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ここは一体どこなのだろう。光のない暗闇の中で一人取り残されると、とてつもない孤独感に襲われる。さっきまで実験室のような所にいた蛍は、いつのまにか何もない空間に佇んでいた。
いつまでも立ち尽くしているわけにもいかないし、とりあえず自分が今どこにいるのか把握したい。そう思って暗闇に一歩足を踏み入れると、ぐにゃりとした柔らかい感触が足の裏に触れる。思わずビクッと反応して足を持ち上げてみるが、暗すぎて何を踏んだのかよくわからない。温度のない柔らかな物体はそこら中に散らばっているみたいで、下手に歩け回れないだけでなく、体中にじっとりとまとわりつくような不気味ささえ醸し出している。
まだはっきりと姿が見えたわけでもないのに、ぞくりと背筋が粟立つ。頬をつたった冷や汗がポタリと床に滑り落ちるのを見て、知らず知らずのうちに強く手を握り締めていたことに気付いた。ゆっくりと手を開いてみれば、力強く握りすぎて赤くなったそれは僅かに痺れさえ起こしている。
――見てはいけない。何故かそんな気がして、今すぐにここから逃げ出したかった。

ごしごしと目を擦り、ようやく暗闇に目が慣れてきた頃、その物体が段々と浮かび上がってくる。そしてその姿を認めた瞬間、蛍は声にならない叫び声を上げた。

「っ――!?」

死体だ。折り重なるようにして地面に捨て置かれているそれは、恨めしそうな顔をして虚空を見つめ続けている。何十人かさえ数え切れない死体の数々は、蛍の周りを取り囲むようにして散らばっている。手足をもがれた者、目玉を抉り出された者、心臓の部分がぽっかり空いている者、内臓が飛び出している者。性別も年齢も異なる死体達から放たれる腐臭に吐き気がする。
足から力が抜け、思わず地面に座り込んだ蛍は、地面に置いた手がぺちゃりという音を立てたのに気付いて恐る恐る腕を持ち上げる。――血、だ。べっとりと手についた誰の物かもわからぬ血の匂いにぐらりと視界が揺れる。鮮やかな赤に染まった手がぬるついて気持ち悪い。目の前に出した両手が震える度に血が落ちて、床に血痕を残していく。

ひゅうひゅうと喉が鳴って胸が苦しい。呼吸を繰り返す度に生々しい血のにおいが体を巡り、気持ち悪さがこみ上げてくる。ぜえぜえと喘ぐ蛍は苦しみを紛らわそうと胸の中心を掴むが、発作が起きたようなそれが治まる様子は全く見られない。
死体に囲まれ、全身血塗れで。地獄は終わっていなかったのだ。

「あ、ああ…っ」

反射的に足を引いてもがっちり掴まれていることに焦った蛍の背中に、ひやりと冷たい手が伸びてくる。背中だけではなく、腕にも、腹にも、足にも――そして頭にも。
蛍を覆い尽くしてしまうかのような無数の手は、蛍を押さえつけて笑っていた。ああ新しい仲間だ、と。

「いやぁぁぁっ!!」

助けを求めるかのように天に向かって差し出された手は、やがて無数の手の中に消えていく。
誰でもいい、誰か助けて。叫ぶ声が闇に飲み込まれて届かなくなってしまう前に、どうか――…。

《僕なら、あなたを助けてあげられますよ。》

不意にどこからか聞こえた声。聞き覚えのある筈なのに、その声が一体誰なのか今の蛍には思い出せなかった。

「たすけて、…たすけて…」

この地獄から逃げ出せるのなら。たった一つの光のような言葉にすがるように、蛍は声のした方へと手を伸ばそうする。しかし、


自分を見失わないで―――


その声は酷く響いて聞こえた。

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