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ホン君との出会いは巴に多大な影響を与えた。

「二段への昇段おめでとう、巴ちゃん!」
「ありがとうございます芦原さん」

昇段したことで挨拶をしに久しぶりに名人の研究会に出席した。しばらく休んでいた巴に門下の皆さんは嫌な顔一つしなかった。

「なんか最近めちゃくちゃ調子いいじゃん。出版部の人たち騒いでたぞ?」
「ありがとうございます。でも、塔矢の評判には負けますよ。ね?」

いつもの和室、いつものメンバーでの談笑。ふいに塔矢に話を振れば、彼はぎこちなく「え?いや、別に…」とだけ。まだどこか拒絶されているようだ。

「巴ちゃん、なんか心境の変化でもあった?」
「彼氏でもできたのか?」

緒方が面白がって聞いてきた。

「……ふふっ」
「えーっ何その嬉しそうな顔!本当にできたの?」
「芦原さんには教えません」
「なんで!?」

先日のホン君との一局は巴の勝ちで終わり――――また勝負しようねって約束をした上、巴の携帯でツーショット写真を撮っただけでなく、住所と自宅の番号までゲットできたのだ。
ホン君は本当に強かった。それにあの子はきっとまだ伸びる。成長したホン君に追い抜かれたくない。もちろんヒカルにも。そのために巴は巴の対局を頑張る、何が何でも負けたくない―――そう思えば思うほど、勝ちを重ねるのだった。以前の弛みが嘘のようだ。

研修会が終わったら塔矢と二人で話をしよう、などと考えているところ「高嶺さん」と向こうから話しかけてきた。

「な、何?」
「もう暗いから送って行くよ」

外は全然暗くはなかった。まだ9月も中旬。しかし有り難く了承した。
立派過ぎる日本家屋を出て、我が家への道程をゆっくりと歩く。ふっと隣を向けば、押し黙る塔矢。

「……なんか久しぶりだね、こうやって二人で話すの」
「そうかな……」

ここ最近を振り返ってみても、塔矢が巴を避けていたのは明白だったが、何も言わないことにした。

「………ずっと考えていたんだ」

地面を見ながら塔矢がぽつぽつと話し始めた。

「どうして高嶺さんが進藤を気に掛けるのか」
「……え、」
「進藤の実力は……かつて僕が期待したほどではない。部活の大会では僕に惨敗したし、若獅子戦でも高嶺さんに負けた。…そんな進藤のどこに惹かれて、高嶺さんは彼を追うんだろうと、ずっと…。

――もしかして……もしかして、君は、」

そこで塔矢が歩くのをやめた。巴は数歩あるいて、不自然に止まってしまった塔矢を振り返る。

「塔矢?」

彼はもう地面を見つめていなかった。真っ直ぐ、綺麗な眼で彼女をじっと見ていた。

「君は…碁のこととは関係なしに、進藤の傍にいるんじゃないか?」
「………」
「………」
「………………えっと…、ヒカルとは良い友達だよ。碁以外のことも話すし…まぁでも、だいたい碁の話かな、うん」
「……っそれだけ?」
「え?」
「進藤とは、良い友達――――それだけなのか!?」
「………」
「…さっき、部屋で…か、彼氏がどうとか言っていたのは…」

ずんずん、と塔矢がコワイ顔で近づいて来る。必死な塔矢を見て、ふと、随分昔に聞きたかった一言が脳裏を過った。

「……塔矢って」
「なに」
「………塔矢ってさ、私のこと、好きなの?」
「       」

少年は絶句した。

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