13
近くにあった手綱を掴んでいたため、コナンは飛行船から落ちることはなかった。やがて飛行船が、完全に垂直になる。藤岡は為す術もなく、海へと落ちて行った。自動運転されていた飛行船は、安全装置が起動して、もとの平行飛行に戻った。コナンは立ち上がり、目下に広がる海を見下ろした。
ふと着信音が鳴る携帯に応答する。途端に平次の声が飛び出してきた。
『工藤!お前、無事なんか!?』
「あぁ服部、丁度良かった。海上保安庁に連絡してくれ」
『は?海保?』
「全ての首謀者の藤岡が、海に落ちたんだ。それと、藤岡の仲間が、近くに逃亡用のクルーザーを用意してある。そっちの確保も頼む」
『よっしゃ、まかしとき!ほな、あとでな。明日はお好み焼きやで、楽しみにしとけよ』
通話を終了し、コナンはふぅ、と一息吐いた。無事事件は解決した。一方ダイニングの方では…
「おい。皆大丈夫か?」
「はい!なんとか」
「ちょっとびっくりしただけだ」
拘束されていた皆は逆にそのお陰で、船が傾いた際、壁に激突するような事態は避けられたのだ。
「奴らはどうした!?」
「犯人の2人ならそこでのびとるわい。さっきの急上昇の時壁に激突してな、自業自得じゃ」
ワンワン
「「!?」」
「いやあ驚きましたー。ホールまで様子を見に来たら、いきなり床が傾くんですから」
飄々と現れたのはキッドであった。今までどこへ隠れていたのやら。中森警部らが敵意剥き出しで構えるも、拘束されているため、どうすることもできない。
「おのれキッド!!」
「…コナン君は?」
不安そうな百合の問いかけにキッドは優しく答えた。
「あの坊やなら無事ですよ、もうじきここに来るでしょう」
そう言いながら、縛られていた百合のロープをほどいていく。
「じゃあ皆さんのロープもほどいてやってください」
「あ〜!キッド様、アタシも〜!」
「待てキッド!このぉおお!!」
「あぁ勿論、警部のロープは最後でよろしく。…ではみなさん、お約束通りお宝はいただいて参ります」
そして犯人たちの鞄の中からビッグ・ジュエリーを取り上げると、今までで一番の簡単さでキッドとしての仕事を終らせたのであった。
あの後、飛行船の中へと戻ったコナンは医務室へ向かった。拘束されていたウェイトレスも、小五郎らによって解放されたのだろう。医務室には誰もいなかった。とりあえず大阪に着くまで、ということで、きっちり傷の応急処置を施し、これからどうしようかと考えた末に、皆のところへ戻ることになったのだ。
「コナンくん…!」
「無事じゃったか」
わらわらと、彼の周りに集まる百合や子ども達。わぁっ、と歓声が起こった。夕食の時間、小五郎はまた酒を煽り始めていた。なんと記者の水川、中森警部、次郎吉らと一緒に飲んでいる。事件は解決し、平凡な日常が戻りつつあった。…ただ一つ、彼女だけは違っていたようだが。
「私、お手洗い行ってくる」
「いってらー」
園子たちの声を背にして百合はこっそりと、ダイニングを出た。
***
エレベーターの扉がゆっくりと開く。辺りはもう暗くなっていて、スカイデッキの天井には、小さな星がきらきらと輝いている。地上よりも幾分か近い星空は、とても綺麗だった。そして視線の先に暗い影があるのを確認して、百合はふっと声を零した。
後ろ姿しか見えない上、辺りは真っ暗。姿だけでの判別なんてつかないだろう。でも、百合にはこの人物が誰なのか分かっていた。分かっていて来たのだから。
「…キッド」
影がこちらを振り向く。百合は静かに立ち止まった。
「来るだろうと思ってたよ…」
「蘭ちゃんのこと片づいてないからね」
「え?あぁ…そういや、名探偵の顔でごまかしたんだっけな…」
「本当に面倒なこと、してくれた」
「しょうがねーだろ、あの場合…」
この後はいつもの通り逃げるの?と百合が聞けば、キッドはここぞとばかりにドヤ顔を返してきた。そしてトンッとキッドの立っているところに近づく。見上げると、満月が見えた。やっぱり綺麗だ。
「…満月」
「あ?」
「綺麗だな、と思って」
百合の言葉に倣い、キッドも月を暫し眺める。視線を私に戻すと、僅かに目を見開いていた。
「アンタ、そーゆー感情持ってたのか」
「……どういう意味?」
柳眉を少し眉間に寄せる百合。
「いや、いっつも無表情で人形みたいだから、感情とかあんま持ち合わせてないのかと思った」
「ナニソレ。私にだって、ちゃんとあるよ」
「…まぁ、そうだよな」
『それでも黙っている彼を…私が裏切るわけにはいかないから』
感情がなかったら、あんな言葉は出てこなかっただろう。キッドはフッと笑うと、百合へと向き直り、そして――「…お前のほうが綺麗だぜ」と言ってきた。
「…それ、何て返せばいいの」
若干ジト目でキッドを見遣る。
「ほんっと鈍感だよな、お前」
「よく言われる…。でも、私はそうは思わないよ。洞察力、ある方だから」
「いや、多分"こっち"の方のスキルが極端にないだけじゃねぇか?」
「…こっち?」
そんな他愛のない会話の中で、百合がポツリと言った言葉がデッキに響いた。
「キッドって……自首、しないの?」
百合は疑問があって述べただけだ。それ以外、特に感情はなく、別段深い意味はない。
「何だ?オレに捕まってほしい、って言ってんのかよ」
「別に。…ただ、あなたはそんなに……悪い人じゃない…。そんな気がしたから、ちょっと…そう、思っただけ」
"悪い人じゃない"怪盗に対して言うような台詞ではないが、百合自身、自分が可笑しなことを言ったとは思っておらず、そんな彼女に面食らっていたキッド。しかし今度は、にやり、と何かを企んだような嫌な笑みを浮かべた。
「わかった。俺がずっと欲しかったお宝をお前がくれたら、警察に出頭してやるよ」
「……何、言ってるの」
くすり、キッドが笑って人差し指を唇に当てる。
「それはもちろん…」
指が百合の顎を滑る。そして後頭部に回した手を引き寄せる。二人の距離がゆっくりとゆっくりと近くなって―――二人の顔に、月影がかかった。