15
ヒカルは三谷とかいう子を部に引き入れ、万全の体勢で大会に挑もうとしている。
塔矢はヒカルと戦うためだけに囲碁部に入り、日々腕を磨いている。
そして、私は――――――…プロ試験の申込のために、日本棋院へ向かおうとしていた。
「でもねえ、お嬢ちゃん、普通はみんな院生になってからプロを目指すものだよ?」
「…それは、電話でもお聞きしました。でも過去に院生にならずに外来で通った人もたくさんいるじゃありませんか。私くらいの歳でも」
「そういう人はアマの大会で活躍してたりとか、」
棋院の事務員さんはなかなか首を立てに振らない。すぐにオーケー出るとはこっちも思ってないけど。最初に書類だけ送ったときなんだかんだ理由をつけて返却されてさ、電話で問い合わせたら「まずは院生から」としか言わない。だからこうして直訴しに来たのだが、こういうときに保護者がいたらまだ楽なんじゃないかとも思うけど、母にまで迷惑はかけられない。
「棋譜は見ていただいたかと思いますが」
「うん、まあ、上手に打ててたけど。でもあれ本当に君が?」
挙げ句の果てに、これである。自分は中学生だし、大会の功績もないし、師匠もいないけれどここまで疑われるのは癪だ。
「あのね、君みたいな子はだいたい女流の特別枠でプロ入りするもんなんだよ」
「女流の特別枠?」
「そ。君がいま受けようとしてるのは男女混合総渡りで戦って、成績上位者からプロ入りできる試験…男女混合といっても実質受かるのは男だけだけど。女流なら女のなかから選ばれるからプロになれる確率も上がるよ」
「……どうして混合の方だと女は受からないんですか」
「そりゃー女の子のレベルはまだまだだもん!男女平等にしてたら囲碁界にいつまでたっても女の人が入ってこれないから、それでわざわざ女流枠を設けたんだよ」
「はぁ…とにかく、いいです」
「えっ」
「私はこっちの、男女混合のやつでいいですから」
担当の人と揉めること30分、なんとか無事に手続きを完了させた。たかが申し込みにやたらと体力を使ってしまった。先が思いやられる。
父親は女の子である自分にも当然のように碁を教えてくれたのだ。あの人は少なくとも、男子だとか女子だとか関係なく見ていたと思うのに、ああいった考えは未だあるのだろう。
「あれーっキミは高嶺さんとこの!」
のんびり棋院を出たところで、一人の男性に声をかけられた。
「高嶺繋司(けいじ)さんとこの巴ちゃんだよね?いやー大きくなったね。覚えてないかな?僕、キミが小さなときに会ったことあるんだよ」
おそらく生前父親と繋がりのあった棋士の誰かだろう。
しかし、もう数年前のことだ。幼かった巴には正直言って大人の区別なんてついていなかった。
「…高嶺プロの娘か」
最初に話しかけてきた優しそうな男性の背後にもう一人隠れていた。
「君も碁を打つのか」
「…初めまして。高嶺巴です」
白いスーツを着た男性の方は見覚えがあった。テレビ中継されていた対局で目にしたことがある。
確か緒方九段、塔矢門下。つまり、塔矢アキラの兄弟子というわけだ。
「それで?どうしてこんなところに?」
「え、えと…」
プロ試験の申し込みに来ました――――なんて、言えない。
さっきの事務員の話がどうしても頭に残っていた。
「その制服、葉瀬?」
「!」
言葉に詰まった自分をみかねたのか、最初の男性がさらっと話題を変えてくれた。
「あ、はい。そうです」
「碁会所のみんなビックリしてたよ!天下の海王にトップ成績で通ったのに、それを蹴っちゃうなんてさ〜」
「…みなさんご存じだったんですね」
「アキラくんがそう言ってたからね」
塔矢の発言はまたたくまに碁会所メンバーに広まるのか。成程、覚えておこう。
「セーラー似合ってるよ、可愛い可愛い」
「どうも、ありがとうございます」
「その子と話し込むなら俺は先に行ってるぞ」
「あ、待ってくださいよ緒方さん!…じゃ、巴ちゃん、またね」
スタスタ立ち去る緒方九段を追って、男性も遠ざかって行く。男二人の後姿を眺めながら、深くため息をついた。