『巴、そこは受けてはいけません』
「そっか…ここで乗っちゃえば中央が厚くなると思ったんだけど」

佐為に指導碁を打ってもらっている時、自分が確実に上達しているのを実感する。
打ち終わって、ふと横を見ればヒカルが退屈そうに寝ころんでいた。

「なんかごめん、佐為を独り占めして」
「いや別にそんなのはいーけど、巴って最近なんかスゲーのな、やる気が」
《ヒカルとは大違いですねえ…それにしても巴の集中力には本当に関心します》
「そう?」
「あ、6時じゃん。そろそろ帰んねーと」

時計を見てヒカルが言った。

「え、もう?…明日早いとか?」
「早いっつーか、まあ、うん。なんか中学生の大会に出ることになってさあ」
「何それ」

詳しく話を聞いてみたところ、訳あって囲碁部の大会に中学生のフリをして出場することになったとヒカルは言う。葉瀬中学には囲碁部がないから代役として出ろと強要され、断れなかったのだと。

「じゃあ明日は佐為たくさん打てるね」

さぞ浮かれているだろう、と思いきや佐為はヒカルを恨めしそうに睨んでいた。

《それが…出て来るなって言うんです、ヒカルが》
「え、ヒカル、自力で打つの?」
「なんだよ俺が自分で打っちゃ悪いかよ」

ヒカルはぷうっとむくれた。

「いや悪くないけど、ボコボコにされるのがオチじゃない」
「あってめー巴!」
《そうですよう、ヒカル。私が打てば敵無しで》
「うるせー!絶対に俺が打つからな!佐為は出てくんなっ」
《大きな声だして…近所の人に怒られますよ!》

ウキ―!と猿のごとくジタバタしていたヒカルだったが、ある程度暴れると大人しくなった。

「まあいいや。それならヒカル、私明日は予定ないからヒカルの大会見に行くよ」
「はぁ!?来なくていいよ別に!」
「へえ、じゃあヒカルの宿題はもう手伝わない」
「そ、それはマジで勘弁…」

ヒカルはあまり乗り気でないようだが、何故か巴は彼の碁にも興味があったのだ。
ここ最近、ヒカルとも打つことが稀にあったが、彼の力はどこか不思議で、一度試合しているところをこの目で見てみたかった。


来たる日曜日、ヒカルはダボダボの学ランを着て大会に臨んでいた。見事に服に着られている。ぶっちゃけ中学生には見えないけど、今のところ注意はうけていないようだ。少なくとも、容姿に関しては。

「ヒカル」
「巴!マジで来たのかよー」
「来ちゃ悪い?ていうか随分丈が見合ってないね」
「しょーがねーだろ、って……あの人、高田さんちの兄ちゃんじゃないかっ、やべ!」

どうやらヒカルを知っている近所のお兄さんでもいたらしく、ヒカルはバレないようにとりあえず、目の前に他校の生徒たちが試合前の練習をするようだったのでそれを見るふりをして、その場をやり過ごすことにした。
仕方ないので巴もヒカルの影になるよう彼の隣に立ち、隠すようにする。
そして無事、高田さんちの兄ちゃんはヒカルの後ろを何も気づかず通り過ぎていった。

「ふー…」
「この辺でじっとしてたら?」
「うん、そーする」

他校の生徒がぱち、ぱちと打つ碁を一先ず見ることに。
海王中は強いだの、準優勝は狙えるかもしれない、など彼らは最初雑談していたが、徐々に口数も減っていった。
そんなとき、

「あっ…と、ワリーワリー」
「なーにやってんだよ!ったくー」

片方の生徒が誤って自分の肘でそれまでの碁を崩してしまったのだ。

「えーと、こうだっけ?」
「そこじゃないだろっ」
「何言ってんだよ!こうだろ?」
「いーや、それはそこじゃないって」

「オレ、やろうか?」

彼らがどこに碁があったかで揉めていたとき、おもむろにヒカルが言ったのだ。
二人は何を突然、といった様子だったが、ヒカルは彼らの返事も聞かずいきなり碁盤の中を整理し出したのだ。
―――それも最初から。

「こうきて…それからこう、んでこうなって……」

先程打っていた二人の碁をどんどんと置いていくヒカル。
揉めていた二人は勿論、それを見ていた巴と佐為も言葉を失っていた。
ただ見ていただけだというのに、彼は当たり前のように全てを覚えていたというのか。

「……そんで、ここまで!」

ヒカルが全てを置き終えると、盤を凝視していた筈の一人が声をハッと我に返って声を荒げた。

「…っ、それがどうした!そんなこと分かってるんだよ!一手目から並べるなんて、ちょっと打てる者なら誰でもできらぁ!あっち行ってろ!」
「ご、ごめん…」

善意で並べただけだというのに、何故か反感を買ってしまい追い出されるような形に。
気を悪くさせたかと思ったヒカルに並んで巴もその場をあとにした。

確かに少し打てる者なら、一手目から打てることは容易い。
しかし、ヒカルが碁を始めたのはつい最近の筈。
石に触れたのは数えるほど、まだちゃんとした持ち方すらできないのだ。

そんなヒカルの後ろ姿を見つめる巴は、―――何かを見つけたかのように心揺れていた。

ALICE+