52

百合が晴太との稽古を終えてそのまま別れる頃には夕日が差す時間帯になっており。
通りを歩く彼女の足は行き先を吉原へと向けて瞳を鋭くしていた。

スナックお登勢で働きながらも、晴太は週一ほどのペースでお金を渡しに足を運んでいる事は知っている。
それこそあの楼閣の門で番をする男が受け取り、帳簿につけていると信じているから。
しかし、本当にその男がただの子どもの為に現金を預かるほどの、良心的な心の持ち主であった場合に限られるが。

百合が自ら仕入れた情報によると、特に日輪の扱いの激変がよく伝わった。
遡ること8年前、日輪が吉原から逃亡を図ろうとしたのだと。
結局失敗に終わってしまったが、その騒動を境に日輪は楼閣の表へ出る事がなくなった。
百合も見上げたように、ああして決まった位置で決まった時にただ外を眺めて佇むだけの存在に成り果ててしまった。
それは、客を寄せるためのただの飾りである事に違いなく。
―――そうして意識を現実へと戻せば、覚えきった道を辿り昇降機を使って降りた道の先は、吉原。




「オイラの金が使いこまれていた!?」
「そうなんだ、晴太くんがお金を預けていた男って吉原でも手癖が悪い事で有名らしくて…」
「あのヤロー…!くそぉ…っ、心入れ替えて真面目に金貯めたってのに全部無駄だったのかよ…!」

時は戻り、同じ吉原の人通りの少ない階段に座って頭を抱えて悔しがる晴太を神楽と新八が見やる。
2人の恰好は遊女に扮したものになっているが、それもココで目立たず動き回ろうとする工夫だ。
その功あって得た情報は、結果的には晴太にとって非常に残念でならないものだったが。

「無駄なんかじゃない、僕らずっと見てたよ。晴太くんが一生懸命頑張ってる事をさ」
「そんなもんッ金がなきゃ全部意味なんてないよ!金がなきゃッ母ちゃんに会えないんだ!!」
「本当にそう思ってるアルか?」
「!、神楽姐…」
「お前、百合姐に何を教えて貰ったネ。ただ勉強してただけじゃないダロ」

悔しがって怒る晴太の言を止めたのは、凛とした神楽の冷静な返しで。
驚きで瞬いたのは新八も一緒だった、晴太とを交互に見やって思う…最近、神楽は時々こうした表情をするのだ。
グッと唇を噛みしめて一瞬黙った晴太の表情の変化は神楽の返しに呼応するものだった。

「…そうだ、沢山教えて貰ったよ。
勉強も勿論、一般常識とか生活の処世術とか…でも、何よりオイラが感謝したい事だけは百合姐は何も言わなかった」
「それが百合アル。私は優しいからもう1度だけ聞いてやるネ。お前、今までが全部無駄だと思ってるアルか?」
「…思ってない、思うわけがない。皆に出会えた事で今のオイラがあるんだから」
「晴太くん…」

瞬いて笑みを浮かべた晴太の瞳から悔しさに曇る光が消えて、神楽もニカッと笑む。
口に出さずとも心中で感謝の念を思い出した晴太の頭に過るのは、どんなに上手くいかない時も寄り添って根気よく教えてくれた百合だ。
失敗して挫けても泣いても弱気になっても怒らない…ただ晴太が全部投げ出そうと諦めそうになった時だけ怒って喝を入れてきた。

ベソをかいた時、恥ずかしがる晴太を笑う事なく堂々とした表情で手を伸ばしてくれた。
その手を取った時に知ったのだ、百合が1番伝えたかった事が。

「それに、お金だって無駄になってないさ。依頼金はしっかり僕ら万事屋が頂いたから」
「えッ」
「元々母ちゃんに会うのにお金払わなきゃいけないなんておかしな話ネ、だから私たちが会わせてやるヨ」
「「万事屋銀ちゃんに任せてよ(アル)」」

立ち上がって晴太に向き直る新八と神楽の告げてきた言葉に晴太の感情は反するものを宿していた。
万事屋への信頼からの感謝と、吉原の事情を知る故の否定。
「でも幾らなんでも無茶だ…金も払わず花魁に会おうだなんて」とやっと紡いだ言葉に返事が返される事はない。
急に表情を一変させた2人が同時に晴太を掴むと後ろへ飛び退いた故に。
「!?」と引っ張られた晴太が見たのは、据わっていた場所に刺さる無数のクナイだ。

「…ッアレは!そんな何でココに!」
「誰アルか!?」
「屋根の上に女の人?」
「吉原と吉原の掟を犯すもの処断する自警団 百華!その吉原を率いる吉原最強の番人ッ死神太夫だよ!」

何故その百華がココに、と紡がれる前にザッと何人もの百華女衆が武器を構える。
「月詠でありんす、以後よしなに」と淡々と発された返しを合図に、同時にクナイの雨が襲い掛かった。
飛び降りてきた月詠の攻撃を番傘で防御した神楽が「早く晴太を連れて逃げるネ、新八!」と叫ぶ。
そのまま攻撃に入ろうとするも、慣れない遊女の恰好で思うように動けず軽々とかわされてしまった。
新八に庇われながらも駆け出す晴太の背を見やった月詠が身を反転させてクナイを振り上げる。

「わっちの狙いはぬしじゃッ!」
「晴太!!」

風を斬った複数のクナイが一直線に晴太へと迫る。
神楽の叫びと新八の叫びがシンクロした時、晴太の姿を隠したのは渦巻き模様の白い着流しで。
風圧と共に横薙ぎの木刀がクナイを打ち払って、着物が軽やかに揺れた。
まさしくピンチに駆けつける堂々たる様はカッコ良ささえ感じられ、新八が顔を緩ませて「銀さんッ…!」と名を呼ぶ。
いざという時、こうして駆けつけてくれるから頼りになると思えるのだ。
…と、振り返った銀時を見るまでは考えていた、振り返った銀時を見るまでは。

「待たせちまったな、大丈夫か?」
「……あの、銀さん…刺さってます」
「へ?何が」
「いや今何気なく引き抜きましたけど、それですクナイです…バッチリ額に突き刺さってましたよねアンタ」
「は?何言ってんだお前は。何も突き刺さってねーだろうが」

あくまでクールな表情を崩さない銀時はサラッと答えるが、額からはダラダラと血が流れており後ろ手にはクナイが隠されている。
あの一瞬で素早く引き抜いて何事もなく装えるあたりは尊敬ものだが、一気に半目で冷たい空気を漂わす新八。
同じくやり取りを眺めて傍観状態に入っていた百華衆と神楽からの視線も冷たかった。

「これはアレだよ、ちょっとかすって血が出ちゃったみたいな?断じて刺さってなんかねェよ絶対」
「あの、ホントに痛々しいです…無理しないで下さ、」
「誰が痛々しいだッ、刺さってねーってんだろーが!ホントいい加減にしろよお前ッ、刺さってねーって刺さった本人が言ってんだから刺さってねェんだよ!」
「今、刺さったって言いましたよね…」

ボソリと呟いた新八の首を引っ掴んで影へと寄せた銀時は小声で返す。

「新八おめぇよォ…マジ空気読めよ…思いっきり全部撃ち落とした感じだったろうが、あんなカッコよくキメてたのに刺さってましたとか言うな。
アレさァ、笑われてない?ねぇ、笑われてないよね怖くて振り返れないんだけど…ッ!」
「途中で弱気にならないで下さい、落ち着いて。大丈夫ですって!」

新八がフォローを入れると、近い距離で傍観していた月詠がクナイを構えて告げる。
「わっちの攻撃を全部撃ち落とすとは、ぬし何者じゃ」とのまさかの発言に、向き直った銀時が「聞いてくれてるゥッ、空気読んでくれてるよあの子!」とぼやいていた。
改めて恰好をつけて洞爺湖を手に悠々と構えて場面を再開しようとした。

「攻撃?悪いが俺にゃクナイがのんびり散歩してるように見えたぜ。もっとしっかり狙って…ッ!」
(銀さん、刺さってます!手にクナイ刺さってますゥゥ!)

カッコつけて顎を撫でた手には見事にクナイがブッ刺さっており、新八の心中がつっこみ荒れする中で銀時が再び後ろを向く羽目に。

「やべェよ今の完全に見られちまった!」
「アンタ結局ぜんっぜん撃ち落とせてねーじゃん!!あちこち刺されまくってんじゃないですかッ!」
「ヤバイ、駄目だもう駄目だ…笑われてるってコレ、俺帰るわ、もう病院行ってくるわ」
「だから落ちついて下さい、全部撃ち落とした事にするからいけないんです!
この際、身を挺して庇った事にしましょうッ」
「わっちの攻撃から身を挺して子供を庇うとは、ぬし何者じゃ」
「やっぱ聞いてくれてるゥゥ!?気ィ遣ってくれてるよッ良い子だ、あの子良い子だよッ…!」
「敵に情けかけられてるって事ですからね、喜ぶトコじゃないですから」

続いて空気を合わせてくれた月詠の発言に感動しつつも、銀時はすぐに身を落として苦しげにする。
いかにもようやく攻撃を防いで傷ついてます的なアピールに、新八や神楽だけが冷静さを上げていっているが。

「ぐッ…なんて攻撃だ、庇うのがやっとだったぜ…!晴太、大丈夫…か…、ア、レ?晴太、くん?」
「……」

晴太を振り返って、今頃になって静かな事に気がつき目に入った光景に顔が引きつる。
そこには、頭の頂点にクナイがブッ刺さって南無な状態になっている晴太。
一気に吹き出る冷や汗と共に、「晴太くん!?銀さんコレッ、どーするんですかコレェェ!!」と新八が追い打ちをかけた。

「完全に刺さってますよ!?あんだけカッコつけて庇っといて守りきれてないじゃないですかァァ!!何しに来たんですかアンタ!」
「……てめーらァァ!死ぬ覚悟は出来てんだろうなァァ!!」
「無かった事にしようとしてる!全部無かった事にして人のせいにしようとしてるッ!」

凄みをつけて怒りの表情で百華を振り返っても、冷や汗ダラダラな状態は隠せておらず。
「最低だよ、主人公にあるまじき行為だよッ!」と、晴太を抱いている新八の発言が地味に矢になって刺さっていた。
その空気に再び戦闘態勢に入ろうと構える百華だったが、ウチの1人が「すみませーん」と声を上げた事で場が止まる。

「あのォー、どうしても訂正したいんで良いですかー?それ、私たちのせいじゃないです。
私しっかり見ましたもん、その人が弾いたクナイがその子に刺さったの」
「!?」
「あ、私も見た見た。アレさぁ、弾いてなかったら絶対刺さらなかったよね」
「じゃ、やっぱりあの人のせいなんじゃん」

人のせいにしないで欲しいよねぇ、とひそひそ話すだけでも女性というだけでより効果がある。
得てしてどんな場合でも、女性のひそ話からの冷たい目線というのは居た堪れなさを醸し出す故に銀時には十分な攻撃だった。
ビクリと反応して伏せられた顔は震え、結局上げられて発せられたのはまさかの。

「……てめーらァァ!死ぬ覚悟は出来てんだろうなァァ!!」
「無かった事にしようとしてるッッ、耐えられなくてさっきの全部隠ぺいしようとしてるゥゥ!!」
「ぬしもわっちのクナイの餌食になるがいい、わっちが殺したあの童のように」
「超気ィ遣ってくれてるよッ、やっぱ良い子だよあの子良い子だよォォ!…ちょ、あのもうそれ以上気ィ遣わないで耐えられないから…泣きそうになるから」
「何めんどくせー事言ってんの、この人!?」
「気など遣っておらん、元はわっちが投げたクナイじゃ。わっちが殺したも同じ故間違ってなどいない」
「止めてホント、居た堪れないから…俺、立つ瀬無いから…。俺がやったんだ、俺が殺したんだチクショォォ!!」
「わっちじゃと言っておる!」
「俺だ、コノヤロー!」

お互いどっちが殺したかを主張し合う有様に、神楽はただただ冷めた目を向ける。
新八が「アンタら一体何の言い合いしてんだ!」とつっこんだが誰も聞いてはくれず。
空気を変えたのは、素早くクナイを投げつけた月詠の攻撃だった。
「!?」と反応の遅れた銀時の額に見事にヒットしたクナイに銀時の身が倒れる。
次いで新八と神楽の胸にもヒットしたクナイは、たちまち2人の身も地に落とした。
あっけない終わり方に、しばし呆けたままの百華衆へ月詠が冷静に振り返って告げ渡す。

「こやつらはわっちが仕留めしんした、鳳仙様へはそう報告しなんし。後始末はわっちがしておく」
「…分かりました」

少し間を置いた返答だったが、混乱からようやく命を理解して去っていく百華を見送り溜息をついた。
スタスタと倒れている4人へ近づいた月詠は、そのままヒットしているクナイを外す。
それは突き刺さっているのではなく、文字通りヒットしてくっついていただけだった。

「さっさと起きなんし、でないと次は本物を叩き込んでやるぞ」

キュポキュポと吸盤つきクナイを示す音に、パチクリと目を開けた4人が身を起こして瞬いた。

「あり?」
「生きてるアル…」

間抜けな4人を月詠が呆れながら見下ろしていた。

ALICE+