まだ存命だった父に連れられてトモエが初めて木の葉の里から出かけた場所。それは、風の国、砂隠れの里だった。
その時どうして父が自分を連れてこようとしたのか、幼いトモエには分からなかった。
「トモエ、私は里の預かりものを風影殿に渡してきます。大人しくできますか?」
「うん、ねえ、里を見て回っていい?」
「はい。近くに公園があったと記憶しています、それ以上遠くには行かないようにしましょうね」
砂隠れは木の葉隠れとはまるで違かった。緑などまったく見えない代わりに、並んでいるのは砂や岩でできた家、家、家。外の世界。
「......?」
その時、トモエは不意に立ち止まっていた。何かが聴こえた気がして、耳を澄ます。だが、確かに何かを聴いたはずなのに、今は何も聴こえなかった。「あれ?」と一人首を傾げたトモエは、まあいいか、と再び走り出そうとした。
キー......キー......
すると、今度こそ聴こえたのは、物静かな金属音だった。
「......ブランコ?」
好奇心は、迷う事なく働いた。今度は闇雲にではなく確かな目的を持って走り始めた。
ただのブランコの音だった。だが異様にトモエの心を突き動かしたのは、聴こえるはずのない距離で耳に届いたからだった。やっと拾える程度だった音が徐々に大きくなっていく。
そしてようやく、トモエは公園の入り口と思われる場所を目にしていた。
「見つけた......っわ!?」
そのトモエの目前を急に横切った小さな影。見れば、使い古されたボールがてんてんと転がっていた。何の意識もなく拾うと同時に、声がかけられる。
「ヘイ、パス!」
公園の中。少年たちがこちらを見ていることに気づき、トモエは慌てて投げ入れた。サンキュー、と笑った少年は、また彼らの遊びに興じ始めた。
小さな公園。遊具はあまり見当たらない。ただ広いグラウンドで子供たちがボールを蹴って遊んでいる。
トモエはなんとなしにそれを目で追っていた。人と人との足の間を抜け、蹴られ、高く上がり、落ち、跳ね、また蹴られ。それは実に単純なボール遊び。
「(......あ、そういえば。ブランコの音は?)」
トモエは失念していた出来事を思い出し、ふっと公園の中を見渡していた。
それと同時。再び子供たちの間をすり抜けていったボールが、今度は入り口とは反対方向に転がっていった。
ブランコだ。
トモエはぱっと顔を明るくした。捜していたものが見つかって、それだけで満足を得た。しかし、それと同時にトモエはまた違うことに気をとられる。
そこに、一人でブランコを漕いでいる少年がいた。
赤い、赤い髪の、きれいな目をした、小さな男の子。
彼は気付いた。自分の足下へと転がってくるボールに。そして動いた。そのボールを子供達に返してやろうと。少年は、ただ動いた。それだけだった。
なのに、少年を目にした子供達が叫んだのだ。
バケモノ───!!!
面白がっている声じゃない。本気で、畏怖した声だった。
トモエは呆然とその場を見ていた。先ほどまで遊んでいた子供たちはもういない。子供たちはトモエが振り向く間もなく 遠く、遠くへ消えて行ったのだ。先ほどのトモエと同じ動作をした彼が、巨大な怪物であるかのように。
公園の中に残ったのは、小さな泥だらけのボールと、赤い髪をした少年。
夕暮れの赤い日が差している。夕日の赤を浴びながら、トモエの瞳の中で少年はまたブランコに座った。ぽてり、とボールが落ち、転がっていく。少年は漕ぎもせず、じっとボールを見つめているだけ。......それだけ。
「......変なの」
気付いたら、トモエの口からそんな言葉が出ていた。少年は弾かれたように顔をあげた。少年にゆっくり近づいたトモエは、首を傾げて振り向いていた。
「ねぇ、そう思わない?なんなんだろう、あの子たち。オクビョウモノなのかな」
「え?」
「隣、座ってもいい?」
少年は隈で象られた目を大きく見開いてトモエを見ていた。対して、トモエはじっと相手の返事を待つだけだ。
少年の驚いた顔は消えなかったが、そのうち、おずおずと頷いた。その途端トモエはにっこりと笑う。
「ありがとう。あのね、私ずっとブランコ探してたの」
それだけ言って、トモエはブランコに飛び乗った。少年は呆気にとられていたようだったが、トモエはまだ相手の気持ちに気付くほど大人でもなかった。ただ、ブランコの金属音が辺りに響き渡った。
幼いトモエは幼いなりに感じ取っていた。今の音は、さっき聴いた音とは違う、と。
キー、キー、と鳴る音は同じようで、まったく違った。あの時の音はこの少年が出した音なんだろうか。あのどこまでも遠く響くような音は。まるで、助けて、とでも言っているような音は。
「きみ、里の子じゃないの......?」
不意に弱々しい声がトモエの耳に届き、トモエは漕ぐのをやめた。金属音が消える。ずさっと足で速度を落としたトモエは、伏し目がちに見てくる少年の目を見返した。
「うん。私、この里に来たの初めて。でも、どうしてわかったの?」
「......僕を、恐がらないから。僕のこと、知らないんでしょ?」
トモエは目を瞬く。「この里の子は、みんなキミから逃げるの?」と悪意のない言葉が口から飛び出た。震えた少年がそれでも頷いたのを見て、ふうん、と口を尖らせる。
「でも、私がこの里の子でも、キミから逃げたりしないよ。だって私はあの子たちみたいなオクビョウモノじゃないもん」
「そ、そういう意味じゃ!それに、あれがフツウだし......」
「フツウ?」
「だって僕は、バケモノなんだ」
「バケモノ?」
そういえば、子供たちもそう言って公園から逃げ出していた。
バケモノ。バケモノ?
今のトモエの頭に巡ったのは、父が読み聞かせてくれる、絵本の中のそれだった。ツノがあって、目がギラギラしていて、痛そうなツメが手にも足にも、それから口から色んなものを吹き出して。
「キミ、ヘンシンできるの?」
「へっ。ヘンシン?」
「違うの?じゃあどう見たってキミは、私とおんなじ人間にしか見えないんだけど......」
本気で頭を悩ませたトモエは首を傾げる。少年が何も返せないのを目にして、ぴょんとブランコから下りて少年の前に膝をついた。ぎょっとして身を引いた少年、だが彼が逃げ切る前に、その手をぎゅっと掴む。
「手の大きさも私と同じだし、ツメも長くないし、指もちゃんと五本だし」
一体どこをどう見て、あの子たちはバケモノなんてものを想像したのだろう。
隙を見て、トモエは更に人差し指で少年の頬を突ついていた。少年は本気で驚いて頬を抑える。トモエは悪びれもなく笑っているだけだ。
「うん、イヤなコトされてもヘンシンしないね」
少年は実に戸惑っているようだった。どういう顔をすればいいのかわからないようだった。トモエが本気なのかどうかもわからないのだろう。なにせ、今までこうやって話す相手もいなかったのだから。
またトモエの手が少年の手に伸びるのを、今度は逃げずに見つめるばかりだった。トモエの小さな手が我愛羅の手を包んだ。
「私は逃げないよ。だってキミ、全然バケモノじゃないもん」
ぴくりと震えた少年の手を感じ取る。トモエはにっこり笑って、少年の顔を見上げた。隈で象られた目はまだ見開かれたまま。
「ねえ、あのね、私、トモエっていうの。キミは?」
「え......?」
「私ね、今日はお父さんと一緒に来たんだけど…里の外に出てきたの初めてで、でね、えっと......」
いつのまにかトモエは言葉に詰まり、声はごにょごにょと小さなものになっていく。少年の表情が少し変わる。きょとん、としたものだ。気恥ずかしくなりトモエは俯いたが、「だからね、何が言いたいかって言うと」と小さく言ってから、また少年の顔を見上げ、照れたように笑った。
「外の世界は、楽しいけど、ちょっとだけ不安なの。だから、私とトモダチになってほしいなって」
「......とも、だち?」
「うん!トモダチがいれば、もう何も怖くないでしょ?」
少年の瞳が今までにないほどまた大きく開かれる。少年はまだ小さく呟いた。「とも、だち......」と、何か大切な言葉でもあるかのように。
すると、突然だった。少年の頬につっと雫が伝ったのだ。
涙だった。
「えっ......ど、どうしたの!?」
今度は驚いたのはトモエのほうだ。見るからに焦った表情でオロオロし始める。少年は涙を流した目でそれを見た。
それから、初めて、笑顔を見せていた。
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