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それはミステリートレインに乗った翌日のことであった。
「悪い、何も聞かずに荷物を持ってオレんちに来てくれ」
珍しく新一から通話がかかってきたと思えば、第一声がこれだ。しかし内容が内容だけにこればかりは百合も素直に頷くわけにはいかず、新一の思いとは裏腹に聞き返した。
「……なんで?」
「あー…単刀直入に言うと、暫く俺んちで過ごしてほしいっつーか…まぁ、昴さんもいるから同居って形になっちまうかもしんねーけど……って、別にオメーを男と住まわせて良いとかオレもほんとは嫌だけど、しょうがねぇ事態になっちまったから…!…でも安心しろよ。あの人ならいざという時オメーのことを守ってくれるだろうし、良い人だからさ」
新一が自分で説明しているのに、何故か百合が聞いてもいないことを答え出すなど明らかに様子がおかしい。しかし彼がそこまで言うのならば、恐らく沖矢昴という人物は大丈夫なのだろう。何故そこまで信頼しているのかは分からないが、何かそう言い切れる根拠があるのかもしれない。
「なにから?」
「あ、いやー…それは」
要はつまり、緊急事態が起きて百合には不本意ではあるが暫く工藤邸に住み込んでほしいということだろう。
「それって…私に、ここにいるなって……言ってる?」
「…あぁ」
「……もしかして…例の、新一が追ってる…“危ない事件”のせい?」
「まぁ、そう…なるな」
数秒程の間、二人に静寂が訪れる。そして百合の方から再び話を切り出した。
「うん…いいよ、分かった…」
「!…じゃ、じゃあ早速博士にも連絡入れとくからよ!オメーも荷物まとめて――、」
「新一」
「……?」
「…安室、さん」
「!!」
ユリの口から出た名前に、新一が僅かに息を飲んだことが電話越しに聞こえた。
そしてそれは同時に彼女の中である事実が浮かび上がってきたともいえる。
「ううん……なんでもない」
「お、おう…じゃあな、落ち着いたらまた連絡くれよ」
「うん」
新一との通話を切りゆっくり立ち上がり、ベランダへ向かった。
まだ朝方ということもあって、朝焼けの日差しが高層ビルが並ぶ都市を覆っている。
彼は真相を殆ど言わなかったが、どうやら隣人の安室が今回関わっていることは読めた。
安室が“悪い人”なのかどうかあまり考えたくはなかったが、ユリの脳裏に浮かぶのは、いつも優しい笑顔を浮かべ何かと自身を気遣ってくれた彼。
とても新一が思っているような人には思えなかった。
その後、白いトランクの中に必要な物を詰めていくユリ。
工藤邸では最低限必要な日用品は揃っているので、自分にとって必要な衣服と洗顔など女性特有のものを持っていくぐらいだった。
迎えは博士がしてくれるようで、夕方頃マンションの前にきてくれると聞いた。
日の暮れた5時頃、ユリは管理人さんにも話を済ませておき自身の部屋から出る。
すると予想外の出来事が。隣人の安室が丁度マンションに帰ってきたようで、エレベーターの方から彼が歩いてくるのが見えた。
「あれ?ユリさん、その荷物どうされたんですか?」
早速、安室はユリを見つけると彼女の傍のトランクを疑問気に訪ねてきた。
「暫く知人の家に泊まるので…」
「え、そうなんですか?それは、急な話ですね」
「…試験近い、から……」
嘘だ。本当は新一にそう伝えろと言われたから、試験は暫く先だし、そもそもユリは他人の家に泊まり込むほど勉強に困ってもいない。
「僕にも教えられることがあったらお手伝いしますよ?」
「でも……言われたから…」
「…何を、言われたんですか?」
そんな彼女の嘘を見透かしてか、安室は少しずつユリに問い詰めてくる。
まるで“行かせまい”としているかのように。
それを察してかユリは顔を俯かせたが、仕舞には二人の間の間隔も詰めようと安室は歩を進めてきた。
「…だめ……教えちゃだめ…」
「何故です?もしかして…何か、脅されているんですか?」
「違うよ…違う、けど……」
その時、ユリの携帯の着信音が響く。
見てみると博士からの通話だった。どうやらもうこのマンションに迎えにきたようだ。
「じゃあ、…」
「あ、ユリさん…!」
安室は自身の横を通り過ぎようとしたユリの腕を咄嗟に掴む。
そしてユリもそんな彼に振り向き、こう言った。
「……“信じてる”よ」
銀色の瞳が安室の淡い水色の瞳と交わる。
そして彼の手の力が緩んでいき腕が解放されたと分かると、ユリはエレベーターの方へと向かっていった。
その後ろ姿が消えるまで、安室は彼女を見ていた。
***
工藤邸に連れて来られたユリは、これからお世話になる昴と対面することになった。
「よろしくお願いします…」
阿笠博士たちは早くも帰っていまい、早々に昴と二人きりという状況が出来上がってしまった。
「コナンくんから事情は聞きました。
居候の僕が言うのも何ですが、ゆっくりして行って下さい」
距離の取り方がよく分からず、曖昧な返事をするしかなかった。
ソファに座り、小さく溜息をつく。
昨日まで普通に過ごしていた生活が一変し、見ず知らずも同然の男の人の元でお世話になるという事実は変わらず、落ち着かない生活を送ることになってしまったのには変わりない。
何故、こんなことになってしまったのだろう。
「戻りたい…」
いっそのこと毛利家にでも戻った方がいいような気がする。
ユリの通う学校とはかなり距離が出てしまうが、それでも他人に迷惑をかけるよりはマシだ。
「どこに戻るつもりですか?」
「あ、昴さん……」
後ろから声を掛けられ、思わず身体がこわばる。
独り言を聞かれていたのは恥ずかしいが、今はそれよりもいきなり現れた彼に驚く気持ちの方が大きい。
気配を感じなかったのだが、それほど自分は考えることに集中し過ぎていたのだろうか。
「すみません、随分と思い詰めた様子でしたのでつい……」
確かにこれから一緒に住むことになるワケありな少女が思いつめた顔で「戻ろうかな」と呟いている場面に遭遇すれば、誰だって気になって声を掛けるだろう。
「それで、一体どこに戻るつもりだったんですか?
まさかご自分のマンションではないですよね?」
彼の言わんとしていることは分かる。
ユリには見えないところで動いており新一が追っているらしき“悪い人たち”が関わって、ここに“逃げろ”と言われてきたのだ。
「…実家……」
「あぁ…毛利探偵事務所、ですね」
「ユリの、ほんとの家…あそこ」
自分から一人暮らしを始めたとはいえ、やはり戻るなら住み慣れたあの場所ではないかと思った。
しかしコナンからしてみれば、組織のバーボンが安室という人物だと分かった今、彼がバイトをしているポアロと探偵事務所は目と鼻の先だ。
なので極力ユリには事務所に近づいてもらいたくないというのもあるが、まさか実家に近づくなとは新一も理由もなしに言えるわけなかった。
「そんな顔をせずとも、貴女のことは守ってみせますよ」
「……貴方は…何者?」
いくらここが新一の家とはいえ、接点のない自分との同居を了承してくれた上に、こうして守るとまで言ってくれているのだ。
何故そこまでしてくれるのかが気になって仕方がない。
「ただの大学院生ですよ」
そういうことが聞きたいのではないのだが、今のは自分の質問が悪かったのだろうか。
「…危険、かもしれないのに…」
普通の人間ならばこんな厄介事、普通は引き受けないだろう。
下手をすれば自分の身が危なくなるかもしれないのだ。
「危険は承知の上ですが、それ以上に譲れないものもあるんですよ」
「…?」
「それに、貴女のことを守らなければ彼に恨まれそうなので」
「……誰?」
言い回しがどこか気になり尋ねてみるが、昴は肯定も否定もすることなく笑うだけだった。
彼とは新一のことで合っているのだろうか。
昴の言い回しは安室並みに難しく、どうも理解することが出来ない。
とりあえず自分達の味方だというのは間違いないのだろうか。
首を傾げるユリに、昴さんは小さく笑った。