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新入段の免除授与式というは、棋道賞授与や秀哉賞授与などのついでに行われるオマケのようなものだ。それでも塔矢が壇上に立った時、多くの棋士が「あれが塔矢アキラか」とあからさまに警戒しているのがわかった。デビュー前からプレッシャーかけられまくりだが、本人はといえば特に変わった様子もない。授与式系が全て終わると、最低限のあいさつまわりだけさっさと済ませて、すぐに巴の所へ寄ってきた。

「思ってたよりは若い人が多いかも」
「そう?」

今は各々が立食を楽しんでいるところ。料理を皿に盛りつつ、巴と塔矢は雑談中。

「オーイ、巴」
「あ、倉田さん」

向こう側からのっしのっしと倉田さんがやってきた。彼と最後に会ったのはプロ試験序盤だったから…約半年ぶりだ。あのラーメン屋で鉢合わせしない限り倉田と会うことって無いから。でもこれからは仕事でかかわっていくのか、と思うと奇妙なご縁すぎる。

「高嶺さん、倉田さんと知り合いなの?」

塔矢は少しびっくりしていた。

「ちょっとね…あ、倉田さん、最多対局賞と最多勝利賞おめでとうございます」
「お前もなんだかんだ受かったんだな、良かったじゃん」
「ありがとうございます」
「ていうか巴、塔矢と知り合いだったんだ」

この雰囲気からして倉田と塔矢はすでに面識があるのだろう。さすが名人の息子。

「私たち小学校が同じで」
「そっかお前まだ13なんだっけ。なんかそうやって並んでると姉弟みたいだな」
「ああ、私よく”弟いそうだね”って言われます。倉田さんは絶対一人っ子ですよね」
「え、なんでわかんの」
「なんとなく。女の勘」
「なにが女の勘だ中学生のくせに……あ、そうだ。巴、お前さ」
「え?」

ふいに倉田が「ひらめいた!」という顔をした。

「前に言ってたよな、むちゃくちゃ強くなる奴が身近にいるからそいつの近くにいたいって。だから碁をやってるんだって。それって塔矢のことだったのかぁそうかー」
「え…ちょ、まっ」

突然の展開に慌てる巴に対し、ずっと会話に参加していなかった塔矢は、暗い顔から一転して「え?」と戸惑っている。

「ち、違いますって倉田さん」
「え?違うの?だってそれ言ってた時は塔矢もプロ入りしてなかったし…そいつはプロじゃないってハッキリ言ってたじゃん」

倉田の余計すぎる一言に塔矢がびくっと反応したが、それを気にかける余裕はなかった。

「本当に塔矢じゃないの?」
「違います」
「じゃ、そいつはまだプロじゃないんだ?」
「そ…そうですよ」
「なのにオレより強くなるとか言うの?」
「いつまで根に持ってるんですか。もう倉田さん、そこまで気になってるわけでも無いのに追及すんのやめてください…っ」
「だってお前、あんなに眼キラキラさせて言うからさー」

これでもよくクールだとか冷静だとか言われる自分が、まさかそんな表情をさらけ出していたとは、急に恥ずかしさがこみ上げてきてしまった。
急に何も言わなくなった巴を、倉田はからかうように笑った。

「うわっカオ真っ赤」
「っ…も、もう倉田さんはアッチに行って下さい…っ」
「ハイハイ、また今度な!」

倉田の背を押し半ば無理やりその場から退散させる。

「――……って誰?」
「え?」

塔矢がぼそっと何か言ったが、聞きのがした。

「何?」
「高嶺さんが…近くにいたい人って、誰?」

これ以上ないくらい塔矢は真剣そうだった。今度は逃がさないぞ、という決意がその瞳から伝わってくる。

「え、えっと……」


塔矢のあまりの真剣さに顔の火照りがさーっと引いて行った。

「………進藤なのか?」

名人の研究会で、塔矢は緒方さんあたりにたまにはっぱをかけられている。進藤が若獅子戦に出るらしい、とか、研究会に誘ったけど進藤には断られた、とか。そのつど「いいえ僕は彼の事なんてなんにも」と律儀に否定しているけど、はたから見れば気にしてるのはバレバレだ。

「…ヒカルの実力は私が一番よく知ってる。ヒカルは……今のヒカルは、塔矢が敵対視するような力は持ってないよ」
「……今の、進藤?」
「そう。これから強くなるかもしれないし、ならないかもしれないし」
「しかし2年前、僕は……僕は、彼に敵わなかった」

佐為の強さを思い出したのか、塔矢は少しだけ顔色を悪くした。それを見て思い出すのは佐為の台詞―――――――塔矢のように、恐れを勇気に変えて、さぁ―――――――塔矢は佐為の強さを恐れながらも立ち向かってきた。虐められようが周囲に訝られようが、真っ直ぐに進んできた。その結果、期待を大きく裏切られた。そしてまだ未練を断ち切れない。

「私だって2年前のこと疑ってるわけじゃあないよ。どんな一局だったかも知ってる。ヒカルに並べて見せてもらったから」
「! じゃあ」
「それでも、今のヒカルなんて私よりずっと弱いよ」
「………じゃあどうして君は進藤を気にかけるんだ」
「別にそういうわけじゃ、」
「気にかけてるじゃないか!いつもいつも君は―――」

塔矢が大声で叫んだ。え、と固まる巴。周りも同じように「え」、とフリーズしている。

「………あ」

自分が叫んだことに気付いてなかったのか、数秒してから塔矢は慌てた。すみませんなんでもないです、と周囲に軽くお辞儀。塔矢らしくない。

「あ、いたいた、巴ちゃーん!」

重苦しい沈黙の中、何も知らない真柴がぴょこぴょこと近寄ってきた。彼は巴と塔矢の同期で、やたらと巴の事を気に入っている。

「真柴さん…」
「午後からの新入段の研修そろそろ行こうよ、ね!」
「ああ、はい、そうですね…」

黙ったままの塔矢にちらっと一瞥だけやって、まあいいか、と真柴のほうへ身体を向ける。今の重苦しい空気を払拭するには丁度いいかもしれない。
そう思い巴はさっさと塔矢から離れた。塔矢の視線が背中に痛いほど突き刺さるのを感じた。

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