六十五

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 ーーこれは、遠い過去の記憶。

 幼いトモエは空を見上げていた。青々とした雲一つない晴天だった。争いのない、平和な木ノ葉の空だった。
 子供たちの声が響いている。朝の匂いが充満している、それだけのことが、トモエは好きだった。幼いながらに何気ない日々を幸福と知っている少女がそこにいた。

 木ノ葉の町中の塀にもたれ、そうして一人の世界に入っていたその少女は、不意に顔を上げて手を振る。それもまた、何気ない日々の一つ。

 「おはよう、サスケ」
 「オウ。はよ、トモエ」

 控えめな笑顔。サスケはいつもと変わらない格好で姿を現した。何気なく二人は歩き出し、何気ない会話を交わし出す。雪箆家はうちは一族の集落の一部にあるため、幼馴染である二人はいつもこうやって一緒に登校していた。

 「宿題、してきた?」
 「当たり前だろ。あんな簡単なヤツ、すぐ終わったぜ」
 「なーんだ、たまには宿題忘れるサスケも見てみたかったのに」
 「お前なぁ…」

 ずっと続いてきた日々に、何の変化もなく。ーー徴候があったとしても、気付くはずもなく。

 「あ、そういえば、さっきイタチさんに会ったよ」
 「兄さんに?何か話したのか?」
 「ううん、考え事してたみたいだったから。おはようって言ってやっと私に気付いたくらい。もっといっぱいお話したかったんだけど...」

 お仕事だろうし。と、トモエが口を尖らせると、ふうん、とサスケは返事をする。その表情が今朝のイタチと同じ色にトモエには見えた。だがその意味にトモエが気付くはずもなく、変なの、とだけ心中で呟き、終わっていた。

 「あと今日ね、お父さんお仕事ちょっと遅くなるんだって」
 「フブキのおじさん相変わらず忙しいんだな」
 「うん。だから今日は放課後に手裏剣練習していこうと思って、時間つぶしに。サスケも練習するでしょ?」
 「俺はついでかよ」

 二人は他愛のない会話でアカデミーまでの道のりを繋いだ。
 刻々と迫る制限時間にも気付かずに。

 ***
 
 集落の前に付いた途端、トモエもサスケも崩れ落ちる。小さな少年少女は夜闇の中でうずくまっていた。
 満月が二人を照らし、影を作っている。トモエはやっとサスケのほうを向き、どこか深刻そうな顔つきで口にした。

 「行こう......サスケ」

 その手がサスケのそれを掴む。引っ張る。うわ、とサスケは気の抜けた声を出し、慌ててトモエの後を追う。サスケも自然と握り返し、二人は手を繋いだ。

 二人は同時に暖簾を潜り、集落内に足を踏み出した。途端、二人は目を丸くしていた。

 「家の、灯りが。まだ寝るような時間じゃないのに」

 二人の灯りは今や月明かりだけとなっていた。不安な顔を合わせるトモエとサスケ。その額に冷や汗が伝う。唾を呑み込む。...頷きあう。二人は今一度しっかりと手を握り合い、再び歩き出した。心音は、手から手へと伝わりそうな程、強く響いていた。

 暗い集落の中をトモエとサスケは一歩一歩ゆっくりと進む。物音のない家々の間は不気味だったがゆえに、互いに存在を確かめるよう繋ぎ合わせる手。
 二人は、曲がり角へ差しかかった。だがその瞬間二人は一斉に空を見上げていたーーー何かを感じて。

 だが、これといったものは在らず。

 「......気のせいじゃないよね?」
 「ああ。確かに何かがいたはずなのに......」
 
 トモエとサスケ、二人が見上げた先には満月が煌煌とあるだけだ。二人に存在を植え付けるように。

 ーーーそれから先に目を逸らしたのはトモエのほうだった。早く進んでこの胸騒ぎの原因を探りたかったのだ。
 二人を待ち構えていた曲がり角。トモエはサスケよりも先に一歩進み、ーーーそして、眼前に広がった通りを見たーーー見て、しまった。

 「うわ!?」

 一番に声を挙げたのはサスケのほうだった。だがそれは他ならぬトモエのせいだった。トモエが突如、腰を抜かしたせいで。サスケの目が映したトモエの顔には、完全に血の気が失せていた。


 「い......ぃ、や、あああっぁあああああああああ!!!」
 「お、おいトモエ、トモエ!?......!?」

 だが、反応が遅れたサスケもまたその先を目にし、目を見開いて息を呑んでいた。
 サスケは初めて目にするものがーー先ほどまでは確かに動いていたであろう亡骸が、何人と、否、何十人と転がっていたのだ。血に濡れた髪色は黒。確かに、サスケの一族。

 「何だよ、これ......何がどうなって...!?」

 戸惑い狼狽するサスケの隣で、トモエはただうずくまっていた。
 火照った体を夜風が襲う。熱いのか寒いのか、今のトモエには判断できない。ただ恐怖ーーーその体がひたすらに震えていた、この場から逃げ出したいと。だが、足は竦んでいた。

 「......トモエ」

 無理に動揺を押し殺したサスケの声がトモエを呼びかける。だが、トモエはそれにすら反応できなかった。二人を繋ぐ手は最早、サスケ一人の力でしかない。だが、サスケは強く握りしめていた。

 そしてサスケは、小刻みに震え何も言えないトモエの、その小さな肩を抱き寄せていた。サスケはトモエの耳元で囁く。

 「トモエ。お前はここにいろ。......それかもうすぐフブキさんが戻ってくるだろうから、それまで家に隠れてるんだ。きっと、きっと大丈夫だから......」

 それから、トモエからサスケという温かさは離れていく。僅かに顔を上げたトモエは、大粒の涙を零しながら、去って行く小さな背中をひたすらに見ていた。だが次々と溢れる雫のせいでその姿がぼやける。
 
 「(...いやだ...)」

 サスケの姿が、見えなくなっていく。トモエは震える手を必死に動かし涙を拭き取った。そうして銀色はまた前を見るが、その時にはもう、サスケの姿はなかった。

 ドクン、とトモエの心臓が跳ねる。数メートル先にはまだ温かいだろう骸が倒れている。他にトモエの目に見えるものはなく、トモエはそれが酷く恐ろしかった。ふらり、と立ち上がったトモエは、覚束ない足取りで壁まで行き、凭れ掛かった。その脳裏に先ほどのサスケの言葉が浮かぶ。

 『 トモエ。お前はここにいろ。......それかもうすぐフブキさんが戻ってくるだろうから、それまで家に隠れてるんだ。きっと、きっと大丈夫だから......』

 拭いたはずの涙が、またトモエの瞳から零れ始める。

 「どっちも嫌だよ...サスケ...」

 誰かに頼るためにトモエはこれまで生きて来たわけではない。トモエの頭に浮かぶ父フブキや、サスケ、ミコト、フガク、その他のうちは一族の者たちやーーーイタチの顔。
それが今、なにかのせいで崩れかかっている。この、満月の夜に。

 震える手足に力を入れ、屍たちを乗り越えながらトモエは走り出した。月光のみが照らす道は、酷く不気味だったが、それでもトモエは必死だった。
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