ーーこれは、遠い過去の記憶。
幼いトモエは空を見上げていた。青々とした雲一つない晴天だった。争いのない、平和な木ノ葉の空だった。
子供たちの声が響いている。朝の匂いが充満している、それだけのことが、トモエは好きだった。幼いながらに何気ない日々を幸福と知っている少女がそこにいた。
木ノ葉の町中の塀にもたれ、そうして一人の世界に入っていたその少女は、不意に顔を上げて手を振る。それもまた、何気ない日々の一つ。
「おはよう、サスケ」
「オウ。はよ、トモエ」
控えめな笑顔。サスケはいつもと変わらない格好で姿を現した。何気なく二人は歩き出し、何気ない会話を交わし出す。雪箆家はうちは一族の集落の一部にあるため、幼馴染である二人はいつもこうやって一緒に登校していた。
「宿題、してきた?」
「当たり前だろ。あんな簡単なヤツ、すぐ終わったぜ」
「なーんだ、たまには宿題忘れるサスケも見てみたかったのに」
「お前なぁ…」
ずっと続いてきた日々に、何の変化もなく。ーー徴候があったとしても、気付くはずもなく。
「あ、そういえば、さっきイタチさんに会ったよ」
「兄さんに?何か話したのか?」
「ううん、考え事してたみたいだったから。おはようって言ってやっと私に気付いたくらい。もっといっぱいお話したかったんだけど...」
お仕事だろうし。と、トモエが口を尖らせると、ふうん、とサスケは返事をする。その表情が今朝のイタチと同じ色にトモエには見えた。だがその意味にトモエが気付くはずもなく、変なの、とだけ心中で呟き、終わっていた。
「あと今日ね、お父さんお仕事ちょっと遅くなるんだって」
「フブキのおじさん相変わらず忙しいんだな」
「うん。だから今日は放課後に手裏剣練習していこうと思って、時間つぶしに。サスケも練習するでしょ?」
「俺はついでかよ」
二人は他愛のない会話でアカデミーまでの道のりを繋いだ。
刻々と迫る制限時間にも気付かずに。
***
集落の前に付いた途端、トモエもサスケも崩れ落ちる。小さな少年少女は夜闇の中でうずくまっていた。
満月が二人を照らし、影を作っている。トモエはやっとサスケのほうを向き、どこか深刻そうな顔つきで口にした。
「行こう......サスケ」
その手がサスケのそれを掴む。引っ張る。うわ、とサスケは気の抜けた声を出し、慌ててトモエの後を追う。サスケも自然と握り返し、二人は手を繋いだ。
二人は同時に暖簾を潜り、集落内に足を踏み出した。途端、二人は目を丸くしていた。
「家の、灯りが。まだ寝るような時間じゃないのに」
二人の灯りは今や月明かりだけとなっていた。不安な顔を合わせるトモエとサスケ。その額に冷や汗が伝う。唾を呑み込む。...頷きあう。二人は今一度しっかりと手を握り合い、再び歩き出した。心音は、手から手へと伝わりそうな程、強く響いていた。
暗い集落の中をトモエとサスケは一歩一歩ゆっくりと進む。物音のない家々の間は不気味だったがゆえに、互いに存在を確かめるよう繋ぎ合わせる手。
二人は、曲がり角へ差しかかった。だがその瞬間二人は一斉に空を見上げていたーーー何かを感じて。
だが、これといったものは在らず。
「......気のせいじゃないよね?」
「ああ。確かに何かがいたはずなのに......」
トモエとサスケ、二人が見上げた先には満月が煌煌とあるだけだ。二人に存在を植え付けるように。
ーーーそれから先に目を逸らしたのはトモエのほうだった。早く進んでこの胸騒ぎの原因を探りたかったのだ。
二人を待ち構えていた曲がり角。トモエはサスケよりも先に一歩進み、ーーーそして、眼前に広がった通りを見たーーー見て、しまった。
「うわ!?」
一番に声を挙げたのはサスケのほうだった。だがそれは他ならぬトモエのせいだった。トモエが突如、腰を抜かしたせいで。サスケの目が映したトモエの顔には、完全に血の気が失せていた。
「い......ぃ、や、あああっぁあああああああああ!!!」
「お、おいトモエ、トモエ!?......!?」
だが、反応が遅れたサスケもまたその先を目にし、目を見開いて息を呑んでいた。
サスケは初めて目にするものがーー先ほどまでは確かに動いていたであろう亡骸が、何人と、否、何十人と転がっていたのだ。血に濡れた髪色は黒。確かに、サスケの一族。
「何だよ、これ......何がどうなって...!?」
戸惑い狼狽するサスケの隣で、トモエはただうずくまっていた。
火照った体を夜風が襲う。熱いのか寒いのか、今のトモエには判断できない。ただ恐怖ーーーその体がひたすらに震えていた、この場から逃げ出したいと。だが、足は竦んでいた。
「......トモエ」
無理に動揺を押し殺したサスケの声がトモエを呼びかける。だが、トモエはそれにすら反応できなかった。二人を繋ぐ手は最早、サスケ一人の力でしかない。だが、サスケは強く握りしめていた。
そしてサスケは、小刻みに震え何も言えないトモエの、その小さな肩を抱き寄せていた。サスケはトモエの耳元で囁く。
「トモエ。お前はここにいろ。......それかもうすぐフブキさんが戻ってくるだろうから、それまで家に隠れてるんだ。きっと、きっと大丈夫だから......」
それから、トモエからサスケという温かさは離れていく。僅かに顔を上げたトモエは、大粒の涙を零しながら、去って行く小さな背中をひたすらに見ていた。だが次々と溢れる雫のせいでその姿がぼやける。
「(...いやだ...)」
サスケの姿が、見えなくなっていく。トモエは震える手を必死に動かし涙を拭き取った。そうして銀色はまた前を見るが、その時にはもう、サスケの姿はなかった。
ドクン、とトモエの心臓が跳ねる。数メートル先にはまだ温かいだろう骸が倒れている。他にトモエの目に見えるものはなく、トモエはそれが酷く恐ろしかった。ふらり、と立ち上がったトモエは、覚束ない足取りで壁まで行き、凭れ掛かった。その脳裏に先ほどのサスケの言葉が浮かぶ。
『 トモエ。お前はここにいろ。......それかもうすぐフブキさんが戻ってくるだろうから、それまで家に隠れてるんだ。きっと、きっと大丈夫だから......』
拭いたはずの涙が、またトモエの瞳から零れ始める。
「どっちも嫌だよ...サスケ...」
誰かに頼るためにトモエはこれまで生きて来たわけではない。トモエの頭に浮かぶ父フブキや、サスケ、ミコト、フガク、その他のうちは一族の者たちやーーーイタチの顔。
それが今、なにかのせいで崩れかかっている。この、満月の夜に。
震える手足に力を入れ、屍たちを乗り越えながらトモエは走り出した。月光のみが照らす道は、酷く不気味だったが、それでもトモエは必死だった。
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