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新初段シリーズで緒方九段と対戦した翌週、謎のお誘いを受けた。
―――――塔矢先生の研究会に来ないか?

「ヒカルも誘われたの?」
「俺も…ってことは巴も!?」

いつもの夜、夕食をとっていた巴は手を止めて、ヒカルをまじまじと見た。
たったいま「今朝緒方さんと会って何故か名人の研究会に誘われたんだ」と報告を受けたところ。

「で、いつから行くの?」
「オレ?行かねーよそんなもん!」
「え、行かないの?」
「ったりめーだろ!塔矢のやつと並んでお勉強なんてヤダかんな!」
「ああ、なるほど、そういう…」

塔矢行洋といえば言わずと知れたトップ棋士、その研究会に誘われるなんて、名誉あることだ。そう思って巴はすぐにオーケー出したのに、ヒカルは断ったらしい。和谷に誘われて森下九段の勉強会に通いだしたから義理立てしたという可能性もあるが、この生意気な顔からするに塔矢と一緒にやりたくなかっただけだろうな。

《う、行きたかった…》

ちなみに佐為は横でぐずっている。よほど矢名人の研究会に興味があったようだ。

《巴は行くというのに……もーヒカル!》
「怒鳴ったってオレは行かねーからな!」

そして水曜日。学校が終わった後、巴は塔矢名人の研究会へと出発――――場所はなんと塔矢家。
名人の家というからにはやはり普通の家ではないのだろうと思っていたが、想像以上の豪邸が待ち構えていたので、着いたときにはつい委縮してしまった。

「はい…あ、高嶺さん…話は聞いてるよ、どうぞ」
「お邪魔します」

インターホンを押して待つこと3分、出てきたのは塔矢アキラだった。

「いまお母さんいる?」
「いや今日は父と門下の皆さんだけ」
「そっか。じゃあこれ塔矢に渡していいかな?つまらないものですけど」
「あ、お菓子か何か?そんな、気を使わなくていいのに」
「いやいや、名人のお宅に手ぶらでは来れないよ」

百貨店の地下で買ってきた高級そうなチョコレートを渡し、いざ出陣。それにしても廊下の長いこと、広いこと、中々目的地にたどり着けない。そして右手には立派な日本庭園。

「ここだよ」

やっと塔矢が立ち止まった。閉じられていた襖がスーッと開けられる。

「失礼します、お父さん。こちらが高嶺さんです」
「……入りなさい」
「し、失礼致します」

緊張しながら入った和室には、碁盤が2つ、塔矢門下のプロ棋士が4人、そして最奥に座っているのが―――――名人…塔矢行洋。腕を組んでじっと鎮座している。

「お初にお目にかかります。来春からプロ入りさせていただく高嶺巴です。本日は緒方先生にお声をかけて頂き……」
「話は聞いている、座りなさい」
「はい…失礼します」

どこに座ったらいいのか、よくわからなかったので塔矢の横へちょこんと座った。いつもクールな巴が珍しく緊張している様子がもの珍しかったのか、塔矢がこっそり笑う気配がした。



「本日はありがとうございました」

研究会が終わって、ちらほらと皆が帰って行く頃合いで、塔矢名人に改めてお礼を言った。

「とても良い勉強になりました……あの、私のような者がいて、お邪魔ではないのでしょうか」
「構わないさ。君だって春からは私たちと同じプロだ。
……それに“高嶺さん”も、昔は私の家に来てくれていたからね」

不安そうに伺った巴の言葉に対し、帰ってきたのは素直に嬉しい一言だった。
塔矢名人の言う“高嶺”とは、巴の父親のことだ。巴は知らなかったが、父は塔矢名人の家に訪れていたことがあったらしい。巴とアキラは交流があったが、父と塔矢名人も同じだったことを初めて知り、今まで知らなかった父親の一面を見れたような気がした。

「これからも来なさい」
「はい…よろしくお願い致します。それでは、私も今日はこれで」
「待ちなさい。もう遅いから緒方君にでも送ってもらうといい」
「あ、折角ですが、近くなので…」
「ならアキラ、お前が送って差し上げなさい」
「えっ、はい」

ちょうどその辺に座っていた塔矢息子がぴくっと反応した。

「でも私」
「行こう、高嶺さん」
「え、あ、あの、ありがとうございました」

送る気満々の塔矢を無下にできず、仕方なしにそのまま二人で家を出る。最後の挨拶が適当になってしまったが。

「高嶺さん、ちょっと緊張してた?」
「うん、頭真っ白だった。私、ああやってプロの方たちと試合以外で一緒ってあんまりなかったから。…お父さんは家では一人で研究していたしね。正直言って、名人の言ってること半分くらいしか分からなかったよ。
……というか、私そんなにあからさまだった?」
「なんとなく、ね。そうかなって。他の人は気付いてないと思うけど」
「わぁ…すごい観察力だね。塔矢って周りのことよく見てるんだ」
「うん、高嶺さんのことなら、まあ」
「…私のことなら?」
「え?…あっ」

沈黙。暗くなった空の下でもわかるほどカーーッっと赤らんでいく塔矢の顔面。
巴はそっと明後日の方角を向いて、素知らぬふりをした。自分は何も聞いていない、何も見ていない。

「…寒いね」
「…………ううん、熱いよ」

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