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「桜乃〜!そろそろ終わりそう?」
「朋ちゃん。うん、あとはこのゴミ箱を空にするだけだよ」
竜崎桜乃はクラスの掃除当番のため、放課後に指定の場所を掃き掃除していた。あとは集めたゴミをゴミ捨て場まで持っていけば終わり、というところで友人の小坂田朋香が様子を見に来た。
「じゃ、あたし先に昇降口の方で待ってるから!」
「ありがとう。スグ終わらせてくるね」
そうしてゴミ捨て場まで向かっていた途中だった。桜乃が思わず足を止めてしまったのは、いつも目で追っている人物が進行方向に立っていたからだ。
「あ、…リョ、リョーマくん?」
テニス部一年レギュラーの越前リョーマが、レギュラージャージを羽織ってラケット片手にある一定方向を見つめていた。強豪テニス部は今日も練習がある筈。今も部活時間だというのに、彼はこんなところで何をしているのだろうか。
そんな想い人のことが気になって仕方ない桜乃は、意を決して話しかけてみようと再び足を踏み込んだ。その時だ、彼の視線の先に“その人”が現れたのは。
「あら?おチビちゃん、そんなとこで何してんの?」
『……』
「ちっす」
調理室と書かれた教室から二人の上級生が出てきた。二人とも自前のエプロンをつけたまま、その手には袋に入ったお菓子とみられるものを持っている。
「あなた部活はどうしたのよ。サボりなんて手塚ちゃんが許さないんじゃないの」
「今、休憩時間」
「フン。そんなこと言ってどうせ私たちが出てこないか、出待ちでもしてたんじゃないの?ほんっと分かりやすい男ねぇ」
「…別に、偶然通りがかっただけだし」
「はいはい。そういうことにしといてあげるわ」
「……うざ」
「何か言ったかしらぁん?」
リョーマと小言を言い合っているのは、通称“オカマノ先輩”と呼ばれる釜野雅。そしてその隣で二人を静かに見守っているのが、“青学のマドンナ”といわれている高嶺百合。
学校が誇る美男美女の二人が並んでいると、桜乃にはまるで別世界のように輝いて見えて、思わず目も眩みそうになる。
調理部に所属している二人は、週に何度か調理室を利用して料理を作っている。調理部自体は人数があまり多くないが、部に所属していれば、調理室は比較的自由に使えるうえに、日ごろの活動も個人個人の自由でいいという方針だ。そのため中にはあまり活動しない者も出てくるが、料理好きな者からしたら設備の整った環境で好きなように料理ができる楽園のような部活で、釜野と百合の二人は後者の人間だった。
学校ではいつも一緒にいる二人は料理をするのも一緒。決まった曜日に決まった時間で、こうして今日も活動していた。
それを委員会活動の時に本人から聞き出していたリョーマは、時間が空けば調理室の前で憧れの先輩が出てくるのを待っているのだ。少しでも自分が目についてくれればいいし、会話ができれば尚良し、もっと良ければ…。
「今日、何作ったの?俺、腹減ったんスけど」
「紅茶のエクレア。でも生意気なおチビちゃんにあげる分はなくってよ」
「別にオカマ先輩に聞いたわけじゃないから」
「アタシのことはオカマノ先輩とお呼び!釜野にオをつけなさい!」
「……それでいいのか」
―――『私ので良ければ、』
そう書かれたノートと共にリョーマに差し出されたのは、百合が作った紅茶のエクレアだった。綺麗に包装されたそれは彼女の性格がよく表れている。
「ん…ありがと」
「よーく味わいなさいよ。結構手間かかってるんだからね」
「そーいや桃先輩と海堂先輩もさっき腹減ったって言ってたなぁ」
「これ全部持っていきなさい!」
『!?』
見事な手のひら返しでリョーマに自分の作ったエクレアをすべて押し付ける釜野。おそらくこれもリョーマの策略の一つだろうが、そんなことを知らない釜野は「今度感想聞きにいこうかしら〜」と上機嫌だった。
***
そうして運良く“高嶺百合の手作りお菓子”という、彼女のファンからすれば神棚に飾って拝みたいほどのものを見事手にすることができたリョーマ。思わず綻びそうになる表情筋をキュッと引き締めて、テニスコートへと歩を進めていた。
「リョ、リョーマくん」
そこへ後ろから声をかけられて振り向けば、長い三つ編みをした女子生徒が自分の後ろに立っている。たしかテニス部顧問の孫だという少女だった気がする。気がする、というのは、リョーマからすると“高嶺百合”以外の異性は全て同じ人間に見えるため、名前も顔も憶えがないのだ。
「なに?」
「あ、えっと…その…」
「用がないなら、俺行くけど」
何故かゴミ箱片手にもじもじと言葉を濁す少女だが、これ以上意味なく足止めされても仕方がないのでリョーマはさっさとその場を離れようとする。
「あああああの!その、リョーマくんってどんな女の人がタイプなの?!」
「……は?」
「っ!!ご、ごめんなさい!いきなり変なこと聞いて!」
「…………年上」
「え?」
「二つ上、黒髪ロング、料理上手、賢い」
「…リョーマくん?」
自分から聞いておいて何だが、まさかリョーマがこんなにスラスラ答えてくれるとは思っていなかったのか桜乃は戸惑いを見せていた。
「口元にほくろ、図書委員、本好き、応急処置ができる、クールに見えて実はコミュ症、背が高くて……あと、巨乳」
「きょ…っ!?」
リョーマの口からそんな言葉が出てくるなんて、驚いた桜乃は赤面を隠せなかった。堅物そうに見えて、彼も中身はきちんと中学男子だったらしい。
しかしそれはともかくとして、リョーマの好みのタイプはあまりにも細かすぎて、どう考えても“特定の人物”を言っているようにしか思えない。
そのリョーマが今、思い浮かんでいるであろうその人物は、桜乃にも直ぐ分かった。何故なら彼がその手に持つ綺麗に包装されたお菓子へ大事そうに目をやったから。
「リョーマくんの好きな人って、も、もしかしてだけど…三年の高嶺先輩…だよね?」
「そうだったら何。俺もう部活あるから」
「っえ、あ、でも…!!む、無理だよ!!」
「……はぁ?」
「だ、だって高嶺先輩っていったら、“高嶺の花”とか“学校のマドンナ”とか…一年生なんて話しかけるのすら憚れる人なのに…いくらリョーマくんでも流石にあの人とは付き合えな―――「ねぇ、」
「喧嘩売ってる?」
それまで聞いたこともない低い声が桜乃に刺さる。はっと我に返って顔を上げれば、自身の前に立つリョーマが冷え切った目でこちらを睨んでいた。
「…っ、そ、そういうつもりじゃ…」
「周りの意見とかどーでもいいけど、他人にそこまで言われたら逆に火がついた。あの人は絶対俺のもんにするから」
「リョーマくん…」
憧れの先輩を自分の女にする、という強い宣言を言い残して颯爽とテニス部に向かっていったリョーマ。一方でその場に残された桜乃は今しがた自分のした行いをようやく反省していた。
「や、…やっちゃったよぉ〜…朋ちゃ〜ん」