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「……進藤はどうだった?」

お昼休憩時、塔矢が複雑そうな顔で近寄ってきた。やっぱりきやがったな。
塔矢も本田との一局後、巴とヒカルの対局を見に来てたようだけど、少し遅すぎた。彼が来るころにはもうヨセすら終了し、巴の8目半勝ちが決まっていたのだから。

「高嶺さん、進藤は……」
「最近ずっと避けてたのに、こういう時だけ話しかけて来るのってどうかと思うな」

塔矢が気まずそうに押し黙った。塔矢が入段式以降それとなく巴を避けていたのも確かだ。

「ヒカルのことは、何とも思ってないんじゃなかったの?緒方さんにはそう言ってたよね」
「それは……」
「次の相手は私なのに、塔矢の視界にはヒカルしかいないんだ?」
「そんなことはない。僕は高嶺さんだって…」
「……次の二回戦、私に勝ったらヒカルとの一局を最初から並べてあげるよ」
「!」
「どう、ちょっとはやる気でた?」

塔矢は何も言わなかったが、その瞳は確かにギラリと輝いていた。

そうしていよいよ塔矢戦。予想はしていたがギャラリーの数が一番多かった。

「巴、負けるならさっさと負けろよなー」

ギャラリー達の最前列を陣取りながらヒカルはそんなことを言う。どうやら巴が朝に言ったことが未だに不服らしい。

「ついさっき私に8目半で負けた人の台詞とは思えないこと」
「るっせーな、関係ねーだろ」
「言っておくけどヒカル、私が勝ったら約束はちゃんと守ってね」

そこで対面に座っていた塔矢が「約束?」とおうむ返ししてきた。

「つーか巴、塔矢に勝ったらオレがお前に一日付き合うっていうのはわかったけど、お前が負けたらなにするんだよ?」
「ヒカルが勝負してるわけじゃなんだから、負けたって別に何もしない」
「うわっ不公平だ!」
「そう思うなら、普段の自分の行いでも見直してみなさいな」

そうこう言っているうちに開始時間になる。先番を決めた後、「おねがいします」と塔矢とお辞儀して―――――はっとする。塔矢の顔付がいつもと違った。
いつかヒカルが言っていた。塔矢の真剣な瞳を佐為じゃなくて自分に向かせてやるんだ、と。
思えば、巴が塔矢と打ち合うのは幼い時に通っていた囲碁教室以来だ。あの頃、巴は塔矢に負けたり、勝ったりを繰り返していた。
でも、もうあの時の塔矢とは違う。塔矢、自分は―――――あなたの本気を引き出せるのかな。

▽▲▽

どうしても勝ちたいはずの一局でも、彼女は守ることをしない。巴の碁はいつもそうだ。前へ前へと力強く進んでいく。多少不利になっても力強く相手を押し込んでいく。だがしかし塔矢相手にそれが通用するか果たして―――――目の前の一局を佐為は興味津々に見つめた。

「!」

塔矢の一手だけではない。巴の一手に周りの人間が息を呑んでいる。
工夫した一手を打ち、相手もまた工夫した手を打つ。心が躍るような碁だ。だがしかし、勝つのは1人だけ。


打ち終わって、無言で塔矢と睨み合う。そして黙って整地――周りの皆は固唾をのんで見守っていた。

「……白、55目」
「…黒…62目」

コミを換算して――――巴の2目半、負けだった。


「おつかれ、巴」
「ヒカル……ありがとう」

涙でもうあんまり前が見えないけど、巴は精一杯笑顔をつくっていた。

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