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あの事件以降、事態は大きく変わった。
先ず、間宮百合さんを批判する人間が殆どいなくなったこと。これに関しては、今までメディアが報道してきた彼女の業績や、今回の事件で垣間見えた彼女の中身が大きく影響しているだろう。自分より他人を優先する優しさ、果てには自分を殺そうとした犯人までも救うため自分の身を投げようとした自己犠牲的行動が。
それまでネット上で彼女を批判する者の殆どが、同性故の嫉妬からくるものだった。美しいものは棘があると言われる世の中、容姿だけで中身を疑い、全てを批判していたものたちが、他人のために命を懸ける姿を見て、その考えをようやく改めてくれたようだ。
そして、今まで家族以外は病室には入れなかったが、ずっと昏睡状態だった間宮さん自身が誘拐事件で意識を戻したことで、本人の希望により、一部の警察も入室が許可され警備体制をより厳しくできるようになったこと。
それからこれは一番大きな変化ともいえる。なんと、あのチョン・ジョングクさんに間宮さんの病室へ入室する許可が下りたのだ。
勿論、最初は間宮さんの家族や警察からも反対の声が出たらしいが、結局は間宮さん本人が許可を希望したことが大きかった。しかも間宮さんは、チョンさんが病室に毎日通うことも、彼の滞在時間も、全て本人の自由にさせて欲しいと言っていたらしい。
まるで―――
「命の恩人に愛情でも湧いたかい?」
「……そう、見えます?」
僕と桐山さんはその日、初めて間宮さんと面会することができた。こうして間近で彼女と対面してみると、改めてその美貌には驚いてしまった。まだ身体が万全に戻ったわけではないからか、血の気のあまりない様子から人間というより人形のようで、もはや芸術の領域だ。
入室して挨拶したときは目を合わせてくれたけれど、それからはずっと目線を自身の足元に向けているから、長い睫毛が影を差して、それがより儚げで消えてしまいそうに見えた。
「それとも吊り橋効果、とかね」
「…ちょ、ちょっと桐山さん。あんまり変な言い方をするのは…」
「構いませんよ。どう受け取っていただいても平気ですから」
「だってさ。笹田くん」
「ハァ…もう、どっちが子供なんだか」
「子供といえば、彼も存外子供っぽいところがあるよねぇ」
「…そうでしょうかね…」
「そうだよ。キミがこんなにボロボロになっても、いや…ボロボロになるって“分かってても”絶対に身を引こうとしなかった。
まるで…欲しいものが手に入るまで駄々をこねる子供みたいだ」
僕は桐山さんがこれから何を言おうとしているのか分かっていた。そもそも今日、無理を言って病室を訪れたのは“それ”を彼女に伝えるためでもあったのだ。
「あまり時間がないから、まどろっこしいことは抜きにして、はっきり言っておくね。
―――チョン・ジョングクには気をつけた方がいい」
***
コンコン、コン。
病室の扉を不規則にノックする音。
これは“彼”が来たことを意味する音でもあった。
黒いマスクをして、白い帽子を被った彼がくることを。
「さっき刑事みたいな人とすれ違ったけど…また事情聴取あったの?」
「少しだけですよ」
「そっか。…でも、まだ体力が戻ってないから無理させて欲しくないんだけどな」
きっと本音を言ってくれているのだろう。こっちの目を真っすぐ見て言うときは嘘をついていないときだ。
「…また、お花持ってきてくれたんですか?」
「うん。今日はオレンジ色のガーベラ、かわいいよね。あ、こっちはもう捨てちゃうね」
「すみません、ありがとうございます」
「俺が勝手に持ってきてるだけだから、気にしないでってば」
彼はいつも二輪ほどの花を持ってきてくれる。そして、ベッド近くに置いてある花瓶に新しい花を加えて、代わりに古い方の萎れた花を捨ててくれる。水も毎日変えてくれるから、おかげで私の傍にはいつも美しい花たちが彩りを与えてくれていた。
「ここに置いてあるタオルって病院の?」
「あ、お母さんが新しいの持ってきてくれて…」
「こっちにあった方が取りやすくない?あ、下にハンドクリームあるよ。塗る?」
未だベッド上で安静するように言われている私。勿論、頻繁に見舞いに来てくれる家族や、看護師さんが介助してくれているけれど、それでも彼が見舞いにくる時間帯は他に誰も入ってこないから、いつしか自然と彼は当たり前のように私の身のまわりまで世話してくれていた。
「これ、いい匂いだね」
「…そうですね」
「ユリちゃんの手、細くて綺麗だ…」
世界的歌手に世話をしてもらっている私は、きっと世界で一番果報者の入院患者としてみられるだろう。
でも、どうしても、私は心から受け入れることができなかった。
なんて。そんなことを言ったら病院を追い出されるだろうか。
ハンドクリームでマッサージしてもらっている間、そんなことを頭の片隅で考えていた。
“気をつけた方がいい”
今日、刑事さんに言われた言葉。私は否定も、肯定もできなかった。
あの刑事さんは鋭いひとだ。
きっと、私の考えていることを見通している気がする。
だから口には出さなかった。
これは私の、問題だから。誰にも言えない。私だけの。