英語の時間
そして私の実力が否応なしに発揮されるときは早くもやってきて。
中学で初めての授業は英語だった。渡された教科書をぱらぱらと軽く見させてもらったが、正直な感想として「眠らないようにしよう」というぐらい簡単なものだった。中学英語ならこれぐらいか。日本では近年やっと小学校から英語を必修科目にしたらしいが、それでもまだ最近の話なので、今の中学一年生たちは先ず基本中の基本からスタートするのだ。
英語の教師は日本人の女性で。言っては失礼だが、あまり発音がネイティブではない。初心者が聞けば何も疑問に思わないだろうが、英語が飛び交う場所で生活していた私としては何点か指摘したくなるほどだった。しかしそれを言えば教師の立場もなくなってしまうし、生意気な生徒とも思われたくないので聞き流しておくことにした。
「じゃあ隣の人と今の例文を練習してみましょう」
女性教師に言われた通り、隣の席の彼と向き合わせて練習する。英語初心者の彼は時々単語の言い方が分からず何度か質問してきたので、やんわりと答えてあげていたのだが、私が英語を口にしたとき、何故か隣の席の彼だけでなく、周りの席の生徒たちも静かになって、こちらに視線を送っていた。
「すごっ、発音とか分からんけど外国人みたい」
たかが挨拶文を読んだだけでこの騒ぎか。こうして注目されるのは苦手なんだけどな。
すると近くの席の男子生徒がとある女子生徒を指さして言った。
「オードリーさんと英語で話してみてよ」
彼の言う“オードリーさん”とは、褐色の肌に真っ黒い髪を持つ、クラスでも浮いた容姿の、明らかに日本人ではない女子生徒のことだ。私と通路を挟んだ斜め前の席にいる子で、彼女は今年日本に引っ越してきたばかりで、まだ殆ど日本語が喋れないのだ。実は担任の教師からも彼女のことを相談されていて、日本語と英語が喋れる私が橋渡しになってほしい的なことを言ってきたのだ。けれど先ほど彼女の英語を聞いた限り、おそらくあの子は、
「……Ah,…Hello」
「H,Hello」
英語を話せる私に何度か視線を送っていたので、おそらく同じような存在が新しくできて気になってはくれていたのだろう。彼女に英語で声をかけてみて、いくつか質問をしてみた。
「Where are you from?」
「…Ethiopia」
「Wow. You came from a distant place…」
彼女がアフリカ地域からやってきたと聞いて、もしかしたらと思い、言葉を変えてみることにした。
「Vous êtes-vous habitué au Japon?」
「Hum……, Pouvez-vous parler français!?」
私が言葉を変えたことに気付かず、自然と答えていた彼女がやっと変化に気付いて口に手を当てて心底驚いていた。その様子がかわいらしくて思わず笑顔がこぼれる。
そう、私は英語ではなくフランス語で彼女に話しかけたのだ。彼女はそっちの方が分かるようだったから。
「静、なぁ、なんて言ってんの?」
おっと唐突な名前呼びですか。急に距離を近くしてきた彼に呆れながらも、律儀に答えてあげた。
「フランス語で話しかけてたんだよ」
「フランス語も話せんの?!」
「二人ともやばすぎだろ」
「いや、オードリーさんは英語よりフランス語の方が話せそうだったから。アフリカ出身らしいし」
「アフリカってアフリカ語じゃないの?」
「アフリカは昔、フランスの植民地時代があったからね、実はフランス語が根付いていることがあるんだよ。だから英語よりフランス語の方が分かるっていう人も多いんだ」
「はぁ〜そうなんか」
ちなみにアフリカ語なんてものは存在しないけどな。
すると、英語の練習そっちのけで話す私たちのもとに女性教師がやってきた。
「間門さんはフランス語も話せるの?英語ができるって聞いてたけど…」
「まぁ一応。色々な国を回ってきたので、大凡の言語は」
「他には何話せる?」
「あー…、中国、スペイン、アラビア、ヒンディー、ロシア、ドイツ…韓国、イタリア、……あぁあと何だっけな」
指を折りながら数えていくが正確な答えが出てこない。何しろ、各国を渡る度にその国の言葉を憶えていったので、記憶を掘り起こすのに時間がかかりそうだ。
「いやどんだけだよ、頭良すぎん?」
「まぁ日常会話程度にね」
ふと女性教師に視線を向ければ、少しだけ顔色が曇っていたようだった。まぁ仕方ないかもしれない。外国語がペラペラな生徒を前にして、自分が何を教えればいいのか戸惑ってしまっても。
「先生、私のことは構わず授業を進めてください。私は“話せるだけ”で、書く方はあまり心得がないので」
心得がないことはなかった。しかしこうでも言わなければ、女性教師のためにならないだろう。大人に気を遣わなければならないなんて、少し心苦しかったけれど。