような男には見えない。それにさっき目にも止まらぬ早さで攻撃されたのがその能力だとしたら――…。
いきなり何を言い出すのだろうと痛む体を必死に支えたツナが骸を見上げていると、同じことを考えていたのか、横に立っていたリボーンが小さく呟く。
「それが本当なら、オメーはバケモンだな」
リボーンの言葉を聞いても全く気にしない様子の骸は鼻で笑った。
「君に言われたくありませんよ。呪われた赤ん坊、アルコバレーノ」
そして、とツナの方へ振り返った骸は、ツナを見下ろしながら口元に笑みを浮かべた。
つう…っと頬に冷や汗がつたうのを感じたツナは思わず強く奥歯を噛み締める。一瞬でも隙を見せたら即座に殺されてしまうかのような、ものすごい威圧感を感じているのだ。
「さあ、次の能力をお見せしましょう」
骸の右目が不安定に揺れていた。