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夏が近づくと駅前のアイスクリーム屋がとんでもなく賑わう。特に今日はトリプルアイスがダブルアイスの値段で食べられるスペシャルデイ。約20分も並んで巴は念願のトリプルアイスを購入した。気分は最高。これぞ夏の風物詩。
今日はヒカルとの約束もないし、買い物にでも行こうかなぁと考えていた巴。トイレットペーパーとラップがそろそろ切れそうなのだ。食品は明後日のセールまで待つとして、今日のところは、
「高嶺さん!」
「わっ」
後ろからグイッと突然腕を引っ張られて、バランスが崩れる。ベチャッ、不吉な音。
おそるおそる顔を上げてみれば―――――アイスで顔面がべとべとになった塔矢がそこにいた。
「…わ、私のトリプルアイス…」
「ご、ごめん、見かけたからつい」
慌ててアイスをぬぐいながら塔矢が謝ってくるけど、巴のテンションはどん底だ。せっかく20分も並んで買ったのに。まだ3口くらいしか食べて無かったのに。手元にはもうコーンしか残ってないじゃないか!
それでも流石に放っておくことはできず。
「ごめん、塔矢…近くに公園があったよね、そっちでアイスを落とそう?」
「高嶺さん、僕…」
「何か話があったのかな?ひと段落したらちゃんと聞くよ…それよりシミになっちゃうから、早く行こう。」
蛇口をキュッとひねる音、水がチロチロ流れていく音、塔矢が水で顔を洗う音―――――それらを横で聞きながら、私はぼんやりと塔矢の服を眺める。海王中学の制服…ついこの間まで、私もこれと同じものを着る予定だった。
あの囲碁大会での一件がなければ。私の価値感、私の人生を大きく変えた、ヒカルの言動。あれさえなければ私は塔矢と共に海王へ行っていた。人生って本当にわからないものだ。
「ふう」
「これ使って」
洗い終わった塔矢に桃色のハンカチを差し出した。
「…ありがとう」
塔矢はちょっとだけ戸惑ったようだが、大人しく私のハンカチを受け取った。
塔矢と最後に話したのは、小学校の卒業式の日。そのときの私たちの会話はなんとも一方的なものだった。
―――――僕が進藤に勝ったら、また僕と打ってくれる?
その言葉に「え、」と私が呆けている間に、塔矢は一人納得して去ったのだ。それにしても塔矢はなんであんなこと言ったんだろう。
私がヒカルのことを追いかけて葉瀬に行った、と考えているのは間違いないと思う。そうだ、百歩譲ってそれはいい。でもそこから何で「ヒカルに勝ったら僕と打て」につながるんだ?やっぱり塔矢、私の事好きなのかな?ヒカルじゃなくて自分を見てくれ、的な?……いや、さすがにこれは乙女脳すぎるか。
「…これ、洗って返すよ」
そんなことを考えている間に塔矢が拭き終わったようだ。ぎゅっと大切そうに私のハンカチを握っている。
「いやいいよそんなの。私気にしないもん」
「高嶺さんはもう知ってると思うけど…もうすぐ夏季大会があるんだ」
呆れる私には構わず、塔矢はきりりと真面目な顔で話し続ける。
「僕は海王の囲碁部に入った」
「……はい…!?」
「進藤が僕とは戦わないと言ったからだ。いくら彼が僕を避けたとしても、大会で当たれば戦うしかない…だからこそ進藤と戦うためだけに囲碁部に入った。そしていよいよ再来週、それが叶う」
見上げた執着心だ。ヒカル、もとい佐為と戦うために、わざわざ学校の部活に入るなんて。海王は囲碁部が強いって有名だけど、それでも塔矢には物足りないはずなのに。
「見に来てくれないか」
「……え、私に?」
「そう。ハンカチはその時に返すよ」
「ええと…うん、まあ、大会は元々見に行くつもりだったからいいんだけど」
そこで塔矢の眉毛がぴくっと揺れた。
「進藤を応援するの?」
「まあ、そんなところ」
「……そう」
塔矢は複雑そうに俯いた。というか塔矢は、ヒカルが物凄く強いと思い込んでるんだよな。でも今回の大会、ヒカルは佐為無しで挑むと意気込んでいるし、なんだか塔矢が不憫に見えてきた。格下の囲碁部に入ってまでヒカルを追いかけて来たのに、塔矢は大会当日、ヒカルの実力を目の当たりにして憤慨するのだ――――ああ、その光景が眼に浮かぶ。
「あのね、塔矢が期待するほど“今の”ヒカルは強くないと思うよ」
「え」
つい、そんな言葉がポロっと出てしまう。塔矢はびっくりした様子で顔を上げた。
「どうして高嶺さんがそんなことを?進藤とはよく打っているんじゃ…」
「あ、いや、ごめん。今の忘れて」
「わ、忘れて?」
そうだ、塔矢はいま全力でヒカルを追っている。私がやいやい口出ししたところで、その姿勢は多分変わらないだろう。あんまり余計な事をいうのは止めとこう。どうせ佐為のことなんて説明できないんだし。
「なんでもないの。とにかく大会には行くよ、じゃあね」
「あ、待って――――!」
もちろん待たなかった。