第二話「2回目の保育園児」

両親は共働き、祖父母は自営業。3歳になった頃から、自分は近所の保育園に通い始めた。
3歳の自分なんて全く記憶にはないんだが、身体は幼児、心は20歳の自分は確かにこんな建物だったなーと思い返していた。

「皆ー、お昼寝の時間ですよー」

そしてお昼寝タイム。何と素晴らしい時間だろうか。
大人になるにつれて睡眠時間はどんどん減らされていくような日本社会において、上から寝ろといわれる時間があるとは。
幼児になってから思うことは、やはり大人のときと比べて少し歩くだけで体力は減り、疲労は正直に身体に出てくる。ちょっと集中して絵本やら絵描きやらしているだけで、もう眠くなってきた。

「しずちゃん、いっしょにおふとんはいろー」

一人の少年に声をかけられた。自分と同じ年齢で、母親同士が知り合いで、兄が二人いて、その兄たちの年齢も一緒という、色々重なってることが多い。
そしてこのヒヨコ組では1〜3歳までの子供がいるなか、3歳児は自分とこの少年だけだ。
そういったこと諸々含めてそれなりに一緒になる機会があった。
更に言ってしまえば、この少年は自分の幼馴染にもなるひとだ。まぁ中学に上がって以降、全く関わり合うことはなくなるのだが。
そういえば昔のアルバムを見た際に同じ同年代でこの保育園に3歳から預けられていたのは自分とこの少年だけだったな、と通い始めて思い出したのを覚えている。

「いいよ」
「やったー、ぼく、こっちね」

右側の布団に横になる彼の隣の布団に自分も潜り込む。
彼も昔はこんなに可愛らしい幼子だったんだな、としみじみ思う。
将来どうなるか詳しくは知らないが、あまり好青年な印象は持たなかった気がする。
保育園児のとき自分はどうやって彼と接していたか覚えていない。
なので人生二回目の自分でもこの辺りは未知の展開になる。いつから自分に自我と呼べるものが芽生えてきたか、それすら定かではないので、幼児時代はとにかく大人しく慎重に動こうと決意した。
選択肢を間違えるわけにはいかない。神様に与えられたときから、自分は選択肢を選んで生きている。
ゲームと同じだ。示された選択肢のどちらを選ぶかでどう転ぶか変わってくる。
自分はもう二度と愚かな人生を歩みたくない、後悔ばかりで生きていくのだけは御免だから。
せっかく神様に頂いたチャンスを棒にせず、賢く、良い子で、護られるような可愛いらしい女の子を演じていくのだ。

人間に与えられた唯一平等なもの、それは時間だ。まだ生まれて間もない自分は、その時間が無駄にあるといっても過言ではないこの幼児期をいかに過ごしいくかで今後の人生に大きく関わってくるという重大な局面に瀕していた。
ある有名な卓球選手は3歳のときからラケットに触れていたし、ある有名な体操選手は2歳のときからマットで体操ごっこをしていたという。
つまりこの幼児期に何を磨いていくか、自分は既に今後の人生プランを左右する選択肢を与えられているのだ。
スポーツか、文学か。
私の父親は空手の先生だ。小学校3,4年のときは私も父親の教室に通わされていたが、直ぐ嫌になってやめた。
もう一つの習い事のピアノは小学校卒業まで続けていたが、それも半分くらい嫌々だった。
大人になって振り返ったとき、自分は一体何を頑張ってきたかよく分からなかった。
なにもかもが中途半端すぎてコレといえる自分の特技が見つからなかったのだ。
だから幼児期から自分は動くと決めた。将来の自分を助ける力をつけるために、子供のときにこうしておけば良かったと嘆かないように。

そして選択した。ひとまず文学にしてみようと。
だが今から算数を解き始めるとか、世界地図を覚えるとかではない。そんなことを3歳児がしてみろ。何だこの子は天才か、と言われてしまうのが目に見える。
確かに世の中には本物の天才はいる。そういった人は子供のときから大人が驚くような行動をしているケースが多い。
しかし、自分がそんな立場になってとき、大人たちの反応が重荷になると考えた。
あの子は天才だから、とか。あの子は優秀だから、とか。あの子は出来る子だから、とか。
そんな言葉はたまったもんじゃない。きっとうちの親はそんなことは言わないだろうけど、周りの人間が何を言うか分からない。
自分は極力目立たず、しれっとゴールに通過しているような、
100点は望まず、でも合格点には達しているような、
そんな子でありたいのだ。
なので出来るだけ大人に見つからないよう、少しずつ知識を吸収していくことにした。
幸い、子供の柔らかい脳みそのお陰で難なく暗記はしていけた。
1回目の人生で自分が知っていたものに加え、へぇそうだったのか、という初めての知識をどんどん頭に入れていった。
特に自分が気合を入れて取り掛かったものは「英語」であった。前回の人生では中学生になってから英語教室に通わされていた。母親から、お兄ちゃんも通ったのよと通過儀礼のように言われたためだ。その頃は英語などなぜ覚えにゃならんのか、我らは日本人で日本語を話すんじゃないの?なんてお決まりの屁理屈を並べ嫌々通っていた。しかし、人生において「きっかけ」は突然訪れるもので。中学卒業間近の時に、パソコンの動画サイトで偶然見た海外女性アーティストに一目惚れ、曲にさえも悩殺された自分は今までの英語嫌いが嘘のように英語ラブと思える人間になっていたのだった。いつかそのアーティストに会って、「貴女が大好きです!貴女の歌を聴いて自分は…」と愛のメッセージを伝えることを夢にまで思うようになり、なんとか英語を勉強しようとしたが、言葉を書けても喋れなければ意味はない。つまり聞き取りが全くできなかったのだ。
大人になっていくにつれ暗記力も衰えていくし、日本語と英語両方を話すなんて夢のまた夢のような。その頃の自分にとっては雲を掴むようなことになっていた。
しかし、二度目の人生を迎えた今、その経験を踏まえ、頭が柔らかく何でも吸収できる幼少期のうちから英語に触れておけばきっと、、、。
そんな野望心から母親に「しず、ディズニーの、ほしい」とそれはそれは可愛らしくおねだりをして、子供教材を買ってもらったのだ。楽しく聞いてお喋りしようという、それは今の私には丁度よかった。英語教室に行く?と母には聞かれたが、自分は流石にそこまで英語を知らないわけではない、基本的なことはそれとなく分かるので自分のペースで進められる自宅教材が一番良いと思ったのだ。それでも最初はほんとにこれで喋れるのか、と疑心暗鬼だったが、子供の吸収力は半端なかった。すごい、どんどん頭に入ってくる。親の問いかけに思わず英語で答えてしまったときは、流石に鳥肌が立った。両親と祖父母も、凄いと褒めてくれた。今では英語を話せることが楽しすぎて、もっと覚えようとどんどんのめり込んでいる。




「静ちゃんはお外で遊ばないの?」

いつものように本を開いていると、保育園の先生にそう言われた。
自分は父親の家系の遺伝で、元来色白な肌だ。子供の頃はさして気にもしなかったが、思春期を迎える頃になると自分の肌が白いことに優越感を感じると同時に、もし日焼けしてしまったら、という恐怖が芽生えた。
そのせいで今でも外に出て陽にあたるのが嫌だ。
日焼け止めを塗れば別段問題はないが、3歳児が「日焼け止めを塗りたい」と言ったら、大人はどう反応するだろうか。少なくとも私は引く。
だから、極力、園内で絵本を読むフリをしながら、片手で今日覚えたい単語や公式なんかをメモした紙を見ていた。少しでも勉強をしておきたかったからだ。
勿論、先生や子供に見られないよう背中を向けて、周りに注意しながら。

「…きょうはいいの」
「そっか。じゃあ先生と一緒に絵本読む?」
「うん」

ったく。どうして先生はこう子供に構っていたんだろうか。
こっちは下学向上をモットーに生きているというのに。まぁ先生と園児である以上、仕方ないのだろうけど。
先生が絵本を読んでいるなか、もうこの本のオチは知ってるしさっさと次のページめくってくんないかな、とか子供らしからぬことを考えていた。
拒否してもいいんだろうけど、自分はあくまで聞き分けの良い子で、何かあった時守ってもらえるよう先生は味方につけておいて損はない。
だから今日も良い子を演じるのであった。

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