大人の時間

 月替わり、5月。ゴールデンウィークが明けた頃。

 「…今日から来た外国語の臨時講師を紹介する」
 「イリーナ・イェラビッチと申します!皆さんよろしく!」

 朝礼が始まる時間。
 烏間先生と殺せんせー…そして、イリーナ・イェラビッチと名乗る外国美人がなぜか殺せんせーと腕を組み、目のやり場に困るくらいにベタベタしながら教室に入ってきた。

 「本格的な外国語に触れさせたいという学校の意向だ。英語の半分は彼女の受け持ちで異論はないな?」
 「仕方ありませんねぇ」

 そんな烏間先生と殺せんせーの業務連絡のやり取りの間もイリーナ…先生は構わず殺せんせーにベタベタしている。そんな殺せんせーがどんな反応をするのかと思って見ていると、人間と同じように明らかにデレデレしたように顔をピンク色に染めていた。
 そんな先生の様子にクラス中が人間でもデレる対象に入ることに対する驚きと、見え透いた色仕掛けにいとも簡単に引っかかることに対しての失望で染まっていく。

 こんな中途半端な時期によほどの理由がない限りは普通臨時講師なんてやって来ない。
 …ということは、このイリーナ先生も只者じゃないということだ。

 やはり、というのか案の定、というのか。
 その日のお昼休み。殺せんせーを外国に追い払ったかと思えば、朝礼時のデレデレっぷりからは想像できないくらい表情が一変した。

 「ファーストネームで気安く呼ぶのやめてくれる?あのタコの前以外では先生を演じるつもりはないし、"イェラビッチお姉さま"と呼びなさい」
 
 なんて、高圧的にもほどがあるくらいにそんなことを言い出した。
 成程、こちらが本性というわけか。
 分かっていたとはいえ、そのあまりの変わりようと態度にクラス中から軽蔑の視線が向けられた。

 「…で、どーすんの?ビッチねえさん」

 さすがはカルマと言ったところか、イリーナ先生の注文などまるで無視である。
 それどころか、ちょうどいいくらいの皮肉と煽りを込めたそんな呼び方をする。
 案の定、イリーナ先生は明らかにイラッとした様子で「略すなッ!!」というツッコミを入れる。
 しかしカルマは相変わらずそんなツッコミを無視して、尚もイリーナ先生を煽るように言った。

 「…あんた殺し屋なんでしょ?クラス総出で倒せないモンスター、ビッチねえさん一人で殺れんの?」

 しかしカルマのそんな問いにイリーナ先生は鼻で笑いながら答えた。

 「…ガキが。大人にはね、大人の殺り方があんのよ」
 
 そう言うとイリーナ先生は少し離れたところでそのやり取りを観察していた渚の方に向けて歩き出した。

 「…潮田渚ってあんたよね?」

 なぜ自分の名前が呼ばれたのかと不思議そうにする渚に、間髪入れずイリーナ先生が何のためらいもなくキスをした。そんな光景にクラス全員が息をのんだ。唯一嬉々としてそんな様子を見つめていたカルマ以外は。
最初のうちは逃げようと必死になっていた渚もイリーナ先生のテクニックにいとも簡単に沈められたようですぐにぐったりとしてしまった。

 「あとで教員室にいらっしゃい。あんたが調べたやつの情報聞いてみたいわ。…そのほかも、有力な情報を持ってる子は話しに来なさい!イイコトしてあげるわよ?女子にはオトコだって貸してあげるし。技術も人脈もすべてあるのがプロの仕事よ。ガキは外野でおとなしく拝んでなさい」

 そう言うとイリーナさんはどこから連れてきたのか屈強な男たちがそれぞれ大量の武器や弾丸を抱えて、イリーナとともに体育倉庫の方へ歩き出した。
 そんな四人の背中を見送りながら、まるで自分のことしか考えていないような、それ以外は自分の手足であるかのような、そんなイリーナ先生の言葉がふと頭の中をよぎり、クラス中の視線がさらに軽蔑的なものになった。

*短縮*

 イリーナ先生は体育館倉庫で殺せんせーの暗殺を試みたが、あえなく失敗に終わってしまった。
その後、イリーナ先生は全く英語の授業をする様子もなくイライラとしており、おまけにE組を馬鹿にするような発言をしたため一時は学級崩壊をしかけたが、改心して教室に戻ってきた。

 「悪かったわよ……いろいろと……」

 最後の謝罪の言葉は聞こえるか聞こえないくらいの大きさだった。気まずそうに小声で謝るイリーナを見て、クラスの皆は顔を見合わせる。
 やがて、笑い声が湧き上がった。

 「何びくびくしてんだよ。さっきまで殺すとか言ってたくせに」
 「なんか普通に先生になっちゃったな」
 「もうビッチねえさんなんて呼べないね」

 そんな彼女の愛称は"ビッチねえさん"改め"ビッチ先生"に決まった。
 その呼び方に当の本人は大いに不満そうだったが、定着してしまった呼び方が覆ることはなかった。
 こうして、この暗殺教室に新たな先生が加わったのだった。



 ***
おまけ

 「気絶するほどのキスって、一体どんな感じなんだろう……」

 教室へと戻りながら、百合はぽつりとそう呟いていた。初めて見た光景に純粋な疑問が浮かんでいたらしい。

 「へー、高嶺さんってそーゆーの興味あるんだ?」

 いつの間にか隣を歩いていたカルマは、少しからかうような口調でそう言った。

 「!!……ち、ちが…」

 慌てて否定する百合を見てカルマはいたずらっぽく笑うと、身を屈めて顔を近づけてくる。

 「興味あるならいつでも言って? 俺がしてあげるから。キス」
 「…っ!?」

 動揺して顔を赤くする百合を見てカルマは可笑しそうに笑う。

 「か、…からかわないで…」
 「えー本気なんだけどなー」
 「!?」
 「なーんてね」

 そう言ってカルマはスタスタと教室の方へと歩いて行ってしまった。

ALICE+