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予定通りヒカル達とネカフェに来て、2局ほど打って、少しお手洗いに行って、戻ってきたらヒカルが座席から消えていた。何故。

「…私がいない間に対局始めないで、って言ったらかな?…あの、すみません」

近くにいた店員である三谷のお姉さんに声をかける。彼女は台を拭く手を止めて、こちらを振り返った。

「どうかした?」
「ヒカルを知りません?」
「あ、なんかさっき友達と外に出て行ったわよ」
「……ともだち?」

なんだか胸騒ぎがする。余計なお世話かなとも思いつつ、巴もヒカルを追って外へ出た。するとそこには。

「あれはな、わざと下手に打ったんだよ」
「……馬鹿な!理由が無い!」

冷や汗をかくヒカルと、必死の形相の塔矢がいた。友達とは塔矢のことだったらしい。もしかして昨日ネットで一局打って、やっぱりヒカルには何かあるって思ったのか。ヒカルは本名は出さずに”sai”の名前でネット碁をやってはいるが、塔矢の洞察力には頭が下がる。
状況を見るに、どういうわけかヒカルの居場所をつきとめた塔矢が、「saiはお前か!?」と迫ってきた。
そしてヒカルは巴が対局するなと言ってたのでそのとき全然違うページを開いていて、塔矢はPC画面からヒカル=saiの証拠が掴めず、しかたなしに詰問している、という感じだろうか。

「君がsaiほどの力を持っていればちょっとプロになってタイトルの一つも取ろうとするはずだ!違うか!?」

のそのそと出てきた巴に、ヒカルも塔矢も気付く気配はない。唯一、佐為だけが彼女の方を見て”お手上げ”のポーズを取っていた。さてヒカルはsaiと自分の関係をうまく誤魔化せるだろうか。

「……オレの言いたいこと代わりに行ってくれてサンキュ」
「!…やっぱり君じゃない……か」
「やっぱりって何だよ。おまえもオレじゃないとは思ってたんだ」
「そう…君のはずがない……悪かった」

そこで塔矢はくるっと逆方向を向いた。

「もう二度と君の前には現れない」
「えっ」

スタスタ去っていく塔矢に、ヒカルは慌てる。そうだね、佐為のことはばらしたくないけど、完全に興味を失くされるのはイヤだ。そうヒカルは思っているのに、肝心の塔矢は遠ざかって行くばかりだ。

「ま…待てよ、塔矢!」

たまらずヒカルが呼び止めた。無視されるかとも思ったが、塔矢はゆっくりとながらも振り向いた。

「お、おまえ…俺の幻影なんか追ってると、ホントの俺にいつか足元すくわれるぞ!」

これに笑ったのは塔矢だ。

「キミが?」
「……う、」
「…いつかと言わず今から打とうか?」

この塔矢の挑発を受けられるほど、ヒカルには技術も自信もない。それは巴がよく知っている。案の定、ヒカルは戸惑うばかりで何も言わない。そんな弱気のヒカルに、塔矢はいよいよ失望したらしかった。もう用はないとばかりにヒカルから顔をそらし――――――ふと、巴の方を向いた。これでもか、と見開かれる塔矢の瞳孔。

「っ!?、高嶺さん!」
「あ、見つかった」
「どうしてこんなところに……まさか進藤と一緒に?」

そのまま立ち去るかに見えた塔矢は、どうしてかズンズンこちらにUターンしてきた。

「君は…どうしていつも進藤なんかを…」

塔矢は怒っているような、困っているような、何ともいえない顔をしている。一方、進藤”なんか”扱いされた本人は「な、なんだコイツ?」と戸惑っていた。ヒカルには塔矢と自分が同じ小学校だったことだけは伝えたけど、他はとくに何も言っていない。
塔矢が巴とヒカルの関係をやたら怪しんでいるとか、自分たちが囲碁教室でよく打っていたとか、そのあたりを今度時間のあるときにでも説明しておこうと、巴は思った。

「……っ、進藤!」
「え、」

この状況をどう打破しようかと考えあぐねている巴をみかねて、塔矢がヒカルに食って掛かった。
何故そっちに怒るのだ。

「彼女はいま、君に付き合っていられるほど暇じゃないんだ」
「は?」

ヒカルは”何言ってんだこいつ”という顔。巴もそれは同じだった。

「わかっているのか?……君が囲碁部で遊んでいる間に、僕たちはプロの門を叩こうとしている」
「プロォ?」
「こんなところで君に使っている時間なんか無いんだ。僕も高嶺さんも、明日は二回戦を控えてる」
「ちょ、ちょっと待てよ、何言ってんだ?塔矢がプロ?…巴まで?」

ヒカルは既に大混乱だ。私を見たり、塔矢を見たり、キョロキョロと忙しい。

「そんな、冗談だろ…だって俺達まだ中学生だぜ」
「棋士の多くは十代でプロ入りしている。そんなことも知らなかったのか?」
「だっ…学校はどうすんだよ?」
「手合いのある日は休む…もういいだろう」

塔矢がさっと巴とヒカルの間に割って入ってきくる。まるでそれぞれの立場を線引きするかのごとく。

「彼女はこっち側の人間なんだ。君とは違う」
「そんな…なんでっ、そんな大事なこと教えてくれなかったんだよ…なんで!?」
「私は何回も言ったけど、ヒカルがまともに取り合ってくれなかったじゃない」
「はぁ!?オレのせいにする気かよ…なんだよ、何も知らねえオレを裏で笑ってたのかよ」
「なんでそうなるの。違うって、ちゃんと説明…」
「巴なんて知るか!もう一生口きかねえ!!」
「ちょ、ヒカルーーー」

すごい勢いで巴を拒絶すると、ヒカルはバタバタと走り去って行った。

「………ああ、もう…っ」
「……ええと」

さきほどまでの勢いはどこへやら、塔矢は急にしゅんとなった。いまさら冷静になられたってもう遅い。ヒカルは完全に怒ってしまった。

「ヒカルに嫌われた…」

自分で思っていたより重くかすれた声が出た。塔矢がびくっと震える。

「………やっと“見つけた”のに…」
「あの……」
「……塔矢さ、昨日休んだよね、一回戦」
「え?あ、うん」
「知ってる?一回戦の塔矢の相手、私だったんだよ…」
「えっ」
「大事な初戦をフケられて、ヒカルとの関係はややこしくされて、なんかもう私、しばらく塔矢の顔見たくない」
「!?高嶺さんっあの」
「ヒカルとの仲が修復するまで、一切話しかけないで!」
「!!!」

塔矢がピシッと石のように固まった。今の巴には罪悪感なんてなかった。
良い気分転換になると思ったのに、本当にひどい一日だ。

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